368話 ソーマとミサの過去

 10年以上前ーー。

1人の男の子と1人の女の子が仲良く遊んでいた。


「ミサひめ。ここはおれにおまかせください! あなたはわたしがまもりぬきます!」


 男の子が木の枝を剣に見立てて構え、そう言う。


「せいきしソーマよ。あなたをしんじています。たのみましたよ」


 女の子が神妙な顔をしてそう言う。


 彼らは、おままごとの最中だ。

領軍の不在のスキを突いた盗賊の襲撃を受けて、騎士が姫を守るというシーンである。

ソーマが騎士役で、ミサが姫役だ。


「はああ! くらえ! こおりの剣!」


 ソーマがそう叫びながら、木の枝で虚空を斬りつける。


「きゃー! ソーマちゃん、カッコいい!」


 ミサがそう歓声を送る。

自分の役どころを忘れている様子だが、子どものごっこ遊びなので仕方ないだろう。

彼らは、楽しそうに遊び続けていった。 



●●●



 その数年後ーー。

ソーマが冒険者として功績を挙げ、”聖騎士”の二つ名とともに騎士爵を授かった頃の話だ。


 ソーマが街を駆けていく。

とある飯屋のドアを開ける。


「ミサちゃん! 俺は、とうとう騎士爵を授かったぞ! これで俺も貴族の仲間入りだ」


 彼が入るなり、大きな声で言う。

その声に反応して、1人の少女が奥から出てくる。


「へえ、よかったじゃない。ソーマっち。……いや、ソーマ様とでも呼んだほうがいいかな? もしくは、マイロードとか?」


 少女が冗談めかしてそう言う。


「寄してくれ。ミサちゃんからそんなふうに言われたら落ち着かない。今まで通り呼んでくれ。……いや」


 ソーマが言葉を途中で止めて、考えるそぶりをする。


「これからは、ファーストネームのシュタインで呼んでほしい」

「え? それって……」


 ソーマの突然の申し出に、ミサが戸惑いの表情を浮かべる。


「……ミサ。俺と結婚してくれ!」


 ソーマがミサの前にひざまづき、騎士の礼を取る。


「ええ!? でも、私なんかじゃ貴族になったソーマっちに釣り合わないよ……」


 ミサとソーマは幼なじみである。

ミサは飯屋の娘。

対するソーマは、冒険者。

数年前までであれば、釣り合いは取れていた。


 しかし、ここ数年でソーマは目まぐるしい功績を挙げた。

そしてとうとう今回、騎士爵を授かるまでに至った。

こうなると、明確に平民と貴族として身分差が生じてしまう。


「そんなこと気にするな。そもそも、俺ががんばってきたのはミサを幸せにするためだぞ! なかなか踏ん切りがつかなかったが……。この叙爵はいい機会だ。結婚しよう、ミサ」


 ソーマがそう言う。

彼はミサへ幼少期よりずっと思いを寄せていたが、勇気が湧かなかったのだ。


「……う、うん! 喜んで!」


 ミサが顔を真っ赤にして快諾する。

ソーマとミサは抱きしめ合い、幸せを噛みしめる。


 そして、そんな彼らを見つめている目がたくさんあった。


「かああー! この店の看板娘のミサちゃんが、とうとう結婚しちまうのかー」

「ちっ。よりによって、ソーマのボウズかよ!」


 この飯屋の常連客たちである。


「まあ、ソーマの小僧はずいぶんとがんばっているみたいだしな……」

「ついに、貴族様になったそうだな。いつまでもガキ扱いはできねえ。仕方ねえから、祝福してやるとするか」


 常連客たちが口々にそう言う。

ソーマが偉くなったとはいえ、彼らはソーマやミサが子どものときから知っている。

彼らにとっては、半ば自分の子どものような存在である。


「ミサちゃんを幸せにしろよ! ソーマのボウズ!」

「おめでとう! だが、泣かしたら承知しねえからな!」


 常連客たちがそう祝福する。


「ああ。ありがとう、オッチャンたち! 俺とミサで、幸せな家庭を築くと誓うよ! なあ? ミサ」

「うん! 私も、がんばってソーマっちを支えるからね。騎士爵の妻として、いろいろと勉強しないと」


 ミサが嬉しそうにそう言う。


「おいおい。これからは、ミサ=ソーマになるんだぞ。名前で呼んでくれよ!」


 ソーマがそう言う。

ソーマは、ファミリーネームである。

ミサは昔の名残でずっとソーマ呼びをしていたが、結婚して姓が同じになる以上は、名前で呼ばなければ不都合がある。


「え、えっと……。シュタイン……くん。これからもよろしくね。えへへ。なんだか、照れくさいなぁ」


 ミサが顔を真っ赤にしてそう言う。

シュタイン=ソーマは、それを幸せそうな顔でそれを聞き届けた。

彼らはみんなに祝福されつつ、新婚生活を送っていくことになる。



●●●



 さらに数年後ーー。

現在からは数年前。


 シュタインは、領主として領内の高ランクの魔物討伐を請け負っている。

内政の知識がない彼が騎士爵を授けられたのは、彼が戦闘能力に秀でているからだ。

こういった魔物討伐は、彼の貴族としての責務である。

彼自身そのことに何の不満もなかった。

ただし、今までは、だが。


 シュタインが、遠征先から早馬で自邸へ急ぐ。

屋敷に着くなり馬から飛び降り、屋敷内へ駆けていく。

目的地は、彼の最愛の妻であるミサの部屋だ。


 バアン!

彼がミサの部屋のトビラを勢いよく開け放つ。


「はあ、はあ……。ミサは!? ミサの容態は!?」


 彼が息を切らせながらそう問う。

ベッドでは、ミサが横たわっていた。

その傍らには、医者や執事、メイドたちが集まっている。

医者が口を開く。


「幸いなことに、命に別状はありません。ただ……」

「よ、よかった……! 俺のミサに何かあれば、どうしようかと……」


 シュタインが安堵の声を漏らす。

彼が魔物討伐の遠征に赴いている間に、ミサが突然倒れ込んだとの連絡があったのだ。

原因は不明である。

不審な女性の目撃証言もあるが、彼女が原因である証拠はない。


「……ううん……」


 シュタインの声がうるさかったのか、ミサが目を覚ます。


「起きたか、ミサ。心配させやがって……」


 シュタインがそう声を掛ける。

しかしーー。


「ええと。あなたはどちら様でしょうか?」


 ミサが無表情にそう問う。


「ミ、ミサ? 何を言っている?」


 シュタインが声を震わせながらそう言う。

彼が1つの可能性に思い当たるが、それを信じたくない気持ちがあった。


 そんな彼の様子を見て、医者が口を挟む。


「シュタイン様。ミサ様は、記憶を失っておられるのです」

「な、何だと!? ……原因は? 治るのか!?」


 シュタインが医者にそう詰め寄る。


「原因は不明です。魔力波を受けたときの症状と似ておりますが、症状はより深刻ですな。記憶だけでなく、人格にも影響が出ております。治療のあても、残念ながら……」


 医者がそう言って、首を振る。


「バ、バカな……。嘘だ。俺は信じないぞ。ミサ、俺は君の夫のシュタイン=ソーマだ。君のために騎士爵としてがんばっているんだ。もちろん覚えているよな?」


 シュタインが一縷の望みをかけてそう言葉を発する。


「申し訳ありません。覚えておりません。しかし、私が貴族であるあなたの妻であるのならば、役割はまっとうしましょう。何でもお申し付けください、マイロード」


 ミサが無表情にそう言う。


「…………っ!」


 シュタインが愕然とした表情で、膝を折る。

彼の精神に大きな動揺が見られる。


 そうして生じた心の隙間に、どこからか小さな闇の瘴気が入り込んだ。

聖騎士ソーマの異変は、この日を境に始まった。

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