魔法使いは君の空を舞う

傘木咲華

第1話 夢が叶った日

「ルカ、準備は良い?」

「……は、はい! 大丈夫です!」

 ついにこの日がやってきた。

 ルカ・クライスは抑えられない胸の高鳴りを必死に隠しながら、頷き返す。

 今日ばかりは旅人も村人も、男も女も、子供も大人も関係ない。何もかも忘れて、ただ彼女の歌声に酔いしれる。それだけの力が彼女──歌姫ディーナにはあるのだ。


 今日はルカが魔法使いダンサーとしてデビューをする日。

 ステージを飛び回り、空に魔法を放ち、曲に合わせた演出をする。ディーナのステージを彩る存在になりたい。そんな夢を抱き始めてから早三年。

(やっと……やっとだよ、コノハ。やっと君の空を飛ぶことができるよ)

 今まさに夢の一歩を踏み出そうとしているルカは、心の中でそっと幼馴染の名前を囁く。コノハ・リーナ。三年前までいつも一緒だった幼馴染は、今はもうどこにも存在しない。腰まで伸びたスノーホワイトの髪に、コバルトブルーの瞳。幼い頃からちっとも変わらない小柄な姿。

 やっぱりどう見たって昔と何も変わらないのに、今はオーラだけが違う。

 歌姫ディーナ。――三年前までは幼馴染だった女の子。

 コノハとの突然の別れから、ルカは何度もディーナのステージを観に来ていた。ディーナの姿はあまりにも眩しくて、胸が痛む程に遠く感じてしまう。少しでも良いからあの頃に戻りたい。そう願ってから、ルカはただまっすぐここまで走ってきた。

 まるで、今日からが始まりとでも言うように。ルカは空へと駆け出した。


 星が瞬く夜空に、ディーナの純白のドレスが光輝く。まるで呼吸をするかのように静かに歌い始めるディーナに合わせて、空を舞う魔法使いは水の魔法を放った。幻想的な彼女を包み込むような優しい水の波動は、ステージを早くもディーナ色に染め上げていく。透き通った彼女の歌声は、あまりにも繊細で儚い。『ディーナ=水』と言う印象は強く、序盤は水の世界で紡がれていく。

 一瞬たりとも気を抜いてはいけない。

 ステージが始まる直前まで、ルカはそう思っていた。しかし、意外にも周りの景色を眺める余裕があるのかも知れない。まるで絵を描くかのように踊る水に、ただひたすらに歌声を響かせるディーナ。そんな歌姫の姿を一目でも見ようと群がる老若男女を問わない観客達。ルカも少し前までは観客側だったが、今はこんなにも近くにいられる。

(コノハ……僕に気付いてくれるかな)

 心の中で呟きつつも、ルカは無謀な夢だと察していた。

 ようやくコノハと同じ場所まで辿り着いたのだ。今はそれだけで満足しなければいけない。ルカはぎゅっとこぶしを握り締め、邪念を振り払う。

「ルカ」

「はい……!」

 先輩魔法使いに声をかけられ、ルカは力強く頷く。

 ディーナの歌声が悲しみを帯びると同時に、魔法使いは雨を降らせる。ディーナも魔法使いも観客も関係なしに雨に打たれると、一瞬だけ静寂が訪れた。魔法使いも動きを止め、仲間同士アイコンタクトを交わす。

(今だ……っ)

 ディーナが歌い始めるとともに、魔法使いは雷を落とした。ディーナのステージにおける雷は、一つの大きなスイッチになっている。今まで静かに動いていたものが一気に加速して、吹きすさぶ風や激しい炎が舞い踊る。今までただ呆気に取られていた一つの見せ場を、今はルカ自身が作り出しているなんて。力強くなるディーナの歌声と自分の魔法が重なって、鼓動が激しくなっていく。

 嬉しい。嬉しすぎてたまらない。ルカは仲間達と空を舞い、ディーナの世界を創っていく。必死にここまで走ってきて良かったと、ルカは心の底から思った。

 だから、気にしてはいけない。

 ステージの終盤、一回だけ見られたディーナの横顔。三年経っても何も変わらないはずなのに、あの頃の笑顔は一切なかった。

 もしかして、もうコノハとしての記憶はないのだろうか、なんて。

 思っちゃいけない。考えちゃいけない。

 ようやく夢に辿り着いたのだ。これから何度も何度も、ディーナのステージを彩ることができるのだ。

 これから夢のような日々を過ごすのだから、泣いてはいけない。

 そう心に訴えかけながら、ルカは最後まで空を駆けた。



「ルカ、お疲れ……――おい、どうしたっ?」

 今日は記念すべき、ルカの魔法使いとしてのデビューの日。

 夢にまで見た空間から解放されると、ルカの全身の力はふっと抜けてしまった。片手を上げて近付く仲間の姿は一瞬で見えなくなり、やがて頭が真っ暗になる。


 自分が倒れてしまったことに気付いたのは、もう少し先のことだった。

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