第74話

 迷宮深部にはかつての王家の重要な資料が眠っていると、貴族の間でも噂になっているのだ。

 ハームの言葉で、その噂は恐らく真実らしいと裏付けられた。

 王家と繋がりの強い騎士団も当然知っているはずだ。

 だというのにかつての調査は、地下五階層の途中で打ち切りになっている。


 だが、そんな地下五階層を隠れ蓑にして、のうのうと暮らしている人物がいるらしい。

 この迷宮に潜んでいる者は、〈金龍騎士〉では対処できない類の怪人だ。

 ハームの言葉から察するに、研究者で、王家の歴史にも造詣が深い。


「どうするんだい? ヒ、ヒヒ、怖気ついたかな?」


 むしろ〈幻龍騎士〉の管轄内の仕事だ。

 意図せず国内の、それも学院敷地内に潜伏していた巨悪を発見することができたのは幸運であったとさえ思うべきだろう。

 ただ、ここまでの相手となると、さすがにルルリア達を巻き込むわけにはいかなくなってきた。

 相手は表の常識が通じない魔人の類だ。


「ア、アイン、さすがにこれは引き返した方がいいですわ。この悪魔の言っていることが本当なら、騎士団に頼らないとどうにもならない案件じゃなくって?」


 ヘレーナがぐいぐいと俺の袖を引っ張る。

 ただ、恐らく〈金龍騎士〉で編成した特別部隊を送り込んでも、よくて相打ちといったところだろう。


 しかし、場所が迷宮奥で人質がいるとなれば、俺にはあまり向いていない案件ではある。

〈幻龍騎士〉の中でも一番器用な〈名も無き三号ドライ〉に向かってもらった方がいい。

 だが、その間にマリエット達がどんな目に遭うかはわかったものではない。


〈幻龍騎士〉としては、間違いなく一度ネティア枢機卿の元に戻り、指示を仰ぐべき状況だ。

 しかし、今の俺は〈幻龍騎士〉の〈名も無き一号アイン〉ではなく、騎士学院の一生徒である平民のアインである。

 屁理屈ではあるが、ただのアインとして、地下五階層へとこのまま向かわせてもらう。


 ネティア枢機卿には、後で大目玉をもらうことになるかもしれないが。

 下手をすればこれが原因で〈幻龍騎士〉に戻るように命じられるかもしれない。

 だが、それでも関係はない。


「俺は行くことにする。心配はいらない」


「ほ、本気ですか、アインさん!?」


 ルルリアが困惑した表情で口にする。


「アインがこう言ってるんだ、心配はねえさ。それに、こんな小物悪魔の飼い主だろ。大したことねぇよ」


 ギランがばっさりとそう言った。

 生首のハームが眉間に皴を寄せてギランを睨みつけたが、俺が目をやるとそっと視線を逸らした。


「アインが行くなら、勿論俺も行くぜ。ここまで来て、何もしないまま逃げて下がっちゃ、ただの馬鹿みたいだからよ」


 ギランが手のひらを拳で叩く。


「ななな、何を言っているのかしら!? アインはともかく……ギランって、カプリスにも勝てないじゃないですの! ここから先は、さすがに手出しできる領域じゃありませんわ! 大人しく戻りましょうよお!」


 ヘレーナがぐいぐいとギランの腕を引き、彼の説得を試みた。


「あの馬鹿王子は関係ねぇだろ! テメェは一言多いんだよ!」


「い、いひゃいいひゃい、いひゃいれすわ!」


 ギランはヘレーナの頬を指で挟み、彼女の顔を引っ張った。


「……さすがにこの先について来てもらうのは危険過ぎる」


「そう! そうですわよね! 私達なんていたって、どう考えたってただの足手纏いですわよね? ね?」


「そうだな……相手の力量を考えると、かなり派手な戦いになりかねない。俺が相手を足止めしている間、マリエット達を安全に助ける戦力が欲しいのは事実だ。だが、かなりの危険を伴うだろう。悪いが、三人にはここで下がってほしい」


 俺は顎に手を当て、考えながらそう話した。


「なるほど、俺にもきっちりやることがあるんだな! だったら尚更、余計な心配せずについていけるぜ。〈Cクラス〉の馬鹿女二人の救助は俺に任せとけ。自分可愛さで戦地から逃げ出すなら、元々騎士なんて目指してねぇよ」


「なんでアイン、正直に話したんですの! そんなこと言ったらギランの性格上、ついていくって騒ぎ出すに決まっているじゃないですの!」


 ヘレーナが俺の襟を掴んだ。


「す、すまない、つい……。友人には、無暗に嘘を吐くものではないと」


「アインさんもギランさんも向かうのなら、私も行きます! 皆でマリエットさん達を助け出しましょう!」


 ルルリアがぐっと両手の握り拳を固めた。


「はぁ……しょうがありませんわね。ギランだけ突っ走らせても心配ですし、私もついていきますわ」


 ヘレーナががっくりと肩を落とす。


「ヘレーナ……」


「……元々一人じゃ、帰るより進んだ方がまだ安全そうですし」


「……それはすまない」


 俺達が話し合いを行っている間、ハームは口許を曲げて、嫌な笑みを作ってこっちをずっと窺っていた。

 ハームは俺と目が合っても、その表情を崩す素振りを見せなかった。


 ハームは俺を罠に掛けるつもりではないらしいと、俺はそう直感した。

 この悪魔は、俺では先に潜む相手には勝てないと、そう確信しているのだ。

 そして、その自信を俺に対して隠すつもりもないらしい。


「ヒヒ……茶番はここまでにしてもらえるかな? 覚悟が決まったのなら、案内してあげるよ。あの御方の許に、ね」


「ああ、そうしてもらおう」


「せいぜい途中の魔物に敗れないでおくれよ? そんなチャチな喜劇より、ずっと面白そうなものが見られそうだと期待しているんだ。もう既に心は決まっているようだから隠しはしないけれど、君のこと、凄く馬鹿だと思っているよ。なまじ腕が立つがばかりに、あの御方に挑もうとするなんてね」

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