極東奪還闘争
又吉秋香
第1話 プロローグ 極東奪還闘争時代の幕開け
私にはロシア人の血が流れている。
祖父がロシア人で日本人の祖母と出会い、日本で子供を産んだ。
それが私の父だ。
私の父は日本人として生活をして、日本人の母と結婚したので、私の家にロシアの文化は一切ない。
しかし、ルーツはロシアにあるので、いつかはロシアの地に自分の足で立ってみたかった。
二〇〇九年からNHKで放送の始まった、明治維新を成功させて近代国家として歩み出し、日露戦争勝利に至るまでの勃興期の明治日本を描く、「坂の上の雲」も特別な思いをもって観賞した。
そして、ロシアのウラジオストク。
肥沃と言われる大地に恵まれながら、ソ連崩壊後の混乱 で、広大な農地が放棄されている。
その農地を日本人が片っぱしから借り集めている、という情報を得て、二〇一二年の夏、私はウラジオストクへ飛んだ。
すでに三〇万ヘクタール、東京ドームの六個以上に当たる土地を確保し、なおも拡大を続けていた。
こうして私はすでに四一歳になっていたが初めて、ロシアの地に足を踏み入れることになった。
そこでみた風景に、私はこれから自分の目指す先として正しいのか、果たしてここでちゃんとやっていけるか不安になった。
「自動小銃で守られている農地」
それは日本人として育った私からすると、異様な光景だった。
日本の農地も世界からみたら異様な風景かもしれない。
獣害柵や電気柵に囲まれ、まるで人間が檻の中で農作業をしているようだ。
温暖化が進み、肌を焼く暑さの中で仕事をしていると、そんな錯覚に陥るのだ。
そんなことを考えているうちに目の前では、タイヤの大きさが自分の背の高さを超える大型トラクターが大地をえぐりながら目の前を過ぎ、土煙が立つ。
その向こうに現れたのは、迷彩服の兵士だった。
肩に自動小銃を掛け、こちらに向かってくる。
銃規制が厳しいロシアでなぜ、兵士が?
彼らは民間の軍事会社から派遣された傭兵だった。
24時間、農地を監視しているそうだ。
傭兵は、私の前を無表情で通り過ぎ、停めてある日本製の中古車にもたれた。
灰色の感情のない瞳で周囲を睨みつけ、タバコに火をつける。
この農地を借り集めている日本人に話を聞いた。
「ここには日本と違う論理があるんです。ある日、突然マフィアがやって来て『農地をよこせ。種もトラクターもすべ置いて出ていけ。逆らえば殺す』そしてそれは現実に起こり得るのです。」
この日本人は私と同じ四一歳で、イギリスに本社のあるグローバルな食品会社の人間だ。
南アフリカのLBRT出身という異色の経歴を持つ。
猛禽類を思わせる鋭い眼が特徴の男が朴訥と話を続ける。
「『出て行け』と言われたからと言って、『わかりました』とはいかないのです。なぜなら私の会社はすでに莫大な投資をしてますからね。 ほら、このトラクターだって、何年も壊れたままだったんですよ?それを私の会社が修理したんです。それをマフィアの連中ときたら、修理が終わったのを見計らって現れるんだからたちが悪いんです。」
確かに日本の獣害対策とは比較にならないほど警戒する必要がありそうだ。
男は朴訥とした口調を崩さず話を続ける。
「こう言ってやりましたよ。『お前の言いたいことはわかったよ。しかし、私も投資を無駄にはできないんだ。だから、わたしが先にあなたを殺すよ。ここには二〇人以上の傭兵がいるからね。傭兵はあなたの家族のところへも行くだろう。そして、わたしは明日も平和にここでビジネスを続ける』。そしたら、連中はおとなしく帰って行きましたよ」
そう言い終えて男は、手に入れたばかりの畑の手に掴み、風に飛ばしながら大地に投げ捨てた。
「うん、良い土に仕上がった」
ここでは傭兵として雇った彼らに大型農機具の操縦を教え、種まきから収穫まで従事させているそうだ。
なぜ軍人を連れてきたのか気になって聞いてみた。
すると間を開けることなく男は朴訥と続ける。
「彼らは規律を守りますからですよ。このとてつもなく広い農地で最大の利益を生み出すためには、すべての無駄を省いた営農計画を立て、計画通りに種をまき、肥料を与え、収穫する必要があります。わずかでも時期がずれれば、それだけ収量が減ってしまう。ここでは、命令を遵守する人材だけが必要なのです。」
地元の人は雇用しないのか疑問に感じて聞いてみた。
日本で農地を拡大させていく場合、地元の理解を得るためにシルバーセンターなどを介して積極的に進めてきたのだ。
「地元の人の農民は雇わないのですか?」 そう訊いてみると、男は初めて笑った。
「彼らのほとんどはアルコール依存症で、使い物にならない。でも、少しは雇っていますよ。健康な人もいますから。しかし、彼らはよく盗む。種を持ち出したり、燃料をこっそり抜き取って売ってしまう。だから、彼らを監視する必要があります」
確かに獣害対策とは次元が違う。
しかも、この会社では「おとり捜査」を行なっていた。
盗むのは地元の人間だけではない。
ある時はトラクターを運転するキルギス人にスパイを差し向けて、燃料の「横流し」を持ちかける。
罠とは知らず、依頼に応じる者もいるのだ。
その様子は、同社のセキュリティ担当者により密かにビデオ撮影されていて、その従業員は即座にクビにする。
この会社のセキュリティ部門の責任者はロシアの秘密警察出身だ。
この会社は、世界的な穀物価格の高騰を追い風に莫大な利益を上げ、農業ビジネスの成功例として世界的にも注目を浴びていた。
だが、その「優良企業」の現場には、軍人上がりの日本人責任者と、 自動小銃で武装した傭兵と、まるで犯罪者のような扱いを受けて働く地元農民や出稼ぎ労働者の姿があった。
そして、このウラジオストク では、この会社だけではなく、ヨーロッパや中国を中心として総勢一〇カ国以上もの企業が農地を次々と獲得していた。
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