閑話 吟遊詩人バルドは黒髪の少女を探す

*本編プロローグ第三話と同じ日の出来事です。



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「あ、おじいちゃんお帰りなさい!さっき今日の門番さんから伝言が届いたよ」


 今の季節には日課になっている公園でのライブを終えて家に帰ると、ちょうど宿の受付にいた孫娘のシェリーが声をかけてきた。


「ただいま、シェリー。門番から伝言とは珍しいな、なんだって?」


「えっとね、メモしたよ!“黒髪黒目の少女を街に入れた。言葉が通じず、どこから来たかも分からない。この宿を案内したからやってきたら受け入れてやってほしい”って」


「…そうか。で、その少女は来たのかい?」


「それがね、まだ来てないのよ。もう夜になっちゃうし、東門から道を真っ直ぐだから迷うことはないはずなんだけど…。門番さんによると、言葉が通じなかったからうちの看板の絵を書いて説明したらしいんだけど…うまく伝わらなかったのかな…心配ね」


 多民族国家であるこの国では、レストランや宿屋、薬屋、肉屋、魚屋など、言葉に詳しくない人間でも分かりやすいように店によって看板のデザインが統一されている。うちの場合は宿屋と食堂が組み合わさったマークだ。決まっているのはマークだけで、その周囲に色をつけたり花を描いたり、はたまた看板の形を工夫することは許されているので、マークは同じでも店ごとにそれなりに個性を出すことができる。


 このインスの街で宿屋と食堂が合わさっているのはうちだけなので、看板の絵を見せたなら間違えることはないはずなのだが…


「分かった。悪いが今日は少し遅くまで受付で様子を見てくれるか?明日になっても来ないようなら、わしも少し探してみるとするよ」


「うん、そうだね。この街は治安は良いけど、私より若い女の子らしいから、ひとりで知らない街に来て心細いと思う。言葉も通じないし、お金も持ってないみたいだったって…」


 この間二十歳になったばかりのシェリーは、幼い頃からうちの宿屋と食堂の看板娘として働いている。明るく元気が取り柄の娘だが、心根も優しく育ってくれた。自慢の孫娘だ。


「そうか。あとで一応兵舎にも行って報告しておくよ。巡回のときに気にかけてもらえるだろう」


「そうね、それが良いわね。その子が来たら、お姉ちゃんの部屋を使ってもらおうと思うんだけど、どう思う?」


「そうだな。言葉が通じないということだし、おそらく行くところもないんだろう。長くうちで預かることになりそうなら、屋根裏部屋を使ってもらうのが良いだろうな。まあ、一度会ってみないことには何とも言えないし、お前が会ってみてから決めたら良い」


「うん、そうするわ!」




 宿を出て兵舎へ報告に向かいながら、自然と目は周囲に黒髪の少女がいないか探してしまう。


 黒髪黒目。この世界ではとても珍しい色だ。それにこの国の周辺諸国では共通言語があるため、他の国からやって来て多少の訛りの違いはあっても、言葉がまったく通じないというのは非常に珍しい。


「…まさか、地球から…」


 思わず思考が口に出てしまった。もう随分記憶が薄れてしまったが、黒髪黒目というのは、確か東の方の国に多い特徴だったはずだ。そしてもしそうだとしたら、なんとしても力になってやりたい。




 わしは十八のときに、なぜかは分からないがこの世界へ飛ばされてきた。言葉は通じない、金もない。そんな状況でたまたま親切な農家で拾ってもらい、この世界の常識や文化を教えてもらうことができた。さらに、その家の次女と恋に落ち、嫁にもらうこともできた。


 この国には人の好いのんびりした性格の人間が多いが、普通に考えたらどこから現れたか分からない謎の男を受け入れて、しかも娘をくれてやろうなんて思わないだろう。嫁とその家族は、本当に懐が広かったと、今でも感謝が尽きない。



 嫁との結婚を機に、わしは借金をして街に宿屋を建てた。明るく気の利く嫁のおかげで宿は繁盛し、十年もしないうちに借金は返し終え、子宝にも恵まれた。

 地球で生きていた頃に趣味だったギターによく似た楽器を見つけ、食堂で歌いながら弾いてみたところ、予想以上に好評で、たくさんの常連客を得ることもできた。


 わしのこの世界での人生は、ただただ幸運でしかなかった。人の優しさに救われて生きてきた。


 だからこそ、困っている人にはできる限り力になろうと決めたのだ。それが、きっとわしに良くしてくれた人たちへの恩返しにもなると思うから。



 これまでもお金を失ってしまった旅人や、魔物の襲撃で故郷を追われた人など、様々な事情を抱えた人をうちの宿で預かってきた。そういう困った状況にある人は、明らかに心身共に疲れ切って、お腹を空かせているものだ。


 だからこそ、せめて彼らが元気になるまで、うちの食堂でうまいものを食べて、気持ちの良いベッドで疲れを取ってもらうのだ。そして「よし、ここからまた頑張ろう」という気持ちになったときには、笑顔で見送ってきた。


 彼らから滞在費は一切もらわないと決めているが、多くの者がその後も定期的にうちの宿に泊まりにきては、抱えきれないほどたくさんの土産を置いていく。家族を失った若者が新しい家族を連れて泊まりにきてくれると、わしら一家もたまらなく嬉しくなるものだ。


 街の門番には、もしも行くところがない様子の者や、困った様子の者が来た場合には、うちの宿屋へ送るように伝えている。そしてこれまで一度もなかったが、わしがとくに長年に渡って念を押し続けてきたのが、「言葉が通じない者が来たら、必ずうちに呼んでくれ」ということだった。


 わしがなぜこの世界に飛ばされたのか分からないように、きっとその者はとても不安なはずだから。この世界のどこか遠い国の出身なのか、地球や他の世界から飛ばされてしまったのかは分からないが、その者の気持ちは痛いほど分かるから。


 わしが異世界からやってきたというのは、家族だけが知っている。子どもの頃から何度も言い聞かせて育った息子たちと孫娘のシェリーはとくに、困った人がいたら絶対に助けるという精神が刻み込まれていて頼もしく思う。息子たちがその想いを継いでくれるなら、わしがいなくなった後にも、きっと助けられる者がたくさんいるだろう。


 

 今でも、なぜわしはこの世界に来たのだろうとふと思うことはあるが、愛しい家族を見るたびに、わしが生きていく場所は間違いなくここだと感じている。何より、もう亡くなってしまったが、命に代えても惜しくないと思うほど、愛しい嫁と出会うことができた。彼女と出会うためにここに飛ばされたのなら本望だとさえ思えた。


 すっかり闇が落ちた空には、数多の星が輝いている。今頃どこかでお腹を空かせて震えているかもしれない黒髪の少女も、この空を見ているだろうか。



 少しでも早くその子を見つけて、大丈夫だと言ってやりたい。君がこの街に来たことにも、きっと意味があるのだと。


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