第18話 夜のお買い物

「お父さんなんかだいっきらい!」

 トタトタと階段を上る美衣の足音。


 5年ぶりに投げられた言葉に呆然とする幸次。前回は美衣専用シャンプーを使ってしまったとき。風呂上がりにバラの香り漂う父を見たときの罵倒に続く言葉が先の言葉と全く同じだったような気がする。


 うっかりしていたのだ。普段はプレミアムアイスクリームのバニラを食している幸次が、たまたまよく似た色合いのパッケージでチーズケーキのアイスクリームであったのだ。

 美衣が冷凍庫にアイスクリームが無いことに気が付いたときには、幸せそうな顔でアイスの上にバーボンをたぷたぷとかけて食している幸次の腹の中であった。

 しょうがないじゃないか。だって俺だって、女の子だもん。

 もんもん。悶々とソファの上でうずくまる幸次。アイスを食べる手は止まっていないが。脂肪分と甘味の組み合わせは体が欲するのだ。ついでに男子の部分はアルコールを欲している。故にこう、アイスクリームを食べているのは仕方のないことなのだ。何が悪いっていうんだ。


 ……まあ、悪いのだが。体にもすこぶる悪そうだ。


 風呂上がりのお楽しみを取られれば、そりゃ怒るか。


 仕方ないので、コンビニに行くことにする。上着を羽織って、ポーチを持つと美穂が声を掛けてきた。

「私、ラムレーズン」

「あ、俺コーラね」

「ぐっ……お前たちはいつもそうだ。少しは自分で……ぶつぶつ」

 ブツブツ言いながら、玄関を出ると21:00を過ぎた外は真っ暗であった。

「まったく。かよわい女子を1人で夜道に放り出すとは」


 途中、変質者のとある箇所に集中している毛を身体強化の術式を使ったうえで、力任せに引っこ抜いたこと以外は、特に何事もなくコンビニエンスストアにたどり着いた。


 トイレで手を洗った後、店内をうろついていると知った顔がこちらを向いて笑いかけてきた。

「む。橘君か」

「こ、こんばんは。佐藤さん」

 橘君だ。以前美衣の学校で言葉を交わしたりしていたが、この辺の子なのか。

「こんばんは。お買い物?」

 と、微笑を浮かべると、橘の顔が少しだけ赤くなる。幸次も風呂上がりなので、リンスの香りを振りまいていて、部屋着のノースリーブとショートパンツに上着を羽織っただけの姿である。これは変質者に出会う確率も上がるのかもしれない格好だ。こちらは娘の同級生という認識だが、むこうは自分のことを同じく同級の綺麗な女の子という認識なのがつらいところだ。


「う、うん。塾の帰り。佐藤さんは?」

 塾。そういえば美衣は塾とか大丈夫なのか。成績はど真ん中らしいが。

「うん、お使いだよ」


 アイスを選んでいく。チーズケーキとラムレーズン。バニラも買っておこう。

 ビールも自分の分買っておくか……っと、中学生も見てるし、ここはやめておくか。代わりにホッピーを買う。確か焼酎があったはず。


「ありがとうございましたー」


「じゃ。おやすみなさい」

 と橘君に声を掛けて歩き出す。

「送っていくよ」

 橘君は歩き出した幸次を慌てて追いかけてついてきた。

 暗い夜道か……確かに1人では歩かんわなぁ。まさか来るとき引きちぎってきたとは言えず。

「いいのに、でもありがとう」

 と返した。

 ぱっこぽっこという幸次の足音と、橘の革靴の足音が続く。

「ごめんごめん、美衣のミュール歩きにくくてね。遅いでしょ」

 それほどヒールが高いわけではないのだが、気軽に履けるサンダルが無かったのだ。今度買おうと思う。サイズがあれば雪駄なんて渋くていいと思う。

「ああ、い、いいよ。あの……」

 と、橘君が言い淀む。

「手、繋いでいいかな?」

「はあ? え、ああ、いいよ。ありがとう」

 と、橘君の手をとる。

 恐らく歩きにくいのを気遣ってのことだろう。もちろん、それ以外の理由も幸次には分かっている。思春期だなぁ。セイシュンだなぁ。と思う。対象が自分なのがちょっと引っかかるところであるが。ま、これはご褒美だな。送ってくれたことへの。しかし随分積極的じゃないか。まさかとは思いますが、うちの娘にも同じことをしてないでしょうね。

 今日は、橘君は手を洗わないかもしれんな。右手だし。などと、ちょっと自意識過剰気味で失礼な子ことを考えながら歩いていると、自宅の前に着いた。

「ここだから。送ってくれてありがとう」

「う、うん。おやすみなさい。ま、またね」

「うん、おやすみ。またね」



 玄関には、ニヤニヤ顔の美衣が待ち構えていた。アイスクリームを買うまでもなく、機嫌を直しているようだ。

「見たわよ」

「見たか」

「うん。仲良く手繋いじゃって。いい感じだったわよ。またセッティングしてあげよっか」

「……やり手ババアか。お前は。アイス食うか?」

「うん!」


「……なんでコーラがホッピーになんだよ!」

「いや、焼酎があったと思ってな? 確か書斎に……」

 出てきたのは芋焼酎。

 ゴクリ。炭酸の後に鼻に抜けるかすかな芋の香り。そして、ホッピーの風味の奥に潜む芋焼酎の甘み。

「……芋焼酎がこんなに主張してくるとはなぁ。お、幸太もホッピー飲めよそのままで」

「ひでぇ」


 唐突に始まった酒盛り。美衣は芋焼酎の臭いにくさいくさいと騒ぎだす。美穂は呑みだした幸次と自分のために、台所で肴を用意する。


 美穂が用意してくれる肴。そして美衣が追及する橘との逢瀬(?)を肴に、佐藤家の酒宴は夜遅くまで続いた。

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