剛柔流の先生が剛柔流の開祖を知らない?


紹介文にもある通り、筆者が通っていた道場は剛柔流という流派でした。


そして、剛柔流を作った開祖の名は、宮城長順みやぎちょうじゅん(1888〜1953)と言います。


筆者がその名を知ったのは、空手を始めて10年以上も経ってからでした。その頃、筆者は三段を取得しており、道場では師範代という立場で、子どもたちからは先生と呼ばれていました。


つまり、剛柔流の先生が剛柔流の開祖の名前すら知らなかったのです。


これは少し大げさに言えば、

教会の神父さんがイエス・キリストを知らないようなものです。お寺のお坊さんがブッダを知らないようなものです。


いったいなぜ、ここまでの無知がまかり通っていたのでしょうか?


誰も教えてくれないからです。

筆者の先生である本部道場の先生も、筆者が指導員を務めた支部道場の支部長先生も、ただの一度たりとも開祖の名を口にしたことがなかったのです。


例によって相手に恥をかかせる可能性があったため結局最後まで聞くことができませんでしたが、もしかして……いや、もしかしなくても、師範である支部長先生(五段)も、最高師範である本部長先生(七段)も、開祖のことを知らなかったのではないでしょうか?


剛柔流の看板を掲げておきながら、剛柔流開祖のことを知らない…?


いや、さすがに支部長先生はともかく、道場主である本部長先生は知っていたとしましょう。

だとしても、知っているのは名前だけで、開祖の教えがまるで伝わっていないのは確かです。


『剛柔流は三戦サンチンに始まり三戦に終わる』


開祖にそう言わしめるほど三戦は重要な型だと言うのに、道場では明らかに軽視されていました。おそらくは、見栄えしないという理由で。


三戦は昇段審査の前に少し練習するくらいで、壱百零八手スーパーリンペイ久留頓破クルルンファなど、派手で見栄えの良い型を熱心に指導されていました。



開祖がお亡くなりになってからまだ一世紀も経っていないというのに、時代の流れとは恐ろしいものです。


しかし、これもまた現代空手の実態なのです。

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