【第5章―最後の聖女―】
ACT51 変革の始まり
目が覚める――
液体の感触に身を委ねていたクローディアの意識が、現実へと帰還する。
満たされていたはずの液体は既に膝の下まで引いており、呼吸が出来た。
不思議なことに髪の毛も肌も、着ているドレスにも湿り気は一切無かった。
更にクローディアはこの液体こそが〝聖女の祭壇〟の本体であることを思い出すようにして理解する。
それだけではない、硝子の向こう側に並ぶ装置のそれぞれが何の役割をするのか、そしてそれまでただの模様だと思っていたものが意味を持つ文字列であることが手に取るように分かった。
(これが〝聖女〟という感覚)
硝子に薄らと映る自分の顔をクローディアは眺める。
空色をしていた瞳の色がリッカのような真紅に変わっていた。だが、それ以外に変化は見られない。
怪物に変わるわけではないということは分かっていたが、むしろ自然すぎる感覚にクローディアは驚いていた。
容器が天井に格納され、外へと出られるようになった。
クローディアは台座から降りる。
その先でリューシンガとルーゼイが待っていた。
「ディア。何か変わったところはあるか」
「急に知識の量が増えたような、そんな気がします。忘れていたことを沢山思い出したかのような気分です。でもそれ以外は何も変わらなくて、もっと何か大きく開けるようなものがあることを期待していたのですが、そうでもないみたいですね」
「聖典術は使えるんですか?」
ルーゼイに言われ、クローディアは自分の掌を見た。
追い求めていたはずの力が手に入ったというのに、いざ使ってみようと思うとどうやれば良いのかがわからない。クローディアは自分が得た知識を探り、そしてそれを思い出す。
(……聖典刀を使って紡ぐ場合は「我に与えよ」と発動機関へ要請すればよい。だが聖女に発動機関は必要ない。それを要するのは通常の人間と〝聖典〟との間に接続が発生せず、聖女を介してその力を用いるから。
女性が扱えないのは〝揺り篭〟で生まれる女性には、もともと聖女の素質として〝聖典〟への正規の接続因子が組み込まれているものの〝聖女の心臓〟を介さなければ発動できないように鍵が掛けられているから。
それでも無理に扱おうものなら精神領域にまで強制的に〝聖典〟への接続を強いてしまい、深刻な精神汚染を引き起こしかねない。全ては容易に〝絶望の時代〟の技術に触れさせない為。過去の技術を封印して、いずれは自らを殺すであろう不必要な進歩を促さない為。だが聖女であるのなら、それは容易にできる――)
クローディアは心の囁きに従って右手を突き出し、そして、詠唱した。
『我は与える〝照らせし灯火〟』
すると、掌の上に眩しく輝く光球が出現した。
「これが、聖典術……」
「聖女クローディア様が最初に紡いだ聖典術を目の当たりに出来るなんて、光栄です」
「記念すべき瞬間だな。だがいつまでも遊んでいるわけにはいかない。こうしている間にも〝降星雨〟は世界を蝕み続けている。それがエクザギリアに到達するのも時間の問題だろう。だがまずは、エクザギリアの人々に世界の真実を伝えねばな」
クローディアとリューシンガ、ルーゼイの三人は三つ目の部屋へと向かった。
他の二部屋と違い、こちらは現代の城らしい、ランセオン宮殿のような佇まいをしている。一直線に伸びた赤い絨毯の先には金色の椅子があり、天井には瓦斯灯式のシャンデリアが浮かんでいる。
何処か宮殿の舞踏室を髣髴とさせるその部屋が、このスレイツェン城における玉座の間であることを、クローディアは即座に理解した。
「城の上にあると思っていた玉座が、まさか地下にあるなんて……」
「誰しもがそう思うのには理由がある」
リューシンガは壁の制御盤へと手を伸ばし、起動させた。
暗闇に包まれていた玉座の間が照明によって煌々と照らし出される。
そこでクローディアは、この玉座の間が地下深くにあるにもかかわらず窓に仕切られていることに気付いた。その窓の向こうにはあろうことか青空が広がっている。
この世界の空〝天井〟と同じ構造をした青空を映す動く絵。だがそれは絵であると知っていたとしても偽りであると見抜くのは不可能なほどに精巧だった。
「アクナロイドはこの場で聖典騎士団の結成を宣言した。つまり此処は全ての始まりの場所というわけだな。だが、今度は我々の番だ」
リューシンガは更に制御盤を操作する。
すると今度は天井や壁から機器が迫り出し玉座を取り囲むようにして配置された。
聖女の知識を得たクローディアにはそれが何か理解することが出来た。
その機器は青空と同じように動く絵を映し出す装置だ。それから周囲にあるのはこの場を撮影し、外や遠くの場所へと送信する設備。この場合は空の〝天井〟へと繋がっていて、そこへ出力できるようになっている。
「さて、始めようか」
「はい、お兄様」
リューシンガの言葉に、クローディアは頷いた。
「この世界に住まう全ての方々よ。どうか私の声に耳を貸して頂きたい――」
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