血潮の湯

前編

 羅宮凪島中部には、南北を分かつように大牧山がそびえ立っている。

 意外なことにもこの山、南部のリゾート地と東部の珊瑚礁に並ぶ、島有数の観光地となっている。

 それには、こんな理由がある。

 太平洋戦争末期の黄泉島(当時は羅宮凪島ではなく、黄泉島と呼ばれていた)攻防戦にて、大牧山は米軍が行なった地形が変わるほどの猛爆撃を崩れることなく耐え抜いた。

 そして大戦終結後のある日、現地の住民が食料を求めて山を彷徨っていた。

 しかし、爆撃の後に広がる禿山に、口に入れられるものはなかった。

 諦めて帰ろうと思っていたその時、地面から吹き出すお湯を発見した。源泉である。

 大喜びで当時の住民はそこに温泉施設を作り出し、米兵相手に日本最大級の風俗街を作り出した。

 今や風俗街の姿はないが、山頂付近には小さな温泉街が存在している。

 余談だが、最初に源泉を発見した男は風俗街で莫大な富を築いた。……かに思われたが、完成直前に殺害された。

 犯人は出稼ぎに来ていた朝鮮人とも、利権を求めた米軍の仕業とも囁かれたが、真実は明らかにされていない。

 だが、二つ確かな事がある。

 その後の風俗街を切り盛りし、バブル経済が始まって早々に温泉街へと切り替えたのは、中部の大地主である金剛寺家ということ。

 そして、金剛寺家を調べた者は口をつぐむか、永遠に口を閉ざす事となったのだ。


◇ ◇ ◇


二〇一八年二月二三日

愛知県羅宮凪市 下暮温泉菊門旅館


 大牧山山頂の下暮温泉街。

 その中でも小規模だが、確かな歴史を持つ温泉宿である菊門旅館にて、宴の席が設けられた。

 軒先に置かれた看板には『猪狩建設 社長バーディー記念』とあり、極めて不可思議な理由が伺える席だ。

 無論、社長がゴルフでバーディーを決めた程度で宴席を設けることはない。バーディーを決めたのは事実なのかもしれないが、こんなのはただの名目だ。

 この席を設けた本当の組織とは、大狩組。

 羅宮凪島に古くから存在する指定暴力団、いわゆるヤクザである。猪狩建設とは、大狩組の仮の姿舎弟企業に過ぎない。

 今回の席はゴルフの大した事のない成績を讃えるためではなく、新たな組長の誕生を祝うために設けられたのだ。

 宿に入る人間を一見すると、定年退職した老人が一張羅のスーツを引っ張り出してやって来たようにも見えるが、この宿にいる多くが大狩組の関係者暴力団員だ。

 宿の奥の奥。畳敷きの大宴会場では、神妙な顔立ちの中年や初老の男達が座椅子に座り、じっと席が埋まるのを待っていた。

 新たな組長の就任。祝うべきことだが、このような組織ではただ喜んでいるような人間がのし上がることは出来ない。

 彼らにとって、この場は味方でありながらも敵である人間が集う危険地帯だ。

 もしかしたら明日、自分はこいつらの中の誰かに殺されているかもしれない。そんな気持ちでは、とても気楽な思いで出席なぞ出来はしない。


 受付が始まってから三十分ほど経ち、空席もまばらになった。

 ちょうどいい塩梅だ、そろそろ会も始まるだろう。

 組員たちがそう考え始めた頃、ようやく主役が会場に姿を見せた。

 大狩組八代目組長、大狩勝おおかりまさる。大柄な体格の彼は髪を金色に染め、肩ほどまである髪をオールバックにしている。

 まるで、一昔前の『イマドキのワルい若者』を体現したような男だ。

 大狩勝の外見はもとより、能力についても疑問を呈す声は大きい。毎日を遊び倒す放蕩息子で、金を使い込み、組の仕事すらロクにしたことがない。

 現状、彼が指一本失っていない五体満足な体を維持しているのは、亡き父親から大切にされていたのを踏まえたとしても、奇跡としか言いようがない。

 これから部下となる男達の冷ややかな視線を浴びながらも、勝は上座にある自身の席に腰を下ろした。そして、乾杯もまだなのに目前の食前酒を口につけた。

「かーっ、いいね」

 極道に限った話ではないが、こういった慣習を知らない、あるいは無視する人間を極道は強く嫌う。

 やはり、こいつではだめだ。

 そんな諦観が会場を漂った。


 午後七時四十七分。三台のバンが温泉街に姿を見せた。

 白い業務用のバンの側面ガラスにはスモークが貼られていたり、即席の目隠しなのかチラシ類が乱雑に貼り付けられていたりと……明らかに不審だった。

 かろうじて正面のガラスに目隠しの類はなく、運転手と助手席に座る人間の様子が伺えた。

 三台の二人、つまり六人とも日本人らしい顔立ちではなく、東南アジア系といった雰囲気だ。

 偶然にも、その様子をパトロールしていた特警の隊員が目撃していた。

「なんだ、あのバンは」

 特警の隊員は基本給に加えて出来高制だ。

 逮捕した容疑者の数に応じて給料が増える。増額される条件が職務質問ではなく逮捕のため、不審と見た対象については積極的だ。

「こりゃ貰ったな。行くぞ」

 キーを回すとコンビニの駐車場を出て、車列の追跡を始めた。

 車列は温泉街の北から進入し、高級旅館の集う地区へ向かっていた。

 どうせ、金持ち向けの薬でも運んでいるのだろう。着く前に捕まえてやる。

 赤色灯をルーフに乗せ、パトカーを先頭のバンに寄せた。

「そこのバン、全部脇に寄せて止まれ」

 特警を敵に回したがる者はいない。三台が大人しく停車したのを確認し、パトカーも停車した。

 パトカーから出た隊員がバンの窓を叩く。

「全員降りて、荷物を見せろ」

 そういう彼の手には拳銃、もう一人はパトカーの開いたドアを盾に、散弾銃の銃口を向けている。

 この監視の中で抵抗するには、かなりの度胸が必要だ。

 ガチャリ。解錠した音がすると、運転席から青年が一人出た。

「なに?」

「トランクを開けろ、全部だ」

「あー、ダメ。見せられない。あー、許して。please」

 そう言ってポケットから丸めた紙幣を取り出した。

 隊員が開いて確かめるが、数が不服だったのだろう。ポケットに納めると、

「今すぐ、トランクを開けろ」

「払った払った! お金、払った!」

「知るか、見せろ!」

 青年は従う意思を見せず、隊員も譲ろうとはしない。

 そんな危険なバランスの現場で、遂に暴力が発生した。

 最初は隊員が拳銃の銃口で青年を殴りつけたのが始まりだ。すると、瞬く間に次の暴力が起きた。

 突然、殴りつけた隊員が崩れ落ちた。続けて、パパパパンと連発した銃声が響き、散弾銃を持った隊員も倒れた。

 バンから複数の覆面男が現れ、倒れた隊員を調べている。

『急げ、時間がないぞ!』

 フィリピン語の叫び。

 すると、そそくさと覆面たちが撤収を始め、ついでとばかりに隊員の散弾銃を持ち去った。

「ここで止めてくれ」

 覆面が散弾銃を持ち去ろうと背を向けた時、ジョンが言った。

 手元のタブレット端末を操作すると静止画が拡大され、覆面の右手に握る潤滑剤を注入する機械グリースガンのような、小型の機関銃が大きく映し出された。

「容疑者は最低でも二丁の銃を持っている。一つはM3短機関銃。もう一つの種類は不明だが、発砲音とマズルフラッシュ閃光、遺体の傷からサプレッサー減音器付きの銃器と推測出来る」

 その点については誰も異論はない。

「長谷川。この点を踏まえて、連中をどう考える?」

 長谷川ライナルトは元SATだ。日本の周辺国の犯罪事情に詳しく、同時に武器マニアだ。

 彼は目を輝かせながら語り始めた。

「彼らの話していた言語はフィリピン語だ。変な訛りがない上、わざわざ隊員の武器を奪う辺り、プロじゃない。偽装は考えられない」

 今回は運が良かったが、近年の銃器には盗難防止用のGPS発信機が取り付けられていることがある。そのリスクを考えれば、持ち去るなどという選択肢は浮かばない。

 これが、長谷川の主張だ。つまり彼らはフィリピン語が広く使われている素人集団だ。

「そして、グリースガンはフィリピン軍で採用されている。元軍人のギャングが喜ぶし、安いから密造村の売れ筋商品の一つでもある。そもそもグリースガンが安価なのは、第二次大戦中……」

「長谷川、要点だけを頼む」

 話題が逸れたところに入れられた横槍に、長谷川は不満げながらも言葉を続けた。

「……つまり、この容疑者は近年、羅宮凪島で勢力を伸ばしているフィリピン系マフィアと思われる」

 彼らがこうして集まっているのは言うまでもない。

 このまま特警の隊員が襲撃され、殺害されたのならSIUの出番はもう少し後。捜査班が目的や所在を調べ、特定出来てからとなる。

 こうやって集まっているのは、彼らが既に行動を起こしているからだ。

「ユキムラ軍曹。たった今、捜査班が現場の映像を入手した。そちらに映すぞ」

 ベカエールの言葉通り、現場に設置された監視カメラと思わしき映像がモニターに映し出された。

 現場とは、下暮温泉街の菊門旅館。件のフィリピン系マフィアと思われる武装集団に襲撃されたのだ。

「もう一つ情報が入った。その映像を確認すれば想像できると思うが、現場では指定暴力団、大狩組がパーティーを開いていたことがわかった」

「大狩組と外国系マフィアは、基本的に険悪だ」長谷川が情報を補足する。「この間、組長が盛大に葬式を上げたそうだから、今日は新組長の就任式だったんだろう」

「内部では暴力団員と武装集団とで激しい銃撃戦となっている。突入となった場合、諸君らは両方の勢力と交戦することになるだろう」

 SIUは基本、容疑者の逮捕を優先とする法執行機関の特殊部隊だ。だが今回のように重武装している危険な集団が相手の場合、逮捕を優先していては隊員の死傷率は跳ね上がる。

 交戦という表現が用いられる場合、それは容疑者の射殺を前提とした交戦規定の血生臭い作戦を指す。

「例によって、他のチームは多忙を理由にこちらの招集を拒否した」

 警察の派閥争いは深刻だが、特警も他人の事を言えない状態でもある。

 SIUはそれぞれ、チーム毎に派遣元の会社が存在する。チームスリー3の場合はポセイドン海運傘下のミラージュ社と、日本の警備会社安寧警備だ。

 ワン1はアメリカのPMCブラックサンズ社、ツー2はロシア内務省軍の紐付きPMCであるヴィンペルグループVG社、フォー4は南アフリカのエグゼクティブEアウトローズO社といった具合だ。無論、スリーのチェルノブのように例外はある。

 三社は互いが中東やアフリカの紛争地帯で行っている活動の影響で、関係はあまり良くない。

 ベカエールはあまりこういったしがらみを気にしないタイプの人間ではあるが、他所がそうとは限らない。普段、要請には極力応じているのにも関わらずだ。

 まあ、PMCの関係なぞそんなもの。大抵は恩知らずの集まりだ。

「今作戦では、我々チームスリーと警察の銃器対策部隊で制圧しなければならない」

 チームスリーは総勢三十名、それに対して銃器対策部隊は百名だが、本来SATが出動するような事件では後方支援を担当する部隊だ。今回のような場合は、突入部隊としての能力はあまり期待できないだろう。

 加えて、人員整理の影響で優秀な人材は片っ端から引き抜かれた過去があり、練度に不安があるため、なおさら突入部隊に編成するわけにはいかなかった。

「では、警察には包囲網を形成してもらいましょう。司令、館内の見取り図は?」

 作戦を立てるには、内部の構造を知らなければならない。

 制圧する部屋の順番、扉の開き方から歩き方に至るまで。多少現場でアレンジが加えられるとはいえ、細かい点まで決めるのだから。

「現場にしかないという話だったが、オーナーが所持しているとの情報が出た。もう、着く頃だろう」

 ベカエールが言った丁度、会議室の扉が叩かれた。

「どうぞ」

 入って来たのは見覚えのない、不細工な大男だった。

 ここまで入って来て、何もしていないのだから単なる部外者襲撃ではないのは確かだ。

 背は長谷川と同じぐらい。腹はでっぷりと肥えている。しかし、立ち振る舞いに隙がない。

「ここの職員ではないようですが、どちら様でしょう?」

「菊門旅館のオーナー、金剛寺栄太だ」

 例え現場のオーナーとはいえ、部外者を会議室に入れるのは論外だ。

 慌ててジョンは栄太の前に立ち塞がった。

「申し訳ない、この部屋は関係者以外立ち入り禁止です」

「知ってる。お前さんらのヒラは信用出来んから、直接持って来てやったんだ」

 と、スラスラと英語で言ってのけた。

 日本人が英語を話すことに驚きはないが、外見からは知性の欠片も見受けられない男が言い出した事に、一同は度肝を抜かれた。

「で、おたくらSIU?」

「その質問にはお答え出来ません」

 備品を壊すな、穏便に解決できるんだろうな、とでも言い出すのかと思えば、

「そうかい。これが旅館の見取り図だ。じゃ、幸運を」

 とだけ言い残すと、振り返りもせずに退室した。

 何だったんだあいつは。部屋にそんな空気が漂う中、長谷川が呟いた。

「あれが金剛寺栄太か……」

「知ってるのか?」

「羅宮凪島じゃかなりの有名人だ。多分、島で二番目ぐらいの富豪になるだろう」

 単なる富豪か。それにしては長谷川の様子が妙だが、今はそれを聞いている時ではない。

「とにかく、地図は揃った」

 スキャナーに見取り図を読み取らせ、拡大したものをモニターに映し出した。

「現場は二つのフロアに分かれている。一階は受付ホール・ラウンジ・宴会場・レストラン・浴場となっている。二階は主に客室、小部屋が多いな」

 小部屋は死角が多く、容疑者の隠れ場所として最適だ。だが、同時に内部への潜入口にも向いている。

「やはり、ここは教本通りドア・ウェッジ(扉に挟んで開閉出来なくする装置)を使用し、容疑者の逃げ道を制限しつつ行動すべきかと」

 隊員の挙手に、ベカエールは頷く。

「では、二階から突入するチームはウェッジを用いて客室及び用具室を全て閉鎖。それで構わないな?」

「同感です」

 こんな調子で会議は進み、作戦が決まった。

 ジョン率いるレッドチームはヘリで施設上空に接近。ファストロープ降下で屋上に着地後、ラペリングで二二六号室の窓から突入。以降は客室をウェッジで封鎖。終わり次第、一階の制圧に移る。客室の制圧は全てが終わってからだ。

 ブルーチームはレッドチームが内部に侵入してから、一階の厨房勝手口から突入。事態の中心部であろう宴会場を制圧し、浴場に向かう。

 イエローチームは正面玄関に陣取り、容疑者たちの注意を引きつける。攻撃してくる容疑者を制圧後、内部に突入となる。

 狙撃班、シエラSチームは周囲のホテルやヘリから窓を見張り、内部の偵察、司令部またはチームリーダーの要請で狙撃。

 このような具合だ。

「では、その他調整が済み次第、作戦の結構に移る。各員、解散」

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