通勤と通学の電車


 最近、朝起きるとなぜか幸せな気持ちで満たされている。

 楽しい夢を見たわけでもないし、特別な出来事があったわけでもない。


 だが、幸せな時間を過ごしているという実感がある。


 ベッドから体を起こした時、スマホにLINEが届いた。

 それは結衣花からだった。


『朝食の準備に行ってもいい?』

『ああ、待ってる』


 ぼさぼさの髪のまま俺は玄関のドアを開けた。

 すると結衣花が部屋着姿で立っている。


「おはよ。お兄さん」

「よぉ、結衣花」


 結衣花が引っ越してきてから約二週間ほど経つ。

 もっとバタバタするかと思ったが、それほど大変なことはなかった。


 結衣花は朝食の準備をし、俺はその手伝いをする。

 日によって逆になることもあるが、大抵はこのパターンで毎日が進んでいた。


   ◆


 朝食を済ませて支度をし、家を出た俺達は電車に乗る。


 俺は通勤、結衣花は通学。

 先頭車両の一番前で何気ない会話をして朝を過ごすと言うのが、なんだかんだで楽しかったりする。


 すると結衣花は俺の腕に掴まり、いつものように二回ムニった。

 俺って好かれてるよな。


「どうだ、俺のスタンションポール力は?」

「変な自慢の仕方。でもなかなかいいよ。褒めて遣わす」

「上から目線は本当に変わんねえよな」

「お兄さんはかなり変わったけどね」


 俺が変わった?

 そうだな。確かにそうかもしれない。


 結衣花に会った当初は無愛想の塊だったが、以前と比べて生きるのが楽になったような気がする。


「デキるクールな男ってところは変わってないけどな」

「アホなところは変わってないからホッとする」

「ひどい」


 とはいえ、生まれつきの人相だけはどうすることもできず、初対面の人から誤解を受けることは今も少なくない。


 しかし最近会った白いベレー帽の幼女・四季岡しきおか紫亜しあは初対面から馴れ馴れしかったな。

 もしかして俺、生意気な奴から好かれる隠れスキルでも持ってるんじゃないのか? 


「それにしても結衣花は俺の腕が好きだよな」

「喜びすぎだよ」

「喜んでねぇよ」

「じゃあ、離すね」

「おう」


 言った通り結衣花は手を離す。

 解放された俺の腕に自由が戻ってきた。


 まぁ、どうせすぐに掴まってくるだろ。

 ……と、思ったが結衣花はそのままだ。


 チラリと見ると、結衣花もこっちを見てきた。


「腕に掴まって欲しいの?」

「いや、別に。結衣花こそ掴まりたいんだろ?」

「ううん、どっちでもいい」

「素直になれよ」

「お兄さんこそ、素直になるべきじゃないかな」


 これは高度な心理戦と見た。

 先に折れた方が、この後の生活で主導権を握ることができるのだ。


 そういえば楓坂も同居生活はどちらか主導権を握るかという戦いだと言っていたっけ。

 実際、楓坂と俺とでは主導権はやや向こう側にあったような気がする。


 しかし、いつも掴まってるのになにもしてくれないというのはさびしいものだ。

 少し揺さぶってみるか。


「なぁ、結衣花。せっかくだから提案をしよう」

「聞いてあげる」

「今俺の腕に掴まると、揉みごたえが二倍のキャンペーンなんだ」

「特典内容が興味をそそらないなぁ」


 と言いつつ、結衣花は手をムニムニと動かしていた。

 さては結衣花もさびしいんだな。

 くっくっく。いつも負けっぱなしだが、今日こそ俺の勝ちのようだ。


 だが彼女は言う。


「そろそろ降参してもいいよ」

「形勢は俺の方が有利だと思うのだが?」

「じゃあ、そろそろケリを付けてあげようかな」

「ほぅ……。自信があるようだな」

「あるのは確信だけどね」


 なんだ、この強者のオーラは……。

 まさか本当に切り札を? いや、まさかそんなことは……。


 ダメだ、弱気になるな!

 今回はめずらしく俺の方が有利なんだ。

 絶対に勝つ!


「今日の夕食だけど、お兄さんが大好きなビーフシチューにしようかな」

「なに!?」

「でも手が疲れるから他のにしようかなぁ。なにかに掴まればビーフシチューを作れるのになぁ」


 お……おのれ……。なんという猛攻!

 まさか夕食を武器として利用するとは!!


 だが、まだだ。俺はまだ耐えることができる。


「甘かったな、結衣花。その程度の攻撃で俺が屈すると思ったか」

「お兄さんも成長してるね。やるじゃん」

「結衣花もよくやったよ。褒美に俺の腕に掴まっていいぞ」

「敬語」

「掴まってください。そしてビーフシチューを作ってください」

「よろしい」


 こうして朝のささやかな俺の抵抗は敗北という形で終わった。


 大人とは負けを受け入れて前に進む生物なのだ。

 だからいいんだ。勝負に負けても心は負けていないんだ。

 ……たぶん。


「そういえば……」


 俺の腕を二回ムニった結衣花は話を変えてきた。


「今度のイベントに使うイラスト、まだできてないけど大丈夫?」

「ああ、時間は余裕があるから結衣花のペースに合わせるよ」

「いいイメージができてるから、もう少しすればできると思う」

「協力できることがあったら言ってくれよ」

「うん、ありがとう」


 結衣花はまだスランプから抜け出せていないようだが、あまり思い悩んでいるというわけではなさそうだ。

 むしろポジティブに受け止めている節さえある。


 もし時間制限があれば苦しい状況だったかもしれないが、もしかするとこのスランプは結衣花がレベルアップする前の予兆なのではないだろうか。


 だとすれば結衣花のペースを確保するためにスケジュールを調整をしておいた方が良さそうだな。


 よし! 俺にできることをきっちりやっていこう。



■――あとがき――■

いつも読んで頂き、ありがとうございます。

☆評価・♡応援、とても励みになっています。


次回、自宅で映画鑑賞。いい雰囲気になりそう。


投稿は朝7時15分。

よろしくお願いします。(*’ワ’*)

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