第25話
翌日、あたしとハルは横浜駅で待ち合わせた。
横浜駅の4番線から京浜東北線に乗ると乗り換え無しで秋葉原駅に着く。
秋葉原駅で、あたしたちはナオと待ち合わせしていた。
待ち合わせ時刻は10時45分。
待ち合わせ場所は秋葉原駅の改札口。
ハルとふたり秋葉原へ向かう車中では、
「結衣さ、アニメとかって見るの?」
向かう場所が秋葉原だからか、ハルはそんなことをあたしに聞いた。
「んー、最近は全然見てないかな。
最後に見たのが、NANAとかハチクロとか。NANAはあんまりだったかな」
「え? じゃぁハルヒとか、らきすたとか見てないの?」
とても驚いた顔をしたハルの顔に、あたしは驚いた。
その当たり前のように飛び出してきた「ハルヒ」とか「らきすた」っていうのが何なのかあたしにはさっぱりわからなくて、あたしはそのときはじめて、ハルがちょっとオタク入ってることに気づいた。
「ハルさ、いつもゲーセンで挌闘ゲームばっかりやってるよね。家ではどんなゲームしてるの?」
試しにそんな質問をしてみると、
「んー、RPGが多いかなぁ。
就職してからあんまりやらなくなっちゃったけど。
去年は結構やったよ。年間40本プレイしたから」
全力で気持ち悪い回答が返ってきた。
「まぁ、でも全然多くないんだけどね」
その言葉に驚いたあたしに、
「あ、いや、一般人から見たら普通に気持ち悪いんだろうけど」
ハルはそう言った。
ハルは一般人から見たら普通に気持ち悪いけど、オタクの中ではまだまだヌルいオタクらしい。
あたしはなんだか複雑な気持ちにさせられた。
秋葉原駅で改札口を出てすぐの伝言板が待ち合わせ場所だった。
あたしたちが改札を出る頃、ナオからハルにメールが届いていた。
>ごめん!!
>ハヤテのごとくに熱中してしまい遅刻する……
ハルはケータイのメール画面をあたしに見せた。
>お嬢様には急な仕事でって言っておいてくれるか?
「ねぇ、ハヤテのごとくって何?」
「ハヤテのごとく」は、平凡な公立高校に通う普通の高校1年生綾崎ハヤテが、両親が博打や酒が好きで、しかも働こうとしないため、自ら生活費を稼ぐ必要がありアルバイト漬けの毎日を送っている、といういたたまれない家庭に育った女の子のアニメらしい。
しかし2004年のクリスマスイブ、両親は、博打で作った借金1億5680万4000円の弁済のため、ハヤテを借金取りの鬼武者ノ小路系ヤクザに売り渡し、失踪してしまった。
借金を取り立てようとするヤクザから逃げ出したハヤテは、行き着いた公園内の自動販売機前に偶然いた少女を営利誘拐して弁済資金を得ようと目論む。しかし、ハヤテが少女に対して誘拐宣言のつもりで言った言葉が微妙な言い回しであったため、少女は愛の告白だと勘違い。さらに、ハヤテがその場を離れた隙に現れた別の誘拐犯たちからハヤテが少女を劇的に救出したこともあって、少女はハヤテに一目惚れしてしまう。
大富豪の三千院家令嬢であるその少女、三千院ナギは、ハヤテを執事として雇うことを決め、借金も立て替え払いした。こうして、ナギを守るため、そしてナギに借金を返すため、借金執事・綾崎ハヤテの日々は始まった。
そんな物語らしい。
「それっておもしろいの?」
一応ヤクザの孫のあたしには、たぶん向いてないなと思った。
ナオは27歳のバツイチ。鬼頭建設の現場監督だ。
そんな人が、アニメに熱中してしまい遅刻する。
「オタクってそういうしょうがない生き物なんです」
なぜか、ハルが敬語でそう言った。
無事ハヤテのごとくに熱中してしまったナオと合流したあたしたちは、秋葉原の商店街を歩いた。
ナオとハルはお洒落な服屋の前を通るたびに「アウェーだ」と呟いては、その隣にあるフィギュア専門店に入っては「ここがぼくたちのホームだ」と笑いあった。
あたしにはまったく意味が理解できなかったのだけれど、「苺ましまろお泊り編5種セット1575円」という、どうやらガチャガチャのフィギュアを全種類セットにしたもの? を手にとるナオに、
「ナオさん、ボークスって知ってますか? 秋葉原で一番大きいフィギュア専門店なんですけど」
そう問いかけるハル。
「先生、そこに行けば、苺ましまろの水着編とかお風呂編のセットもありますか!?」
なぜかナオまで、ハルのことを先生と呼んだ。
「もちろんですよ! きっとありますよ! 師匠!!」
職場だけではわからない、「先生」「師匠」と呼び合うふたりの間柄をあたしは目の当たりにして言葉を失った。
その関係は、ダイの大冒険という漫画で魔法使いのポップが師アバンのことを先生と呼び、同じく師であるマトリフのことを師匠と呼ぶというところからきているとかきていないとか。
あたしには本当にどうでもいい話だった。
「じゃぁ、後でそこ連れてってください」
ナオは苺ましまろお泊り編5種セットを持ってレジへ向かった。
「これ、ほんとに全種類そろってるんですよね? ほんとに全種類そろってるんですよね?」
と彼は執拗に店員さんに確認し、苦笑いされていた。
ナオがお金を支払ったあと、あたしたちは店を後にした。
──ねぇ、今度ナオと三人で秋葉原に行かない?
数日前、そんな言葉を口にしてしまったことをあたしはだいぶ後悔していた。
ハルとナオ曰く、今日はあたしのために秋葉原ならではの3軒のカフェをはしごして、秋葉原のオタクスポットを満喫しようというものなのだそうだ。
1軒目のアリスカフェは、不思議の国のアリスの世界を再現したカフェだった。
そこは、小さな入り口のドア、それ以上に小さい非常口、大きめに作られたゆったりしたソファやテーブル、そしてアリスの格好をした店員さんたち、店内のすべてをアリス色に染めた、女の子が好きそうなカフェだった。
ナオさんはアフターヌーンティーセットを、あまりおなかがすいていないというハルはミルクティーを、あたしはランチメニューのプレートセットに食後のデザートをセットでつけてもらった。
ハルのミルクティーは600円もして、一口飲むたびにハルは、
「もうリプトンが飲めねぇ」
そんなことを呟き、
「もうリプトンが飲めねぇ」
繰り返していた。
そんな発作がようやく収まった頃のことだ。
「実は、お嬢様とハルにお話ししておかなければならないことがあるんですが……」
ナオは突然改まってあたしたちに話を始めた。
「実は、再婚を考えている相手がいるんです」
そう言った。
別にあたしは驚かなかった。
ナオはバツイチだったけれど、そこはやっぱりあたしの初恋の相手だけあって、背が高くてちゃんとお洒落もしていたし、27歳で鬼頭建設の現場監督を任されているナオは、年収はたぶん同い年のサラリーマンたちよりは多かった。
女の子がナオを放っておくわけがないと思った。
けれど、ハルはナオの突然の告白に目が点になっていた。
「え? こどもができちゃったとか……、そういうことですか?」
ハルがそう聞いた。
「いや、そういうわけじゃないんだけど、そろそろ結婚しちゃおうかなぁって」
「だって、相手まだ高校生じゃないですか!?」
さすがにそれには驚かされた。
「はい、彼女はお嬢様やハルと同い年で。
今、料理の勉強してて、留学したがってるんです。
留学の前に籍を入れておきたくて。
ぼく、大学行ってないじゃないですか」
矢継ぎ早に飛び出す言葉にあたしたちはただ、うなづくことしかできなかった。
「会社やめて、大学、行こうと思って。
今ぼくも勉強してるんです。
経済学部を志望してるんですけど、その、彼女が留学して料理の勉強をして日本に帰ってきたらお店を開きたいって言ってまして、いっしょにお店を開くために経済のこと勉強しとこうかなぁなんて。
講義もそういう関係のをとっていこうかなぁなんて、そんな風に考えてて……」
20代も折り返しにかかったものの、離婚してから女っ気がまるでなかったナオが、幸せそうに将来の夢を語るその姿を、あたしたちはただただ呆然と聞く他なかった。
「あ、彼女の写メありますけど見ますか?」
ナオのそんなお言葉に、
「見せてください。お願いします」
あたしたちは懇願するように、彼女の写メのご開帳をお願いした。
「嫁は、なごみっていうんですけど……」
ナオの彼女のなごみちゃんは、18禁アダルトゲームのキャラクター(※)だった。
※
>椰子なごみ(やし なごみ)
>
>強気属性:孤高 デレタイプ:完全デレ(依存)
>
>声優:海原エレナ/小林ゆう
>
>レオの後輩でクラスは1-B。成績はそこそこで運動神経も優秀。きつめの美人で背も高い。実は視力が悪く(遺伝)細かい作業の時はメガネをかけるが、コンプレックスがあるため普段はしていない(ゲーム中ではもうひとつコンプレックスが判明する)。ある理由でレオに借りを作り、生徒会執行部に入る事になる。代わりが見つかるまでという条件だが、エリカにその気は全くない。
>
>礼儀を重んじる性格なのでレオたち上級生には敬語で話すが、まったく誠意がこもってない。エリカからは「なごみん」と呼ばれているが本人は嫌がっている。きぬとは犬猿の仲で何かといがみ合っており、きぬにだけは一切敬語を使わない。きぬには「ココナッツ」と呼ばれ、きぬを「カニ」又は「甲殻類」と呼ぶ。きぬがアルバイトをしている店「オアシス」の常連客で、完食すればタダになる超激辛カレーを普通に食べる事ができ、「辛口キング」の異名で恐れられている。
>
>孤独を好み、友達を作らずにいつも一人で行動している。学校では人気のない屋上にいる事が多い。ある事情で家に居着かず、夜になると駅の近くを出回ることが多い。「ウザイ」「キモイ」が口癖で、目障りな相手には「潰すぞ」と脅しをかける攻撃的な性格。だがそれは未成熟で依存心の高い彼女の心を守る壁であり、不器用さの現れでもある。幼い頃に父親を亡くしており、実はかなり重度のファザコン。趣味、特技である「料理」に強い思い入れがあり、食材を粗末にされたり適当な事を言われると激怒する。将来は家業を継ぐつもりらしいが、時折思い悩む場面もある。
>
>公式ページで3回行われた人気投票では第1回と第3回で1位になっている。更に、きゃんでぃそふと全ヒロインキャラの人気投票でも1位に輝いている。ツンデレという言葉を体現するようなストーリーや人気の高さからフィギュアの宣伝文句では「最強のツンデレクイーン」と称されている。
>
>(つよきす - Wikipedia より)
あたしは、ナオがどうしてバツイチなのか、少しだけわかった気がした。
ナオの突然の告白から数時間、アリスカフェを後にしたあたしたちはその後、ゲーマーズというお店へと向かった。
そこは1階にコミック、2階にアニメ関連のCDやDVDがあり、3階ではコスプレ衣装を扱っていて、4階ではガチャガチャとカードゲームが楽しめるスペースがあるお店だった。
4階はイベントスペースに代わることもあり、今日は新谷良子という人のサイン会が行われていた。
「声優さん?」
とあたしが訊くと、
「何を言ってるんですか、お嬢様!」
ナオに叱られてしまった。
「何を言ってるんですか! 新谷良子を知らないんですか?」
もう一度叱られた上に、新谷良子を知らなかったことを咎められてしまった。
「ひだまりスケッチの沙英ちゃんですよ!」
知りません。
「風のスティグマの魔法少女しーちゃんですよ!」
わかりません。
「さよなら絶望先生の日塔奈美ですよ!」
ごめんなさい。
「ケンコー全裸系水泳部ウミショーの黄瀬早苗ですよ!」
まず、ケンコー全裸系水泳部の説明から頼む。
イベントに参加するには整理券が必要らしく、その整理券を手に入れるためにはCDを購入しなければいけないようだった。
4階へと続く階段には整理券を回収する店員さんがいて、整理券がなければ、新谷良子さんを一目見ることさえままならない様子だった。
しかし、1階の出入り口すぐそばに平積みにされたCDの上には、
「整理券の配布は終了しました」
という、残念なおしらせがあった。
だけど、まだイベントはまだ始まっていない様子で、
「新谷良子さんのサイン会の受付はこちらでーす」
新谷良子さんを一目見られるかもしれない、と諦めきれないナオとハルは4階へと続く階段のそばで、階段を凝視していた。
「新谷良子さんのサイン会、まもなくはじまります」
「新谷良子さんのサイン会、はじまりました!」
どうやら新谷良子さんはすでに4階にスタンバイしていたのか、あるいは従業員専用の階段かエレベーターか何かで4階へと上ってしまったようだった。
「じんだにりょうござぁぁぁん」
新谷良子さんを一目見ることすら叶わず男泣きをするナオの肩を、ハルはそっと抱いた。
そこは3階でコスプレ衣装の階だった。
扱っているのはコスプレ衣装だけじゃなくて、あたしたちのすぐ後ろには抱き枕のコーナーがあった。
そこには無数の抱き枕カバーが所狭しと並んでいた。
「新谷良子さんには会えなかったのは残念でしたけど、ナオさん、この抱き枕を見てください」
ハルは一枚の抱き枕カバーを手にとった。
あたしはそれの説明を読みあげた。
「全国のお兄ちゃん待望の抱き枕カバーがついに登場!
ちょっとHな制服姿の由夢と甘えた表情が可愛いパジャマ姿の由夢の両面仕様だよ!
もちろんイラストは原画家・たにはらなつき氏の描きおろし!
当然買ってくれますよね、お兄ちゃん?」
あたしにはそこに書かれていた一単語も理解できなかった。
「こんないやらしい抱き枕が、9,450円で買えるんですよ。万札を一枚出せば550円もお釣りがくるんですよ」
「うぅぅ、せ、先生……」
またナオがハルを先生と呼んだ。
「新谷良子さんにはいつかまたきっと会える機会があります。今はこの空間を楽しみましょう。抱き枕を楽しみましょう」
「は、はい、先生の言う通りですよね。ありがとうございます。ぼく、今は抱き枕を楽しみます!」
あたしには、このときのハルの励まし方が正しかったのか否か、明らかに間違っている気がした。
「……あれ、そういえば、ナオさんは?」
2時を過ぎる頃、いつの間にかナオの姿が見当たらなくなっていた。
「え? さっき下の階見てくるとか言ってたけど……」
あたしがそう答えると、ハルはそろそろメイドカフェの予約を済ませておきたい時間なのだと言った。
ふたりが足しげく通うメイドカフェは、今の時間なら大体十数組のご主人様やお嬢様がお待ちになっているそうだ。
まんだらけというお店や、ハルがあとでナオを連れて行くと言っていたフィギュアショップで一時間ほど時間を潰せば、3時過ぎにはメイドカフェでアフターヌーンティーを楽しめるらしい。
しかし、2階にも1階にもナオの姿は見当たらなかった。
「まさか、ひとり抜け駆けして新谷良子さんのサイン会に参加してるんじゃ……」
ハルは驚愕の表情でそんな言葉を口にした。
そんな、まさか、いや、あるいは、いやいや、そんなことはないはず……。
あたしもなぜだかそんな気がしていた。
ハルがナオの携帯に「今どこですか?」とメールを入れた。
返事はすぐに返ってきた。
>メイドカフェのあるグッドウィルビルの5階にいる。
「ちょw ナオさんフリーダムすぎるんですけどww」
行方不明のナオを探しに、あたしとハルはそのグッドウィルビルを訪ねていた。
ナオを迎えに行く前に、ハルが地下にあるメイドカフェで慣れた様子で予約を済ませていた。
ハルが言っていた通り、十数組のご主人様お嬢様がお待ちだとメイドさんから告げられたあたしたちは、
「いってらっしゃいませご主人様、お嬢様」
店を一時後にして、5階で無事ナオを発見した。
そこは18禁アダルトソフトの階だった。
フロアの半分にところ狭しとアダルトゲームが並び、残りの半分はアダルトビデオソフトが並んでいた。
ハル曰くとんでもないAVを作ることで有名な宇宙企画の新作や、元モー娘の辻ちゃんにそっくりのAV女優の新作が平然と垂れ流しになっている、そこはカオスと呼ぶにふさわしい階だった。
あたしたちはナオを無事発見したものの、彼に声をかけることができなかった。
なぜならナオは、手に取った一本のアダルトゲームを真剣に吟味していたからだ。
柔和で、温和で、いつも優しそうな微笑を浮かべていた彼の、野獣のような性欲がむき出しになったらんらんと輝く両の眼を前にして、あたしは言葉を失ってしまった。
しかし、言葉を失っていたのはあたしだけだった。
「あー、それ、『学食のおばさん~母さんの汁の味~』じゃないですか!!」
あ、わかっちゃうんだ、ハル……、それ。
ナオが手に持ってるゲーム、わかちゃうんだ、ハル……。
あたしはナオにも、ハルにも、それからそのアダルトゲームのどうしようもないタイトルにも、呆れて何も言えなかった。
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