第33話

 サーラたちが帰った翌日、新たなお客がやって来た。

 ダンテ教官のトレーニングがちょうど終わりという時にジーナが少し慌てた様子で庭へと姿を見せ、落ち着きのないまま私のところへ駆け寄ってきたのだ。


「え、お客さん? 私に?」


 顎に流れる汗を手の甲で拭い、私は眉をしかめた。ジーナは落ち着かない様子で頷いている。


「はい。今、サロンでお待ち頂いているのですが…………」


 続けようとしたジーナの言葉を離れたところから響いた元気な声が遮った。


「おーーーい!」


 声の方へ目をやると、見覚えのある少年が大きく手を振っている。そしてその少し後ろに大きなブラウンのキャスケットを目深に被った少年が立っていた。


「え、ジャック?」


 なんで? と思ってる間に、ジャックが駆け寄り、もう一人の少年はゆっくりとジャックの後を歩いて向かって来る。


「やっほ! 来ちゃったー」


 わはは、と満面の笑顔で言ったジャックだが、ダンテ教官の姿を見つけ驚いた顔に変わる。


「げっ! ウィンカート卿?! なんでここに?」

「おージャック殿! そういう君こそ、どうしたんだね?」


 驚き目を見張るジャックにいつも通りのビッグスマイルだが、どこか含みがあるような笑みにも見えるダンテ教官。彼の問いにジャックはやや警戒しつつ答える。

 

「俺はフェリックスと遊ぼうと思って…………」

「君たちは友達なのか! ところで、先程のげっ! というのは何かな?」

「えっ!? そんなこと言いましたっけー?」


 白い歯を見せるダンテ教官にジャックはとぼけたように視線を外す。

 なんか、ジャックの反応は分からなくもなく、苦笑を浮かべていると大きなキャスケットを被った少年がやって来て私の名前を呼んだ。


「フェリックス…………」

「え? あっ! もしかして、アルゲンタム殿下?!」

「えっ!?」


 目深に被った帽子のつばで顔が半分隠れていて遠くからだと分からなかったが、サファイアのような美しい瞳には見覚えがあった。

 アルゲンタムという名に敏感に反応したセバスチャンが私の元に駆け寄り、ギュっと背後から服を掴みアルゲンタムを睨む。


「えっ? えっ? で、ででで殿下?!」


 予想外の名前に驚きすぎてジーナはオロオロとし、ライアンは少し離れた位置から興味津々な視線を向けている。様子見を決め込む気のようだ。


「ど、どうされたんですか?」


 今日来るという約束はしていないはずだが何かあったんだろうか、と背中に冷や汗流しながら聞いた私にジャックは明るい笑顔で


「いやー王宮に行ったらアルが暇そうにしてたんで、どうせならフェリックスのとこに遊びに行こうぜーって誘ったんだよ」


 と言った。


「…………別に暇な訳じゃない」


 ジャックの言葉に微かに眉を寄せたアルゲンタム。だが、ジャックは気にせずしゃべり続ける。


「ほんとはルーも誘いたかったんだけどさ、そうするとブランシュまで付いてきてウルサイから、王宮でブランシュのお守りを押し付けてきた」

「お守りって」


 わはは、と笑うジャックに苦笑していると、ところでさ、と私の耳元に顔を寄せて小声でチラリとダンテ教官を気にしながら尋ねてきた。


「なんでウィンカート卿がココにいんの?」

「なんでって、私たちの身体トレーニングの家庭教師として来てもらっていて…………」

「家庭教師!? マジで!?」

「はーっはっはー!! ジャック殿も一緒にどうかね?!」


 いつの間に背後に距離を詰めていたのかダンテ教官の大声が響く。ビクっと体を震わせ驚く私とジャック。突然の大音量は心臓に悪いので止めていただきたい。


「いや、えっと、ケッコウデス」

「遠慮せずとも良いのですよ! はっはっは!」


 ジャックと教官のやり取りを見ていると、小声でジーナに名前を呼ばれた。

 チラチラとアルゲンタムの様子を伺っているジーナに、私は今の状況にはたと我にかえる。

 

「あ、あの。こんなところで立ち話もなんですからサロンに行きましょうか」


 私の言葉にホッとした顔になったジーナは一足先に動き出し、サロンへと去って行き、私はぴったりとくっつくセバスチャンを背にアルゲンタムをエスコートし屋敷へと気持ちゆっくりと移動した。


 少し遠回りをし、軽く庭などの案内をしながらジーナたちの準備の時間と心の準備の時間を稼ぎつつ、サロンに着くと少し傾いた太陽の柔らかな光が差し込む明るい室内に静かな緊張が走っていた。


 私の目の前に座るキャスケットを外したアルゲンタムは、まるで天使のような美しい存在感を放ちながら紅茶を啜っている。

 その様子を遠巻きにしつつ、アシルやジーナたちが緊張の面持ちで動いている姿がアルゲンタムの背後に見え、私は心の中でごめんなさい、と謝っていた。


 セバスチャンはセバスチャンで、私の隣を死守しつつ、不機嫌な顔でアルゲンタムを見ている。嗜めてはみたが効果はなく、アルゲンタムの方はまったく気にしていないようだが、私はヒヤヒヤものだ。


 ジャックは、先刻帰っていったダンテの言葉を気にしているのか眉をしかめ、少し上の空。

 サロンで一緒にお茶をと誘ったが、用事があると帰ったダンテ教官は帰り際に


「仲が良いのは素晴らしい! 思う存分親睦を深めたまえジャック殿!」


 と、何故か意味深にジャックへそう言ったのだ。ジャックとダンテの関係性は分からないが、関わりは薄くはないのだろう。

 だが、考えてもムダと思ったのか、ぱっと思考を切り替えてジャックはいつもの笑みを私に向けた。


「いやーほんとビックリしたよ。来たらウィンカート卿がいるんだもんなー」

「あはは」


 ジャックの言葉に私は苦笑を浮かべた。


「ジャックはダンテ教官が苦手なの?」

「苦手ってゆーか、んー…………やっぱ苦手」


 腕を組んでしばらく考えていたが、きぱっと言い放ったジャックに私は笑った。様子を伺うように黙っていたセバスチャンもジャックの言葉に口を開く。


「ライアンも苦手って言ってた」

「ライアンってさっき一緒にいた?」

「そう。ムチャクチャだし、何考えてるのか分かんないって」

「わーすっげぇ分かるわぁ!」


 眉尻を下げて笑ったジャックは庭の方へと顔を向けた。


「あーライアンと話してみたかったなぁ」


 残念そうに言ったジャックにつられて、私も顔を庭へと向ける。

 断られるだろうなと思いつつこの場にライアンも誘ったのだが、案の定


「使用人が雇い主の客人とお茶とかありえねーから」


 と、さっさと庭小屋へと戻ってしまった。ライアンはどんな時でも自分の立場を分かっていたし、そこから逸脱するような行動はしないのだ。少しくらい良いのに、とも思うが、そこは彼の美点であり彼に対する信頼の土台でもあった。

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