銃は誘う
HK15
第1話
闇の中、その古びた教会は静かに佇んでいた。
「本当にここなのか」
彼女は低い声でその男に尋ねた。
「本当でさあ」ネズミみたいな顔の、やたらと背の低いその男、現地雇いの
「わかった」彼女はうなずいた。「ご苦労さん」
「ところで、お代を……」
「ほらよ」
彼女は懐から取り出した封筒を探偵に押しつけた。中にはドル札がたっぷり詰まっていた。探偵がそそくさと中身をあらためはじめるのを横目で見やり、
「釣りは要らないぜ」
彼女はそう言って笑った。
「へえ。──あんたがそんな冗談を言えるとは思いませんでしたよ」
「よく言われる」
「さいですか」
金の勘定を終えた探偵は、封筒を懐に押し込んで、それからちらっと彼女の方を見て言った。
「ところで、コトが済んだら、どうするんです。何ならお迎えにでもあがりましょうか」
「いや、結構。あんたの仕事はここで終わりだ」
「さいですか」
「じゃあな」
彼女はそう言い残して、ここまで乗ってきたクルマ──年式落ちのホンダ・シビック──から降りた。教会に向かって歩き出す。振り返らない。しばらくして、彼女は、シビックのエンジンがかかり、その音が遠ざかっていくのを聞いた。
あとはもう諸々カタをつけるだけだ。
彼女はおもむろにジャケットの中に右手を差し入れた。手が再び出てきたとき、その手には黒い銃が握られていた。
グロック19。第4世代。グリップのバック・ストラップは、彼女の手に合うものに交換済み。
彼女はスライドをちょっと引き、薬室の中に初弾が装填されていることを確かめた。フィヨッキ製の9㎜パラベラム。弾頭は124グレインの
しかし、やらねばならない……彼女はきつく奥歯を噛みしめた。どんなことになろうと、奴は必ず倒さねばならないのだ。復讐のために、己の誇りを取り戻すために……。
彼女はため息をひとつつき、どんどんと教会に歩を進めていった。
彼女は、自他共に認める、腕利きの
業界に入ったのは15の頃だ。南部の荒くれたヒルビリー社会の中で揉まれて育った小娘。母親は早くに死に、父親も12の頃に死んだが、死ぬまでの短いあいだに、父親は彼女に
それでも、女と見れば下に見がちな旧弊なギャング社会の中で、少女がひとりでやっていくには、人にも言えないつらい思いを何度もせねばならなかった。しかし、彼女は人前で泣かなかった。安易に泣けばつけこまれる、と父親に教えられていた。いいか、ハニー、泣きたくなったらな、ツバを吐け。糞野郎どものツラに浴びせてやれ。それからな、てめえにクソ度胸があるところを見せつけてやれ。大抵の男なんてな、大口叩くしか能のねえ、しみったれのクズばっかりだ。おめえが負ける道理はねえよ。これはな、親父の贔屓の引き倒しなんかじゃねえ……。
彼女はその通りにした。口ばかり達者なクソガキどもが尻込みしてやろうとしない、極めつけにヤバい仕事を率先して請け負った。彼女はバカではなかったから、作戦を綿密に立て、しくじりがないよう予行演習を欠かさなかった。いくつもの可能性を考慮してプランを検討した。おかげで、彼女は数々の危険な仕事を首尾良く片づけることができた。最初のうちは、女だからと侮っていた年寄りの悪党たちも、そうやって彼女が殺し屋としての才覚と実力を見せつけるようになると、だんだんと見る目が変わってきた。けちな三下から組織の
教会のドアの鍵はかかってなかった。
招待であろう。
「なめやがって」
彼女は舌打ちし、ドアを一息に開けた。ひどい軋み音がした。蝶番がすっかり錆びついて、いかれかかっているらしい。普段ならこんな危険を冒したりはしないが、相手が相手であるだけに、彼女は気にしなかった。奴の不意を打つことはほとんど不可能に近いのだ。これまでも、奴に挑んで、返り討ちに遭った連中は数知れないが、その中には不意討ちを目論んだ例もいくつもあった。しかし、奴はことごとくそれを見切って、あっさりとそいつらを地獄に送ってきたのだ。生き残りの奴らを締め上げて聞き出したことだから間違いはない。彼女は敵についてよくよく調べ上げていた。
グロックを構え、ゆっくりと教会の中に踏み込む。当然ながら、教会の中は暗かった。ここは街の中心部からかなり外れているし、おまけにあいにくの曇り空で、月明かりもろくに届かない。彼女はウェポンライトをつけた。600ルーメンの光が、さあっと教会の中を照らす。長いことほったらかしにされていた割には、教会の荒廃ぶりはさほどでもなかったが、それでも方々に蜘蛛が巣を張り、ベンチには埃が白く積もっていた。説教台も、その後方にかけられた十字架も、同じく埃にまみれていた。一見きれいに見えるのは、高いところに設けられたささやかなステンドグラスだけで、それにしてもやはりいくらか曇っているように見えた。冴えねえな、と彼女は思った。奴と決着をつける舞台にしては、はっきり言ってしょぼい気がする。まあ、しかし、世の中なんて、そんなものではないか? 自分の父親だって、死んだのは薄汚れた酒場の一角だった。つまらぬケンカに巻き込まれて、にべもなく撃ち殺されたのだ。そんなところを人生終焉の地にしたい奴はそうはいるまいが、それでも運命の女神がかくあれと望めば……
「こんばんは、〈スカーレット〉」
鈴を転がすような、涼しげな声がした。
彼女は反射的にグロックをそちらに向けた。ウェポンライトの光が照らす先、さっき確認したばかりの説教台の傍らに、奴が立っていた。葬儀屋めいた黒い礼服を着こんだ、ほっそりしたシルエット。背丈は170センチくらい。抜けるように色の白い、小作りな顔が、こちらを見て、にこりと笑う。
「お久しぶり、だね。ざっと3年ぶりというところかな」
彼女はぎりっと奥歯を軋らせて、押し出すように言った。
「再見だな──〈
「〈ウィスプ〉でいいよ。呼びにくいでしょ」
「この野郎、何を馴れ馴れしく……」
「いいじゃない」〈ウィスプ〉はイタズラっぽく笑った。「だって、ぼく、久しぶりなんだもの。こうやって他人と話すのは、さ……」
「いいか。わたしは、おしゃべり、する気は、ない。お前とは」彼女ははっきりと区切るように言った。苛立ちと怒りの表現だった。こいつと吞気に話すつもりなんか、あるわけがない。「わたしの望みは、お前を、ぶっ殺すことだ。いま、この場で、だ」
「だったら、どうしてさっき撃たなかったの?」笑いながら、〈ウィスプ〉は小首を傾げた。小動物めいた、妙に愛嬌ある仕草だ。「そしたら、あっさりカタがついたでしょ。きみだったらできたはずだ。ちがう?」
「それは……」
彼女は自分に問いかけてみた。確かに〈ウィスプ〉の言うとおりなのだった。なぜわたしは撃たなかった? 千載一遇の
「けど、それを言ったら、お前も同じだろ、〈ウィスプ〉」彼女は唸るように言った。「わたしが教会に踏み込んでくる前に、お前はカタをつけることができただろ。クルマの音がわからなかったはずはないよな。それに、教会にわたしが踏み込んでからも、いくらでも撃つ機会はあったよな。なぜそうしなかった?」
〈ウィスプ〉はイタズラっぽい笑みをさらに深くした。
「そうだね──簡単にカタをつけるのは面白くないから、かな」
「わたしも同じことだよ」彼女は言った。「お前との決着は、きっちりつけておきたいのさ。
〈ウィスプ〉はそれを聞いて、にこりと笑い、言った。
「やっぱりきみは、ぼくが見込んだとおりの
〈ウィスプ〉は彼女の方に踏み出した。右手を礼服の内側に差し入れる。出てきた手には、鋼鉄の地肌を青光りさせる、滑らかでスマートなシルエットの、銃身の長い拳銃が握られていた。
彼女はそれが何だかよく知っていた。ルーガーP08/14、いわゆる
よく見ると、〈ウィスプ〉のルーガーには、でっかい32連
「さあて」
〈ウィスプ〉はルーガーのトグルをつまんで引き、手を離した。パシッ! と鋭い音を立てて、トグルは閉じ、薬室に初弾を送り込む。ルーガーの全体から、途端に獰猛な殺気が溢れ出した──眠っていた野獣が目覚めたように。同時に、彼女の目には、〈ウィスプ〉のルーガーが、青白い鬼火をまとったように見えた。
あのときと同じだ。
彼女はかすかな目まいを感じる。
「はじめようか、〈スカーレット〉。──夜は長いようで短いからね」
〈ウィスプ〉は、言った。
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