第17話 言いようのない不安
それから数時間ほど経って。
わたしが結界をガッツリ読み込んで、その読めば読むほどに見せつけられるあまりの素晴らしさに感動すら覚えていると、
「探索完了だ!」
結界に関する資料を探しに行っていたジェイクとアンナが、水晶室に戻ってきた。
「でも思ったよりは、ありませんでしたね」
「いいやアンナ、ここはゼロでなくて良かったと考えるべきだ」
「さすがジェイク様! いついかなる時も前向きです!」
そんな元気なやりとりをする2人の手にあったのは、3冊の本だった。
「あら、結構大きな蔵書室だって言ってたのに、意外と早かったのね?」
「ジェイク様の指揮の元、手の空いてる宮廷職員を総動員したんです」
「事は急を要するからな。王宮総出でやってもらったんだ」
「えっと、今の言いかただと、もしかしなくてもジェイクは指揮をしてただけ?」
「ああそうだぞ。なにせ蔵書のほとんどは古い時代の本で、今は使われていない古語で書かれていたからな」
「まぁそうでしょうね。古い本は古語で書かれているものよ」
当たり前の話だ。
「そして自慢じゃないんだが、オレは古語が読めん」
「なんでよ!? 古語は古今東西、王侯貴族の教養の基礎中の基礎でしょうが! 本気で自慢じゃないわよ!?」
いきなりの衝撃告白に、わたしは思わず大きな声をあげてしまった。
たしか探しに行く時に『ははは、オレに任せておけ!』って言ってたよね……?
「いやその、一応今、勉強している最中だぞ……? 簡単な単語だけの文章なら、ギリ読めなくもないというか……」
「ああそう……」
とかく歴史や伝統を重んじる王侯貴族にとって、古語による古典の学習は必須教養と言ってもいい。
もちろん何の生活の役にもたたないから、庶民にとっては触れる機会すらないんだけれど。
わたしも聖女になったばかりの頃は、古語の勉強が大変だったなぁ……。
なんにせよ、王族なのに古語が読めないというのは、いろいろとまずいんじゃないだろうか?
「まぁ今はオレの話はいいじゃないか。それで結界のほうはどうなんだ? 順調に解析できてるのか?」
おっとそうだね、ジェイクの言うことはもっともだ。
「うーん、そうね……まだ触りだから、そこまではっきりとしたことは言えないんだけど……」
わたしは頭の中で、追加する『破邪の結界』の完成図を想像しつつ、そこに至る工程表を組み上げていく。
「探してきてもらった資料も読みたいし、ある程度形にするのに後3日くらい欲しいかな?」
「3日か、了解だ。アンナ、ミレイユのサポートを頼むぞ」
「任されましたジェイク様!」
「それまでジェイクはどうするの? ヴァルス対策の総責任者なんでしょ?」
「ロックダウンしてる西地区の状況が、かなり切羽詰まっててな。重症化率が上がって、死者も増え始めてるんだ」
「感染のピークは越えたの?」
「残念ながらまだなんだ、収束のめどはたってない」
「かなり厳しい状況ね……」
「だから今日の午後は感染症対策のタスク・フォースを連れて、西地区に行く予定になってるんだ。出ずっぱりで対処をしないといけないから、しばらくはそれにかかりっきりになると思う。3日後に時間を作って、また顔を出すよ」
いつもと変わらないはずのその顔に、だけどわたしはなぜか言いようのない不安を感じてしまっていたんだ――。
「ねぇジェイク、ちょっと疲れてない?」
「ん、なんだよ急に?」
「総責任者として大変だとは思うけど、無理はしないでよね? ヴァルスは身体が弱ると重症化しやすくなるんだから」
わたしは柄にもなく、そんなことを口走っていた。
「心配してくれてありがとうな、ミレイユ」
「べ、別に心配したわけじゃないし! 今のはあくまで一般論からくる善意の忠告なんだからっ! 変に勘違いしないでよねっ!」
「ははっ、分かってるってばミレイユ、冗談だよ。ご忠告痛み入る、肝に銘じておこう」
「な、ならいいんだけど……」
「じゃあオレはそろそろ行くよ」
ジェイクが部屋から出ていくのを、わたしは見送りにいった。
ドアの外には既に、白衣を着たお医者さんのような人が待ちうけていて、ジェイクは彼から報告を受けながら、険しい顔をして足早に立ち去って行った。
「本当に、無理をしないといいんだけど……」
心の中に漠然と生じていた不安が、わたしはなぜか少し大きくなったような気がしていた――。
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