44 決戦(後編)
シャルルは、地下坑道の闇の向こうへと走り去ったイグナシオを追跡した。
リュクサンブール宮殿の地下坑道網は、ヴァンサン神父が言っていた通り、複雑な迷路のようだったが、坑道に倒れているベンガンサ隊の遺体が地上へと上がる目印になっていた。死体が転がっている道をこのまま進めば、宮殿のあの広間にたどり着くはずだ。
「待て! イグナシオ! お前の狙いは俺だろう! 相手になってやるから、止まれ!」
シャルルは、突然急な下り坂になった坑道を壁に手をかけて慎重に足を滑らせながら進み、そう叫んだ。その直後、下半身が急に水につかり、「うわっ!」と驚いた。どうやら、地下の水がたまっている空間に入ったようだ。しかも、ずいぶんと狭い。剣を振り回すのに不自由しそうだ。イグナシオは、この地下にできた池から抜け出そうとしているところだった。
「イグナシオ! 俺とお前、二人きりだ! 勝負をつけないのか!」
「シャルル・ダルタニャン……」
イグナシオは、
ルイ十四世を殺し、シャルロットを連れ帰らなければいけない。今度任務に失敗したら、主君フランシスコ・デ・メロはイグナシオを切り捨てるだろう。イバンや多くの仲間を犠牲にして、ここでしくじるわけにはいかなかった。しかし――。
「貴様を殺さなければ、俺は剣士の誇りを取り戻せない!」
ここで決着をつける。そう決意したイグナシオは、シャルルと対峙し、長剣デュアリング・レイピアを振りかざした。
ズガガッ! と、剣の切っ先が狭い天井にあたる。イグナシオは「うっ……」と顔を歪めた。ここでは、長剣はかえって不利になってしまうようだ。
「イグナシオ、この剣を使え」
シャルルは、自分のすぐそばに浮いていたベンガンサ隊士の遺体からレイピアを奪い、それをイグナシオの前に放り投げた。この剣の長さは、シャルルの剣スウェプト・ヒルト・レイピアとだいたい同じである。これで戦えば、シャルルとイグナシオの条件は同じだ。
だが、イグナシオはその剣を手にしなかった。
「心遣いには礼を言う。だが、我が愛剣は俺の誇りそのものだ。貴様を倒すためにこの剣を手に入れ、これでずっと戦ってきた。このデュアリング・レイピアで貴様に勝たなければ、意味がない。貴様も、おのれの剣に誇りを持っているだろう?」
「……そうだな。ならば、いざ尋常に勝負」
シャルルは
(防御など度外視して、攻めの一手で来るつもりか)
と読んだ。
強敵相手には慎重に戦い、敵の弱点を発見してから猛攻に移るのがシャルルの戦術だ。ということは、シャルルはすでにイグナシオの弱点を見つけて、攻撃体勢に入ったのだろう。
(ならば、シャルル・ダルタニャンが必勝の攻勢に入る前に、俺のほうから
イグナシオは、ばしゃばしゃと水しぶきを上げながらシャルルに接近し、「うわぁ!」と雄叫びを上げつつ猛烈な突きを繰り出した。
シャルルは身をよじり、それをぎりぎりでかわす。
立て続けにイグナシオは二突き、三突き、四突きと猛攻をかけたが、シャルルは肩や腕にかすり傷を負いながらも、最小限の動きでよけてイグナシオの剣の嵐をしのいでいく。
(攻めるどころか、防戦一方だと? 何を考えている?)
イグナシオは困惑しながらも、攻撃の手をゆるめず、荒い息遣いでシャルルを何度も攻めた。三回に一回ぐらい、長剣が壁や天井にあたり、それを何度も繰り返したせいで、イグナシオの右手はじんじんと
「く……くそぉぉぉ……!」
イグナシオは、これ以上戦いが続いたらこちらの体力に限界がくると焦り、一か八かの
その瞬間、シャルルの目が光った。
スウェプト・ヒルト・レイピアのS字にくねっている
「しまった!」
イグナシオは慌てて左手の短剣を構え、シャルルの反撃に備えようとした。
しかし、間に合わなかった。体力を温存していたシャルルは今こそ攻め時だと判断して猛然と前に出て、イグナシオの心臓にスウェプト・ヒルト・レイピアを突き立てたのである。
「あ……がっ……!」
イグナシオは自分の敗因を理解できぬまま息絶え、水中にどばぁっと倒れた。
「読みが甘かったようだな、スペインの勇猛なる剣士よ」
シャルルが最初に攻めの構えを見せたのは、「シャルルの猛攻が始まる前に、逆にこちらから攻めてやる」とイグナシオに思わせるための罠だった。
イグナシオは
「イグナシオよ、俺もいつかは戦場で死ぬだろう。俺があの世にいったら、また手合わせしよう」
シャルルはそう呟くと、剣を
ズ……ズゴゴゴ……ズガガーン!
地震かと思うほどの大きな震動が地下坑道で起き、シャルルは「な、何だ⁉」と驚いた。
ついに、崩落が起きたのだ。
同じ頃、崩落現場では、シュヴルーズ公爵夫人が崩れ落ちてきた
「…………何で? どうして自分を犠牲にしてまで私なんかを助けたのよ……。本当、馬鹿な男だわ……」
と、顔をひきつらせ、泣き笑いの表情でそう呟いていた。
シュヴルーズ公爵夫人は、逃走中に崩落に巻きこまれて死ぬはずだった。
しかし、すぐ後ろまで追いかけてきたいたアルマンが「危ない!」と叫んでシュヴルーズ公爵夫人を突き飛ばしたのである。そして、自分が崩落する瓦礫の中へと消えていった。アルマンは愚かだ。こんな醜い女のために自分の命を犠牲になどして……。
――私だって、自分の一生はこの世に一つしかない尊いものだと考えています。でも、その命を愛する人たちのために使うのが、誇りある人生なのではないのですか。
シャルロットが言った言葉が、蘇る。アルマンは、心の底からシュヴルーズ公爵夫人のことを愛してくれていて、その命を夫人への愛のために使ったということなのか? 何の見返りも求めずに……。
「それが、愛……だというの? シャルロット……」
シュヴルーズ公爵夫人はふらり、ふらりと地下坑道を歩き、闇の中へと姿を消した。
以後、シュヴルーズ公爵夫人の行方は誰も知らない。
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