第六章

魔帝シン・アースガルズ

 時間は、アルベロが模擬戦を行う前に巻き戻る───。


 ◇◇◇◇◇◇


 世界のどこかにある、どこか。

 そこは、貴族が茶会でも開くような造りの部屋で、部屋の中央にベッドがあった。天井には豪華で巨大なシャンデリアが吊り下がり、床には高級な絨毯が引かれ、テーブルや椅子に至るまで超高級品だった。

 だが、その部屋は異常なまでの広さだった。天井までの高さは優に五十メートル、部屋の横幅は百メートル以上ある。

 そこに、漆黒のモヤのような『何か』があった。

 そのモヤは、黒い霧のようにも、焚火の煙のようにも、ただの黒いモヤのようにも見えた。

 モヤは、ベッドの中央でモヤモヤと漂っている。

 すると───部屋のドアが開き、一人の男性が入ってきた。


「お茶を、お持ちしました」


 男性は、二十代前半ほど。白髪をオールバックにし、羊のように巻いたツノが側頭部から生えていた。

 肌は褐色、着ている服は執事服。ティーカートを押す姿は執事にしか見えない。

 男の名は、ベルゼブブ。

 ヒトは『強欲』の魔人ベルゼブブと呼んでいた。

 ベルゼブブは、慣れた手つきで紅茶を淹れる。


「報告がございます」


 ベルゼブブは、淹れたての紅茶をベッドサイドテーブルへ。すると、モヤがティーカップを覆い、淹れたての紅茶が蒸発するように消えた。

 ベルゼブブは、紅茶のお代わりを用意しながら話を続ける。


「『嫉妬』と『怠惰』が裏切りました。ええ、奴らはヒトの与えた名で呼ぶに相応しい。あなた様を裏切りました……ヒトの味方をし、我々を裏切りました」


 ベルゼブブは、レイヴィニアとニスロクの裏切りを報告した。

 すると、モヤがゆらゆらと揺らめき、ベルゼブブの身体に纏わりつく。


「そうですか……はい。どのみち、奴らはもう不要。あなた様が復活すれば、あの程度の能力はいくらでも代用可能です。オウガに関しては……ええ、敗北しました。相手は……ジャバウォックです」

『───』


 揺らめいたモヤが、ピタリと停止───だが、すぐに動きだす。

 

「ジャバウォック。かつてあなた様に敗北した裏切り者。あなた様の慈悲で『あちらの世界』に送り返しましたが、どうやら姿を変えて人間と『つながった』ようです。その人間に寄生し、力を取り戻した…………なんて・・・馬鹿なことを・・・・・・

『───』

「も、申し訳ございません!!」


 モヤがベルゼブブの首を掴んでいた・・・・・

 ベルゼブブは慌てて謝罪すると、モヤがゆっくり離れていく。

 

「申し訳ございませんでした。我が主、シン・アースガルズ様」

 

 ベルゼブブが呼んだ名は、始まりの召喚士にして『魔帝』と呼ばれた、最強最悪の召喚士の名前だった。


 ◇◇◇◇◇◇


 ベルゼブブは、ベッドの前で跪く。


「我が主。主の完全復活までもう間もなく……ですが、人間の召喚士側の戦力、決して無視できないレベルとなりつつあります」


 モヤがゆらりと揺らめく。


「ジャバウォックの覚醒。それと、ヒトと完全に交わった・・・・・・・・・・個体も数を増しています。ジャバウォックのような『完全侵食』に至れば、私とフロレンティアだけでは少々厳しいかと」


 モヤは、規模を変えて揺らめく。まるでベルゼブブの言葉に反応しているようだ。


「七体の魔人も、残りは私とフロレンティアのみ……もちろん、完全復活した主一人ですべては事足りることでしょう。ですが、私は……私は、主にそのような手間をかけさせたくないのです!! 私が、私が主の手足となり、何もかも……そう、何もかもしてやりたい!! ああ、私は求めすぎている!! この世に主がいるだけでいいのに、私は、私は……ああああああああっ!!」


 ベルゼブブは急に取り乱した。

 土下座し、床に頭を何度も打ち付けている。すると、モヤがそっとベルゼブブを包む。


「主!? ああ、わ、私のような『強欲』まみれの愚か者に、ああ……」


 ベルゼブブは感極まって泣いていた。

 すると───モヤの形が変わる。

 漆黒のモヤが細長くなり、先端が五つに分かれる……分かれた先端の長さはそれぞれ違う。

 そう、それは『黒いモヤのような右手・・』だった。


「お、おぉぉ……あ、主!!」


 モヤの右手がゆっくり開くと、空間に亀裂が入る。

 そして、亀裂に手をねじ込み───ゆっくりと引き戻される。すると、その手には二体の巨大な『召喚獣』が掴まれていた。

 一体は、全長四十メートル以上ある巨大な『翼竜』。

 もう一体は、同じくらい巨大な『亀』だった。

 漆黒のモヤに掴まれた二体の召喚獣の目は、真っ赤に染まっていた。まるで、強烈な何かに干渉されたような……。

 すると、モヤの右手がさらに巨大化し、二体の召喚獣を包み込む。咀嚼するかのように指先がグチャグチャと動き、ベルゼブブの前でそっと開かれた。


「おぉ……!!」


 右手が、ただのモヤに戻った。

 そして、床に転がったのは二人の少年と少女・・・・・

 二人は全裸のままゆっくりと起き上がる。一人は腰近くまで真っ白な髪、額に一本のツノが伸びたた十八歳くらいの少女、もう一人はボサボサの白髪で頭頂部に太い日本のツノが伸びた目元が見えない少年だ。

 二人は全裸だというのに羞恥心がない。身体を隠そうともせず、ぼーっとベルゼブブを見た。

 ベルゼブブは、満足そうに言う。


「さて、あなた方の名を」

「……バハムート」

「……ミドガルズオルム」

「よくできました」


 少女は、バハムートと名乗った。

 少年は、ミドガルズオルムと名乗った。

 ベルゼブブは一礼する。


「今日からあなたたち二人は、私の『兄弟』です」


 これが、新たな『嫉妬』の魔人バハムートと『怠惰』の魔人ミドガルズオルムの誕生だった。

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