どれだけ泣いたんだろう…

ズッと鼻を啜ると、鼻の奥がツンと痛んだ。


「少しは落ち着いた?」


頭上から降ってくる声に顔を上げると、桜木さんの優しい笑顔があって…


マジか…


その時になって漸く、自分の手が桜木さんの背中に回っていたことに気が付いた。


無意識だったとはいえ、恥ずかし過ぎる状況に、俺はパッと身体を起こそうとしたけど、俺を抱き締める桜木さんの力が思いのほか強くて…


結局俺は桜木さんの胸に引き戻されてしまう。

背中をポンポンと叩かれ、桜木さんの胸にビタリとくっつけた耳から聞こえる、桜木さんの心臓の音を聞いていると、どうしてだろう…凄く落ち着く。


と、同時に襲って来る睡魔に、俺は涙を拭うフリをして瞼を擦った。


でもそんなの桜木さんには全部お見通しで…


「沢山泣いたら眠たくなっちゃった…かな?」


まるで小さな子供に話しかけるような口調で言われ、俺は咄嗟に首を横に振るけど、すぐに小さく頷いて見せた。


「そっか…、じゃあもう時間も遅いし…そろそろ…」


そう言ってベッドの片隅に置かれた時計を見た桜木さんが、次に何を言おうとしているのかなんて、聞かなくたって分かる。


『帰らないで…』


俺は心の中で呟きながら、桜木さんの背中に回した腕に力を込めた。


「大田…君…?」


少し困ったような声…


「えっと…、そんなにキツく抱きつかれたら俺…、帰れなくなっちゃうんだけど…」

『だって帰したくないんだもん…』


俺は更に力を込めた。


一瞬、桜木さんの口から「ぐぇっ…」って声が漏れたような気もするけど、関係ない。

こうなったら、桜木さんが「YES」と言うまで、絶対この腕を離すもんか!


っていうか、桜木さんて…、真面目な人だとは思ってたけど、案外頑固なんだね?


ま、俺も頑固さでは負けてないけどさ(笑)


「はあ…」


溜息…だろうか、桜木さんが短く息を吐き出した。


怒って…る?


俺は桜木さんの胸に顔を埋めたまま、上目でそっと桜木さんの顔を覗き見た。


不安…だったんだ。


桜木さんともっと一緒にいたい、って思ったのは事実。

でも(もう手遅れかもしんないけど…)我儘を言って困らせて…、その結果、桜木さんに嫌われたら…って思ったら、やっぱり不安で、怖くて…


いつの間にか、こんなにも桜木さんのことを好きになっていた自分に、少しだけ驚いた。


「シャワー…、借りても良い? ついでに着替えも貸してくれると有り難いんだけど…」


えっ…、それって…


今度こそ目を見開いて見上げた視線の先で、桜木さんが「ん?」と首を傾げた。


だから俺は、桜木さんから離れることなく、左手だけを伸ばしてペンを握ると、


『パンツ、新しいの無いけど良い?』


不器用な手つきでメモ帳にペンを走らせた。


「あ、ああ…、うん、そう…だよね…」

『俺ので良ければ貸すけど?』


俺自身は、使い古した下着とか、貸すのも借りるのも、けっこう気にする方なんだけど、桜木さんは別。


「そうだね…、流石に下着無しで…ってのも落ち着かないから、貸してくれる?」

『ちょっと待ってて? 用意するから』


俺の背中から、桜木さんの腕が離れて行く。


本当はもう少しこうしていて欲しい。


でも仕方ない…


俺は僅かに痺れを感じ始めた足で立ち上がると、プラスチックケースの中から、比較的新しい下着と、寝巻き替わりになりそうなシャツとハーフパンツを取り出し、それを桜木さんに手渡した。


『タオルは風呂場にあるから、適当に使って?』


桜木さんが腰を上げ、「ありがとう」という言葉と、爽やかな笑顔を残し、部屋を出て行く。


その瞬間、力が抜けたのか…、それとも気が抜けたのか…俺はその場にペタンと崩れるように座り、熱くなり始めた顔を両手で覆った。


これじゃまるで、恋する乙女みたいじゃんかよ…

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る