晦ます地底湖の道 Ⅰ

 心許ない光を頼りに下を目指すと、徐々に目が慣れてきたのか、岩肌以外にも視界に捉えられるようになった。


 光は岩肌から発せられていた。


 興味に駆られ近づいて観察してみると、確かに壁にへばりつくように広がる苔であったり、岩の隙間から顔を覗かせる茸が淡く光を放っているのだとわかる。


「光る性質がある苔と茸です」


 興味深く見つめていたからか、尋ねる前に子響が教えてくれた。


 試しに光る茸に触れてみると、発光する粉がふわり、と宙に舞った。触れた手にもその粉が付着し、指で擦ってみると光が消える。


 宙に舞った粉もゆっくりと落ちながら、闇へと吸い込まれるように消えていった。


「あまり粉を落とさないでください。暗くなるので」


 苦笑を浮かべての忠告に改めて触れた茸を見れば、いくらか暗くなったように見受けられる。茸や苔そのものが光っているのではなく、この粉が発光しているのだろう。


「絶えず出ますが、ゆっくり、僅かずつなので」


「ああ、ごめん」


 やがて下りきって地面に降り立つと、じゃり、と湿った音がたつ。


 ロンフォールはどれほど降りてきたのか興味に駆られ、来た道__岩の階段を振り仰いでみる。


「あれ……」


 円柱形の空間らしいのはわかるが、この石の階段へ踏み入ったはずの入り口が見当たらなかった。


「気になるでしょうが、説明してもわかりませんでしょう」


 狐に抓まれたような感覚に、立ち尽くすロンフォール。それを、くつくつ笑う子響は、先を促すように背中を押した。


 リュングはすでに先に進んでいて、慌ててそれを追いかける。すると、岩をくりぬいてつくったような細い道へ出た。


 シーザーは、進んでは気になった場所のにおいを嗅いで、また進んではにおいを嗅ぐということを、飽きずに繰り返している。特に気になるのは分岐のようで、そこは特に念入りに嗅ぎまわっていた。


 何度目になるのか__迷わず進むリュングに続いてきただけのロンフォールには、同じように映って見える分岐に差し掛かったとき、シーザーがぴたりと分岐の先を見つめて止まった。


「こちらだ」


 足元の大きな身体を避けて、シーザーが見つめる分岐とは別の方へ脚を進めるリュング。


 その声を聞いてはいるのだろう、微かにシーザーは耳を動かしたが、体をぴくりとも動かさない。


 遅れてその分岐に至ったロンフォールは、微動だにしない様子に訝しく思い、シーザーが視線を向ける分岐の先を見やった。


 茸や苔の淡い光に照らされて、分岐の先はとても広い空間なのだと分かる。とても広く感じるのは、足元に広がる大きな水鏡が、天井をそっくりそのまま映しているからかもしれないが、それを抜きにしても広い空間なのは見て取れる。


 点在する光は柔らかく広がって、肌色の岩肌はしっとりと濡れていることを示す。天井から生えた巨木の幹のようにも見えるものは、この空間を支えている柱らしい。それはゴツゴツとしていて、濡れてこそいるが、まるで焼き締めの器のそれ。


 対して、床一面に広がる水鏡__その水面以下の岩肌は、なめされた革のように、つるん、とした表面である。水は澄み渡っていて、時折、雫が滴る音が木霊する。その音色は、動かない水面と相まって、粛々とした空気を一層引き立たせ、荘厳さも醸し出していた。


「地底湖です」


「地底湖……」


 見入っていたロンフォールは、子響の言葉を反芻するばかり。


「そこから進みませんよう。滑って危ないですから」


 無意識に一歩踏み出していたことを、その行動を遮るように子響の腕が阻んだことで知る。


「とても冷たい水でして、深さもありますから、どうぞ御気をつけてください」


「ご、ごめん……」


 いえ、と笑った子響は、手を戻しながら、同じく水鏡の広がる先を見やった。


「美しいでしょう」


 ひとりごちているかのようなその言葉を聞いて、ロンフォールは、ああ、と頷いた。


 __美しいから、見入っていたのか……。


 魅了されているのだ、自分は。


 吸い込まれるほどの美しさ。


 そして、とロンフォールは足元の犬を見る。果たしてそういう感性があるかは、疑問の余地が残るが、シーザーも。


「記憶はなくとも、そうした感性は持ち合わせているのだな」


「……よくわからないけど」


 言いながらリュングへ視線を向けると、彼は興味深そうに目を細めた。


「ずっと見てても飽きない気がする」


 そうか、と短く言うリュングは、微かに笑んでいるように見える。


 __お前もそうだろう?


 内心、同意を求めるようにシーザーへ視線を落とす。視線に感づいたのか、シーザーが振り仰いだ。


 その体の割りに小さな頭に手を乗せて、軽く撫で付ける。そうしていると、雫の滴る音が木霊した。


 静かな湖面に真円に広がる波があり、まるで湖面をなめるように滑っている。どこまでも広がりそうな、その波。


「さて、そろそろ進むが、よろしいか?」


 暫しの余韻の後、リュングが先を促すので、名残惜しい気もするが、ああ、と応えてシーザーを伴って彼に続いた。


 歩みを再開すると、シーザーの行動も再開された。


 暗がりを歩く__それがロンフォールにとって単調な動きになった頃を境に、徐々に体に纏わり付く空気が重く感じらてきた。空気はさらにひやりと冷たさを増し、雑音が聞こえてくる。


 ロンフォールは耳をそばだて、両手を握り締めた。

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