第4話

 お嬢様が出かけられてから数時間。わたしはいつ使用人達が掃除などで入って来ても大丈夫なように、定位置である棚で大人しくしていた。動き回っていても近くであれば廊下を歩く音を聞いてから元の位置に戻ることはできるけれど、万が一ということがあるから掃除が終わった直後や誰も入ってこないと確信が持てる時でない限り遠くまでうろうろすることはしないようにしている。……今までに何度か危ない時があったからね。


 まぁそれは良いのだ。わたしの心がけというだけだから。

 で、そうして大人しくしていたわたしの耳に、バタバタと慌てたような足音が近づいてくるのが聞こえて来た。お嬢様のお部屋があるこの一角には、お嬢様以外の人が使用する部屋は存在しないから、この慌ただしい足音の主はお嬢様のお部屋に用がある可能性が高い。


 より一層ぬいぐるみらしく動きを止めて待ち構えていると、予想通りじんわりと額に汗を滲ませた使用人が駆け込んで来た。うん、急ぐのは良いけれど、お嬢様の部屋の絨毯を傷めないように気をつけてね?


「えっと、まずは羽織るものを……」


 ぶつぶつと呟きながら寝室の奥にある衣装部屋に直進し、ごそごそと数秒音を立てたと思ったらお嬢様お気に入りのストールを持って出て来た。そんなに冷える季節ではないのに、外は意外と寒いのだろうか?ていうかお嬢様が出かけてからもうだいぶ経つのに、なぜ今更?


 内心で首を傾げるわたしの前で、お嬢様の机から便箋と封筒のセットを取り出した使用人は、くるりとこちらに向き直ってわたしに手を伸ばして来た。


「あとはぬいぐるみも置いておかないと」


 ストールと便箋、封筒と共に抱えられ、そのまま早歩きで部屋から持ち出される。どこに行くのだろうと疑問に思ったのは一瞬で、わたしが持ち出される先なんてお嬢様用の応接室以外にはありえない。


 わたしと意思疎通ができると知ってから、お嬢様は来客時ほとんどの場合、応接室にわたしを置いてくださるようになったのだ。だから使用人達も、来客の用意をするときにはわたしを応接室に設置するのが習慣付いている。……暇つぶしにもなってありがたいからわたしはいいんだけど、彼女たちはなぜ毎回ぬいぐるみを設置するのか疑問に思ってないのかな……。お嬢様がぬいぐるみ離れできていないと思われるのは、ちょっと嫌なんですけど……。


 通常の来客時と同様にお嬢様の応接室へ運ばれたわたしは、わたし専用に用意された小さな椅子にちんまりと座ったまま首を傾げた。


 わたしを置くだけ置いて出て行った使用人はいつになく慌てた様子で、ここに来る途中に屋敷中が落ち着かない空気であることはわかった。きっと、想定外の何かが起こったんだろうなということは予想ができるけれど、なんだろうか。いや、お嬢様が外出されているから、例えば外出先でお嬢様が誘拐されたとか、そこまでいかなくても怪我をされたとか、そういう予想もできるのだけれど、それにしては屋敷が落ち着いているというか。慌てているけれど、そこまでではないというか。なんだろう、この中途半端で、変な感じ。


 まぁでもここに連れてこられたということは、お嬢様がこの部屋を使用されるということだろうから、少なくともお嬢様は無事だろう。それなら問題はない。


 そう楽観視していたわたしだったけれど、扉の向こうから大勢の足音と声が聞こえて来て姿勢を正した。聞こえてきた中にお嬢様のいつもより固い声があったから、やっぱり何かがあったんだ。


「―――…から二度手間を防ぐため僕はここで待機する。城には騎士の追加要請と合わせてその旨伝えてくれ」

「王宮への立ち入り許可を得た馬がおりますから、そちらを連れてください。厩舎まで案内をおつけいたします」

「現場に残して来た者たちからはまだ何も合図はないな?ああそうだ、護衛には町人に扮した者も用意していたのだ。アリシア嬢、門番に薄汚い格好の者が来る可能性があるが、我が近衛騎士だから、騎士の徽章を確認の上で通すよう伝えてもらえるか」

「承知いたしました。騎士様、王宮へ向かわれる前に念のため我が家の守衛に徽章を確認させてください。近衛騎士様の徽章は他の騎士様のものと異なると聞いております」


 勢いよく開いた扉からは、揃って強張った表情のお嬢様と殿下、それからお嬢様の従僕と見知らぬ騎士が数名。じっと固まったまま入って来た面々を見つめているわたしに気づいたお嬢様が一瞬目を細めて、何事もなかったようにすぐ後ろに控えていた従僕に向き直った。ほぼ同時に殿下も長椅子に腰を下ろしながら騎士に視線を投げる。


「では、服装と特徴は伝えた通りだ。早急に捜索に当たれ。それらしい人物を発見したら、まずは近衛に確認するように」

「何かしら手がかりになるものを残している可能性がありますから、ククルーシア家の方と協力して現場の再確認をお願い。大丈夫、私は大人しく屋敷で待っています」


 えーっと。


 まだ何も説明していただけていないうちから推測だけしてもって感じではあるけれど、殿下がこの場に留まるのであればお嬢様から説明していただくのはほぼ不可能だから、適当に考えてみるとしよう。


 聞こえていた殿下とお嬢様の言葉から、この場にいないラミラ嬢とライムンド様の身に何かが起きたのは確実。現場とか捜索といった単語が出ていたことから考えるに、誘拐でもされたのだろうか?でもなぜラミラ嬢とライムンド様?ラミラ嬢と殿下とか、お嬢様とライムンド様という組み合わせなら、お買い物中に二人揃って誘拐されたという可能性もあるけれど……え、ライムンド様、お買い物中にお嬢様から離れたの?何してるの?


 入れ替わり立ち替わりやって来る騎士に問われるたび、丁寧に答えたり指示を出したりしているお嬢様の全身をしっかりと確認する。急いで帰って来たのだろう、出た時よりも裾のあたりが汚れているけれど、それ以外は特に怪我をした様子もなくお元気そうだ。多少顔色が悪いのはこの状況では仕方がない。


 ついでに殿下も確認してみれば、こちらもまた怪我はなく、表情こそ固いけれど顔色は悪くない。テキパキと騎士たちが集めた情報を整理しながら、使用人が抱えて来た地図を覗き込んでいる。


「あの辺りはそこまで入り組んだ通りではないのに、捕まえることができなかったということはどこかで馬車を乗り捨てたのだろう。裏通りの人間から何か話が聞けると良いのだが。……アリシア嬢、カレアーノ侯爵と話がしたい」

「はい。騒ぎは耳にしているはずですから、もうすぐ帰って来ると思います」


 裏通りかぁ。貴族街と平民街の中間辺りを縄張りにしているのは少し面倒な人だから、職務上顔が広い旦那様を通すのは良い手ですねぇ。お嬢様の婚約者を探すためという理由もあるから、大きな貸しにもなりませんし。


 この国のいわゆる暗部に属する面々を人畜無害そうな笑顔で殴り飛ばしたり跪かせていた姿を脳裏に思い浮かべる。普段はとてもお優しい良い方なのですけどね……まぁそういうお仕事ですから…。


 それからまた騎士たちに幾つかの指示を出した後、殿下は大きくため息をつきながら背もたれに体を預けた。ひとまず、今できることは終わったらしい。


 休憩に入った殿下を前に、お嬢様は目を伏せてじっと細く湯気を上げているカップを見つめていた。どこか思いつめた表情をしているのは、それだけライムンド様のことが心配だからだろうか。まったく、お嬢様を不安にさせるとか、ライムンド様は何をしているのだか。


 ぷんぷんとこの場にいない婚約者様に怒りを向けていたわたしだったけれど、体を起こした殿下が苦笑とともに零した発言に思わず首を傾げそうになった。


「それにしても困ったねぇ。まさかラミラ嬢とライムンドが揃って攫われるなんて……ラミラ嬢一人でも大変だけれど、男女となると……アリシア嬢も心配だろう?」


 殿下が何を言いたいのかわからず内心で首を捻ったわたしとは異なり、辛そうに唇を噛み締めたお嬢様は殿下が言いたいことを理解しているのだろう、わずかに声を震わせる。


「ええ、お二人ともご無事であることを願っております。私の、大切な婚約者と友人ですから」

「そうだねぇ。何事もないといいよね、お互いに。婚約を解消する羽目にならないように、僕も願っているよ」

「…………」


 お、おおおおおおおおお嬢様!?淑女がしてはならない顔をされておりますよ!?


 前回と合わせて初めて見る表情にびくりと体を震わせてしまい、あ、と思った時には椅子から転がり落ちていた。沈黙が落ちた室内に、わたしが床に落ちる間抜けな音が響く。


(うわあああああああああああ申し訳ございませんお嬢様あああ!どうしようどうしよう、殿下こっち見てませんでしたよね?ね?お嬢様のこと見てましたもんねこっち見てなかったって言ってええええ!)


 受け身も取らずに落ちた姿勢のままじっとしておく。落ちる直前に見た限り、へらりと気の抜けた笑みを浮かべていた殿下はこちらではなくてお嬢様の方を向いていたけれど、わたしの動きが視界に入っていなかったとは断言できない。仮に視界の端でわたしが動くのを認識していたとしても、気のせいだったと判断してもらえないだろうか。……あああわたしはなんということを!


 表には出さないように震えを抑えていたわたしの耳が絨毯を踏む足音を捉える。人間だったら抑えきれない心臓の鼓動で床が震えてしまうのではないかと思うくらいに緊張の数秒を経て、わたしの体が抱き上げられた。


「…………ふふ、婚約の解消だなんて。おかしなことを」


 ぽんぽんと優しい手つきでわたしの体を叩いたお嬢様が、口元だけを笑みに歪ませて殿下を睥睨する。


「私はライムンド様と結婚するのです。何があろうと、その未来は変わりません」


 だれかあああああああああああああああああ!今のお嬢様を永久保存してえええええええええええええええ!!!!


 どうしよう、動悸が止まらない。なに今の。なに今の!


 可愛らしさが天元突破しているお嬢様が笑みを消して冷酷さを感じさせるような無表情になってだけど王族への最低限の礼儀だけは残した優雅さでもって殿下を睨みつける表情の凛々しさ半端ない!声もいつもよりワントーン低くて通常時の愛らしさに振り切った甘い声じゃなくて意思の強さが前面に出た透き通るような美声だったしお嬢様ほんと外見だけじゃなくて声帯まで神がかっているとか奇跡の産物すぎません!?


 ライムンド様とラミラ嬢のことが綺麗さっぱり頭から追い出されて、お嬢様の素晴らしさで埋め尽くされたわたしを他所に、ふっと表情を元に戻したお嬢様は慇懃に殿下に退室を告げていた。これから先、保護対象であるお嬢様はお部屋で待機、引き続き指揮をとる殿下とともにライムンド様たちの捜索に当たるのは旦那様やその執事たちだからだ。今までお嬢様がこの場にいたのは、旦那様が帰って来るまでの繋ぎだったのだろう。


 小さく笑って手を振る殿下には一瞥もくれずに淑やかな足取りで応接室を出て、わたしを抱えたまま少し慌ただしい屋敷の空気を切って自室に戻られたお嬢様は、控えていた使用人に席を外すよう告げてからぽすりと寝台に倒れこんだ。一拍後に、体内のすべての空気を吐き出しているのではと思えるくらいに大きなため息をひとつ。


「ああ………考えないと」


 吐息に紛れるように溢された言葉に耳を震わせ、胸に抱えられるがままにしていた顔を上げた。


 どの角度から見ても麗しいお嬢様は大きなはちみつ色の瞳をまっすぐ天蓋に向けて、陶器人形のような無表情で何やら考え込んでいらっしゃる。数秒に一度、ゆっくりと上下する目蓋だけが、お嬢様が人間であることを示していた。


 危うさを感じるほどに張り詰めた様子のお嬢様を支えたいという気持ちはあれど、今のわたしに何ができるだろうか。ペンと紙がなければ声は届かない上にお嬢様の半分どころか四分の一もないふわふわボディ、人前で自由に動き回ることすらできない。


 何より、わたしにはお嬢様がいま何を憂いているのかがわからない。


 いや……誘拐されたライムンド様とラミラ嬢のことを心配しているのは間違いない。殿下や旦那様たちが尽力されているから大丈夫!などと軽視している訳ではないことは重々承知だ。だけどお嬢様は殿下のことはわからないけれど、少なくとも旦那様やわたしたち使用人のことは信頼してくださっているから、お二人が無事に救出されることに疑いを抱いてはいないはず。だから心配はしても、悩みはしない。お嬢様はそういう方だ。


 だからきっと、お二人の誘拐とは別に憂慮すべき事態が発生しているのだろうけれど……だからそれは何なのかってね。何でしょうねぇ?


 首を捻ったその動きを感じたのか、ふっと体が上下したかと思うと、横向きに転がったお嬢様の顔の前にわたしの体が移動した。ぱちぱちと目を瞬くわたしの正面に、柔らかく目を細めたお嬢様のご尊顔が。うああああ麗しいいいいいい!


「ふふ、でも大丈夫よね、ライムンド様だもの。……ユーアも、上手くいくように祈っていてくれる?」

(もちろんですお嬢様!)


 ライムンド様に何を期待されているのかはわからないけれど、とりあえず全力で同意しておく。お嬢様が祈れと言うのなら、どんなことでも祈りますとも!

 だから、さっさと帰ってきてください、ライムンド様。

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