空に走る

けんこや

 死んだら天に召されるのだと思っていたけれど、必ずしもそういう訳でもないらしい。


 眼の前に広がる光景はいつもとなんら変わらず、雲の上に引き寄せられる訳でも、地の底で閻魔えんま様の審判を受ける訳でもなく、もちろん異世界に転生して新しい冒険が始まる訳もなく、ただ実態のない、気体のような状態になって、いつも通りの日常に浮遊しているだけだった。


 何をどうすればいいのか全く分からなかった。


 このまま、これ以上死ぬこともできず、未来永劫世界をさまよってゆくことになるのかもしれないと思った。


 



 自分の臨終を見るのは辛かった。


 手術室の前で泣き叫ぶお母さん、お父さん。

 クソ生意気な妹の彩音も、さすがにポロポロと涙をこぼしていたっけ。


 いたたまれなかった。

 こんなことになってしまって、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだったけれど、家族に謝ることもできなかった。



 葬式は哀しみに包まれていた。


 高校二年生男子の死。こんなにもみんなを悲しませることなるのかと思うとやりきれなかった。


 俺は馬鹿で天然でクラスでも浮いていた存在だと思っていたけど、学校のみんながきちんと哀しんでいて意外だった。


 しめやかなムード、両親の悲愴、なにより同級生を失ったという、みんなにとっておそらく初めての経験がそうさせているだけなのかもしれない。だけど陸上部の顧問や担任の先生は俺のことを思いのほかきちんと見ていてくれたことも分かったし、3組の平山さんが俺に思いを寄せていた、なんてことも死んでから初めて分かった。


 知らない子だけど、ごめんな、こんなことになっちゃって、生きているうちに話ができれば楽しかっただろうな。


 

 馬鹿なことをした、と、悔やんでも悔やみきれなかった。


 大事な高校生活なのに、楽しいはずのセイシュンなのに、こんな悲しい思い出をみんなに残してしまった。それに対して自分はただ見ているだけしかできないことが歯がゆかった。


 中でも特に、一番何とかしなきゃならないのが、同じ部活のエースの、神野 葵だった。



 葵が、俺の死を皮切りに全くダメになってしまった。





 ダメというのにもいろいろな種類があるけれど、葵の場合はかなり深刻な状態だった。


 学校に行くことができない。家から出ることもできない。家の中でも部屋から出ることもできない。いや、部屋の中でもほとんどベッドの中から出ることもできなくなってしまったのだった。そういえばこいつ、俺の葬式にも来てなかったんだよな…。


 気持ちは分からないでもない。


 自転車の二人乗りで急坂をノーブレーキで交差点に突っ込んで、トラックにドン。

 

 片や脳挫傷で命を失い、方やかすり傷一つなく助かっている…。


 だけど自転車は俺のもので、もちろん俺の運転だったし、ブレーキが壊れたのも俺の整備不足なわけだし、バスで帰ろうとする葵を見つけて強引に後ろに乗せたのも、俺なんだけどな。


 だから、葵が気に病むことなんて、本当は何もないはずなんだよな…。



 葵の心をのぞくと悲鳴が聞こえる。


 葵が、葵自身を責め続ける心の声が響いてくる。



 …。


 何故、生き残ったのだ…。


 何故、僕じゃなくて、つかさが死ななきゃならなかったのだ…。


 何故、あれほど元気でひょうきんで死からもっとも遠そうな奴が、あれほどの突然の死に出会わなければならなかったのだ…。


 あの日。


 突然、絶望が目の前に転がり落ちてきたあの日。


 あの日、僕が駐輪場の前を通り過ぎなければ。


 つかさの自転車の後ろに乗らなければ。


 僕が乗らなければ、自転車のブレーキの負荷もなく壊れなかっただろうし、あいつの運転だってもっと安全だっただろうし、もし交差点に突っ込んだとしてもトラックをかわすことができて、いつも通りの日常がいつも通りにつながって、今だっていつもと同じ毎日が続いていたはずなのに。


 血まみれで処置を受けながら、救急車に運ばれるつかさ


 それをすぐそばでぼうぜんと眺めていたあの時。


 病院の霊安室、詞の顔を見る無傷の僕のことを、不思議そうに眺めていた詞の両親と妹。


 僕は…。


 僕は一体どうして生き残ってしまったんだ…


 …。



 違うぞ、葵。


 お前は生き残って当然の人間なんだ、葵。


 葵。


 お前はまだ知らないと思うが、お前はこの先の人生で、途方もない数の人々に感動を与える存在になるんだ。


 俺がもし生きていたとしても到底成し得なかった程の感動を、世界中の人たちに伝えることになるんだ。


 この状態になってから、俺はそういう未来のことが見えるようになったんだ。



 どこか遠い異国の地の沿道を、颯爽さっそうと駆け抜ける葵の姿…。


 灼熱しゃくねつのデットヒート…。


 そして、競技場の大歓声…。


 首にかかるメダルの色まではちょっと分からない…。



 しかし同時に、それとは全く別の未来の姿もゆらゆらと立ちのぼって見えてくるのはどういうことだろう。

 

 部屋の中でぷくぷく太った葵の姿。


 家を出ることもできず、高校を卒業することもできず、もちろん働きに出ることもできず、暗い部屋の中でデスクトップの明かりに向かって、誰にも分からない独り言をつぶやきながら年老いてゆく葵の姿。



 おそらく、葵には枝分かれした二つの未来があるのだろう。


 その未来への分岐点はどうやらここ数日にあるようだ、それは直感的に分かる。


 だけど、今の俺のこの状態で果たして何ができるのだろう。


 ひらひらとさまよようだけの、文字通り手も足も出せない状態のまま、どうやって葵を立ち直らせることができるだろう。


 もしかすると俺が今こうしてさまよっていることに意味があるとすれば、それは葵、お前の為なのかもしれない。

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