20 マザランという男(後編)

(本当に風変りな男だぞ、こいつは。要人派たちに命を狙われているというのに、たった三人の従者しか連れていなかったとは……)


 馬上のシャルルは、マザランを護衛している三人の従者をチラリと見ながらあきれていた。


 マザランが道中語り合いたいと言うので、馬車は使わず、馬のくつわを二人並べて、パリの街並みが眺望できるサン=ジェルマン=アン=レーの丘を下っている最中である。マザランは機嫌よく鼻歌を歌いながら、路傍ろぼうに咲く春の花々を愛おしげに眺めていた。


猊下げいかは花がお好きなのですか」


「ええ、好きですよ。特に春の花は可憐で美しく、私が恋い慕う女性を思い起こさせてくれるので、大好きです」


惚気話のろけばなしかよ。いつ要人派の雇った殺し屋に襲われるか分からないというのに、呑気のんきすぎる……)


 シャルルはマザランに気づかれないように小さくため息をつき、貴公子然としていて整った顔立ちのマザランを横目で見つめた。


 マザランは今年で四十一歳だが、まだどこか青年のような無邪気さを面影に残しており、病弱でいつも憂鬱そうな顔をしていたリシュリューとは対照的に、陽気な雰囲気がある。ずっとニコニコしているので、目下の者でも気軽に話しかけやすそうだ。


(イタリア人には性格が明るくて感情豊かな人間が多いと聞いたことがあるが、マザランの陽気さはイタリアの血か)


 トレヴィルは毎日のようにマザランを「奴は第二のリシュリューになろうとしている」などと罵倒しているが、マザランにはリシュリューのようにその存在感だけで相手を呑みこんでしまうような気迫は感じられない。


 マザランは、ローマ教皇の特使としてパリに来た際、リシュリューにその才能を評価され、「フランスに帰化し、ブルボン王家に仕えないか」と誘われたぐらいには優秀な政治家ではある。しかし、よくも悪くも強烈な個性を持った偉人リシュリューを越えることはできないかも知れない。シャルルは、直感でそう思っていた。


「ダルタニャン君には、前からお礼を言いたいと思っていたのですよ。モンルザン君の命を助けてくれたそうじゃないですか。モンルザン君は、君にとても感謝していましたよ」


「そうですか。フランソワが……」


「モンルザン君はよく働いてくれている。彼を助けてくれて、ありがとう」


 マザランはそう言って、シャルルに頭を下げた。


 マザランの家士かしとなったフランソワは、敵国の密偵がパリ市内に潜んでいないか警戒にあたる仕事を与えられていた。仕事熱心なフランソワはどんな些細ささいなことでもマザランに逐一報告し、


 ――数日前、イングランドから来た「ミレディ貴婦人」と名乗る美女が、ロワイヤル広場に面した屋敷を買い取って住処すみかにしているようです。その女と行動を共にしている隻眼せきがんの男の言葉が、どうもスペインなまりのようでして……。


 という気になる情報も入手してきて、マザランは彼のことをとても重宝していたのである。だから、フランソワの命を救ってくれたシャルルに礼を述べたのだった。意外と義理堅いところがある男のようだ。


「頭を上げてください、猊下。友の命を救うのは当たり前のことです。あなたに礼を言われるほどたいしたことはしていません」


「そんなに謙遜することはないさ。モンルザン君は、ダルタニャン君のことをフランスで最も王家に忠実な男だと褒めていた。それに、あのグラモン元帥げんすいも私に『シャルル・ダルタニャンは、勇猛な武人を多く輩出したガスコーニュ人の中でも、一、二を争う剣の腕前です。味方になれば、猊下の命を狙う輩も手を出せなくなるでしょう』と絶賛していたよ」


 グラモンとは、ガスコーニュ出身の軍人で、ガスコーニュの若者たちの憧れの的であるトレヴィルですら遠く及ばない大出世を果たして元帥に任命された人物である。

 世渡りの上手い男で、リシュリューに取り入って彼のめいと結婚し、リシュリューが死んだ今はマザランに接近するなど、宮廷内で常に上手く立ち回っている。少年時代、元帥になりたくてパリに上京したシャルルだが、おべっか使いなグラモンのことはあまり尊敬していなかった。


「猊下。俺は、あなたの家士になるつもりはありませんよ。俺は、国王陛下の銃士であることを誇りに思っているのです」


 どうやらグラモンがマザランに「シャルル・ダルタニャンをマザラン一派の味方に引き入れたらどうでしょう」などとそそのかしたようだと察したシャルルは、突き放すような口調でそう言った。


「あ、ああ。ごめん、ごめん。さっきのは、グラモン元帥の言葉をそのまま言っただけで、私は君を家士にしようとだなんて考えていないから安心してくれ。

 ……ただ、ダルタニャン君。これから先、ブルボン王家に危機が迫った時、私は命をかけて王家を守る覚悟だ。君だって、そのつもりだろう?」


「もちろんです。俺は、陛下の銃士なのですから」


「だったら、私と君は同志だ。互いの立場は違うが、同じフランスに忠誠を誓う者として、何かあった時は助け合おうじゃないか」


 そう言うと、マザランはシャルルに右手を差し伸べた。握手しよう、ということらしい。


「…………」


 やはり、こいつは人たらしだ。油断ならない。シャルルは、危うく警戒の念を解きそうになった自分を心の中でいましめ、マザランの手をそっと押し返した。


「猊下。申し訳ないが、この握手はあなたが真にフランスのことを思っている人物か俺が見極めることができる日まで、とっておいてください」


「う~む、そうか。残念だが、そうしよう」


 ニカッとマザランは笑う。シャルルは(この人たらしと話していたら、調子が狂いそうだ)と思いながら、その笑顔を無視した。

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