第2話

 まずいことを聞いてしまったとか思っていそうな顔である。まぁ、楽しい話題だと思って食いついたら後味がすごく苦かったとなれば、そんな顔にもなるだろう。別にラミラ嬢が悪いとは思っていないし、嫌なことを聞かれたとも思っていないから気にしなくて良いのだけれど。


(まぁそんな感じで、わたしの恋愛経験はその程度ですから、あまりラミラ様の参考にはなりませんね。お役に立てず申し訳ありません)


 情報収集のためだけの浅いお付き合いのようなものの経験もあるにはあるけれど、それをラミラ嬢に聞かせるわけにもいくまい。


「や、そのー……不用意に踏み込んでしまって、ごめんなさい」

(いえ、お気になさらず。もう終わった話ですから)


 気まずそうに目を逸らしているラミラ嬢が話題に窮しているようだから、わたしのほうから適当に話を振るべきだなと判断して話題を考えることにした。


 そうだなぁ、お嬢様がいないうちに話すべきことは話したし、後は適当な雑談か、今後の方針についての相談か。なんとなく、ラミラ嬢と殿下の仲がさほど悪くないというのは期待して良いと思っているのだけど、でも誰が見ても仲睦まじいレベルまでいってくれないと安心出来ないようにも思う。だって前回は殿下がラミラ嬢のことを殺したいほど目障りだと思っているとは誰も考えていなかったのに、ラミラ嬢は毒殺されてライムンド様は暗殺されたのだから。


 あと、そう。殿下にお嬢様への思いがなければ、ラミラ嬢との仲が微妙でも問題ないと思う。でもそれはなぁ、わたしはもちろん、ラミラ嬢にもライムンド様にも確認が難しいところだからなぁ。ちょっと無理難題すぎる。


 となると、やっぱりラミラ嬢に殿下を籠絡……もとい、心を射止めていただくのが良いわけだ。


(それで、えー……殿下への誕生日の贈り物についてでしたか。わたしには特にこれと言ってお勧めできるようなものは思いつきませんが、ラミラ様は殿下とお話しされていて何か好きなものなど聞いたことはありませんか?)


 ひとまず逸れに逸れてしまった話を元に戻せば、自分で出した話題を忘れていたらしいラミラ嬢がはっとして頷いた。好奇心に負けて話の筋を見失うの、わたしもやってしまいますが悪癖ですよぉ。気をつけましょうね。


「翻訳本の読み比べが趣味だと言っていたわ。外国の文化にも興味があるみたい」

(へぇ。でしたら輸入品を取り扱っている店に行ってみると良いかもしれませんね。本は王宮の書庫に負けると思いますから、本以外で……珍しい品が良ければ、そうですね、大きい商店は王宮にも報告がてら品を見せに行っていると思いますが、見せてなさそうな比較的安価な品を探すとか、あとは行商人が狙い目ですよ)


 たしかそろそろ北方諸国から商人一家が移住してくるはず。北方に本家があってその分家の人たちだと聞いたような。細かい事情は忘れたけれど、質の良い織物と陶器を扱っていたことはよく覚えている。


 ああでも、今のラミラ嬢が行くのは難しいか。お嬢様に会いに来るのは殿下の婚約者として問題ない行動と見做されているだろうけれど、さすがに下町に近い場所の店だとか、下町ど真ん中の露天を覗きに行くというのは許されないだろう。殿下の婚約者として顔は知られていないけれど、だからこそという危険もあるし。

 そのことはラミラ嬢も理解しているらしく、興味はあるけれど、と難しい顔をした。


「どうにかして行けないかしら。あ、ほら、前にアリシアがお忍び風のお出かけをしたって言ってたじゃない。そんな感じでわたくしも出かけられない?」

(そうですねぇ……絶対に無理とは言いませんが、王宮とオルティス伯爵には話を通す必要があるでしょうし、殿下にもラミラ様がどこで買い物をされたかなど伝わってしまう可能性があるかと)

「あ〜……」


 別に殿下に伝わっても良いというのなら構わないのだが。


 ラミラ嬢の心の天秤が見えるようだ。うんうんと目を瞑って小さく唸りながら悩むラミラ嬢を眺めていたところで、ふとわたしの耳が近づいて来る足音を拾った。ゆったりとした歩き方だからお嬢様、だと思うけれど、それにしては足音が多いような?

 ひとまず普通のぬいぐるみのふりをしておこうと動きを止めたところで、ノックの音が部屋に響いた。


 考え込んでいるラミラ嬢の耳にはその音は届かなかったらしく応えはしなかったものの、この部屋はもともとお嬢様のための部屋。ラミラ嬢しかいないこともわかりきっているからなのか、応えを待たずに扉は開かれた。


「―――……うん、でもやっぱり見に行きたいから伯爵にお願いしてみようと思」

「へぇ、何を?」

「う、え?」


 うーわあ。来ちゃったぁ。


 シャンデリアの明かりを反射してきらめく金色の髪をさらりと揺らし、にっこりと笑みを浮かべたその男に思わず顔を顰めそうになった。もちろん気分だけ。


 わたしが記憶しているよりも小さいし目も死んでいないとはいえ、造形はどう見てもお嬢様を絶望に突き落とした元凶そのものだ。斜め後ろで微笑んでいるお嬢様と二人揃って視界に入るとここは天国かと錯覚してしまうほどの麗しさ。見た目だけは極上なんだよなぁ………………なんでいるの。


 わたしが記憶にない出来事に対する警戒心でいっぱいになっている一方、独り言に割り込まれたラミラ嬢は目と口を開いたまま固まっていた。いきなり目の前に殿下が現れたから驚いているようにも見えるけど、あれ、頭の中は「何そのいたずらっぽい笑顔可愛すぎないうそなにこれ尊い…っ!」だと思う。そんな顔してる。


 一拍おいて我に返ったらしいラミラ嬢が慌てて立ち上がり、殿下に向けて礼をする。慌てていてもそれなりに綺麗な礼ができているのは練習の賜物なのだろう、素晴らしい。立ち上がるときにテーブルにぶつからなければもっと良かった。


 ガタンと痛そうな音がしたと同時にテーブルが大きく揺れ、その揺れに身を任せたわたしの体がテーブルから落ちて床に転がった。うっかり踏ん張りそうになった自分に焦る。


(ラミラ様……)

「え、あっ、ご、ごめんっ」


 顔を赤くしたり青くしたりと忙しいラミラ様がわたわたと拾い上げたその手から、にこにこと笑みを浮かべたままのお嬢様がそっとわたしを取り上げた。そのままきゅっと胸元に抱き込んでくださる。うわぁん、お嬢さまぁ。


「大丈夫ですから、気になさらないでください。ふふ、突然殿下が来たら驚いてしまいますよね。私も突然のことで驚いてしまいました」

「はは、ごめんね?ライムンドが、ラミラ嬢がアリシア嬢のところに遊びに行っているって言うから、様子が気になってしまって」

「ふふ、昨日どころかここに来る日以外は毎日のようにお会いしているとラミラ様からお聞きしていますのに。一日お姿を見ないだけで心配なさるなんて、仲がよろしくて素晴らしいですね」

「はは、可愛い婚約者だからね。彼女はまだ貴族社会に不慣れだし、アリシア嬢みたいに人付き合いもそこまで上手くないから、心配するのも仕方がないと思わない?」

「ふふ、でもラミラ様は日々沢山学ばれていらっしゃいますし、立ち居振る舞いにももう瑕疵なんてありませんから、殿下がそこまで心配なさる必要もないのでは?それにたまには息抜きも大切だと思います」

「はは、まあそうなんだけど、やっぱり僕はできるだけそばで見守っていたいからねぇ」

「まぁ、ふふふ」

「あはは」


 …………えーっとぉ……。


 なんだろう、背中が寒いな。不思議だなぁ、お嬢様に抱えていただいているのに、なんでこんなに寒いんだろう。


 振りだけでなく本当に固まってしまったわたしの前で、ラミラ嬢の手を取って座らせた殿下がにこにこと笑みを浮かべている。しれっと隣に腰を下ろしたことにラミラ嬢が目を白黒させているから、もしかしたらここまでの近距離になったのは初めてなのかもしれない。


 殿下の前なせいで目も動かせないわたしの視界に入っていなかったけれど、殿下とともにやってきていたらしいライムンド様が心なし顔を引きつらせながらお嬢様に手を差し出す。斜めの位置に配された長椅子にお嬢様と並んで腰を下ろし、にこにこと鉄壁の笑みを浮かべて睨み合う二人を仲裁するように声をあげた。


「レグロ、ラミラ嬢が戸惑っているからそれくらいに。ほら、アリシアも、いい子だから」

「はいはい。ごめんね?驚かせちゃって」

「……はい、申し訳ありません、ライムンド様」


 まったく反省の色を見せていない殿下が輝く笑顔でラミラ嬢を覗き込み、至近距離からそのご尊顔を見ることになったラミラ嬢が顔を真っ赤にして高速で首を上下させている。私の姿で殿下に赤面するの、ほんとやめてほしい。


 そしてお嬢様はほんのわずかにムッと唇を尖らせたものの、ライムンド様の困ったような微笑みにすぐしなっと眉を垂らしてしまった。可愛い……しょんぼりしてるお嬢様すっごい可愛い……。


 それにしても、とお嬢様の腕の中からそっと全員の様子を確認して内心で首をかしげる。


 お嬢様と殿下って、こんなに仲がよろしくなかったっけ?


 今回は幼少期に一度顔を合わせた程度でその後直接的な関わりが皆無だったからわからないにしても、前回はここまであからさまに不仲ではなかったような。無理やり結婚させられた後ですら、お嬢様はライムンド様のことで頭がいっぱいで殿下にはほぼ無関心から憎悪に移行してはいても、こうして嫌味の応酬をすることはなかったはず。そんな気力がなかっただけかもしれないけど。


「それで、伯爵に何をお願いするのかな?見に行きたいって言っていたし、外出?」

「えっ、あ、えーっと」


 考え込んでいたら助けを求めるような視線を向けられた。一瞬何を求められているのかわからなかったけれど、先ほどの独り言を聞かれた続きだと思い至る。


 いやまぁ、ラミラ嬢としては独り言ではなくてわたしに話しかけたつもりだったのでしょうけれど、他の人からしたらぬいぐるみを前に独り言をつぶやいているようにしか見えないですからね。仕方ないですね。


(どうせ殿下にはいずれバレるんですし、正直に言ってしまえば良いのではないでしょうか)


 ラミラ嬢が上手く誤魔化せるとも思えなかったから、さっさと白状してしまうことを薦める。下手な誤魔化しよりは愚直なくらいの正直さの方が好ましいと感じる人の方が多いと思うのだ。


「ん?ああもしかして、アリシア嬢も関係しているのかな」

「えっ!?」

「え?」


 と、思っていたら殿下がなんか言いだした。何、なんでお嬢様?

 ラミラ嬢は露骨にびっくりしているし、お嬢様もまったく心当たりがないから目を瞬いている。わたしもびっくりだ。けど、なぜかライムンド様は「あーあ」と目を逸らしている。


「あれ、違った?アリシア嬢のこと見ていたし、僕が来るまでアリシア嬢と何か話していたんじゃないの」

「え、」


 お嬢様と話していたのは最近のお互い一押しの恋愛小説についてです。


「そういう、わけじゃなくて」

「あっ、ラミラ様、もしかして私をどこかにお誘いくださるおつもりでしたか?嬉しいですっ!」

「え、えっと」

(おお、お嬢様のフォロー。ほらラミラ様、落ち着いてください。お嬢様の言葉に乗って良いですから、お嬢様と買い物に行きたいと思ってとでも言ってください)


 お嬢様とお買い物かぁ。良いなぁ、羨ましいなぁ。前は専属侍女だったからお嬢様のお出かけにはいつもついて行っていたし、季節ごとにお嬢様を着せ替え人形にするのは専属侍女わたしの特権だったのに、今じゃライムンド様がお嬢様とお出かけされるのを、指をくわえて見送るしかできないんだもんなぁ。ああ羨ましい。


「そ、そう。ほらっ、もうすぐラ…婚約者さんの誕生日だって言っていたじゃない?贈り物を探しがてら、一緒にお出かけできたら楽しそうだなって思ったの!」

「まあ、すてきですねっ!とっても楽しそうです。いつにしますか?」

「えっと、外出について伯爵に相談しないといけないから」

「では候補日が決まりましたらお知らせください!ふふ、楽しみですっ」


 にこーっと満面の笑みを見せつけたお嬢様が、そのままくるりとライムンド様に向き直る。とっても愛らしい姿を呑気に見守っていたライムンド様がその動きにびくりと一瞬体を強張らせたのがわかった。お嬢様可愛いですもんね、仕方ないですね。


「頑張って素敵なものを探してきますから、楽しみに―――」

「へぇ、楽しそうだなぁ。それ、僕も一緒に行っても良いかな」

「ぅええ!?」

「良い?ありがとう。あ、アリシア嬢も良いかな?僕の予定も合わせることになるから、少し先になってしまいそうだけれど」

「……………ええ、もちろんです。あっ、それでしたらライムンド様もご一緒していただけませんか?ライムンド様への贈り物を探しに行くのに、ご本人に付き合っていただくのもおかしな話ですけれど」

「そんなこと気にしないで。もちろん構わないよ。アリシアと出かけるなんて久しぶりだな」

「ありがとうございます!ふふっ、これでダブルデートですねっ!以前、本で読んでから憧れていたんですっ」


 ぽわぽわと周囲に花を撒き散らしているお嬢様だけれど、気のせいかな?殿下の言葉に答えるまで少し間があったような。そしてライムンド様、その疲れたような笑みはなんですか。


 この部屋に来るまで三人……というかお嬢様と殿下の間に一体何があったのだろうか。お嬢様が誰かにこんな対応するところなんて初めて見た。あとでどうにしかしてライムンド様から聞き出すか、あるいはお嬢様が何かお話ししてくださると有り難いのだけれど。

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