お嬢様の愛情が大きすぎて婚約者には伝わらない。

榊優

第1話 お嬢様の愛情は婚約者に伝わらない

突然だけど、僕には婚約者がいる。

初めて出会ったのは彼女が小学1年生の時で、今は高校1年生だから、出会ってから9年くらいだろうか。

もっとも、小学6年生の時に一度彼女の都合で離れ離れになって、再開したのは最近だけど。

昔はお転婆で、僕の横を元気いっぱいで付いてきては、わがままをいう可愛い子だったんだけど、再開した彼女は立派な淑女になっていた。

少し寂しいけどね…。

今日はそんな彼女と僕の話をしようと思う。


毎朝彼女は僕の家の前で僕を待っている。

長く伸ばした黒髪は綺麗に手入れされていて、どんなに朝早くても常に整っている顔立ちからは彼女の美意識の高さを感じさせる。

まあ身長が低いままなのも可愛らしい。

僕がそんなことを考えていると、僕に気づいた彼女が話しかけてきた。

「おはようございます。」

「待たせたみたいでごめんね。中に入っていれば良かったのに」

「いいえ。玄関のチャイムの音で宗孝様を起こしてしまっては、大変ですから。」

「そんなの気にしなくて良いのに」

彼女みたいなお嬢様を家の前で立たせておくことには少し罪悪感を感じてしまう。

明日からはもっと早く起きようと思った。

もっとも、僕が早く起きていることに気づくと彼女はもっと早く来てしまうから、なかなか難しいところがあるけれども。

「いつも歩かせちゃってごめんね。僕と再会する前はずっと車で登校していたんでしょ」

「いえ。お気になさらないでください。宗孝様がお車が嫌いなのは存じておりますから。」

そこで、僕と彼女の会話は途切れる。

彼女は半歩後ろを歩き、静かに僕についてくる。

僕と彼女の登校風景はいつもこんな感じである。


「宗孝様。本日のお昼をお持ちいたしました。」

昼休みになると彼女はいつもお弁当を持って僕の教室にやって来る。

僕と彼女は食堂に向かい、そこで二人でお弁当を食べるのがいつもの習慣になっている。

お弁当は彼女の家の使用人が作ってくれているもので、ちゃんとその日の栄養を考えて、作られているものだ。

ただ正直に言うとあんまり美味しくはない。

彼女はどう考えているんだろうか。

二人に会話はなく、いつも二人で黙々と食べている。

「本当に綺麗に食べるね。」

僕がそう言うと彼女は少しだけ驚いた表情を見せて言った。

「はい。練習いたしましたから。」

「どんな練習をしたの?」

「一通りのマナーは習いました。宗孝様の婚約者として恥ずかしくないようにするためです。」

そこで、僕たちの会話は終わってしまう。

おかしいな。

昔はいくら話しても話題が尽きなかったのに、今は、何を話していいかすら分からないや。


放課後、彼女は必ず校門の前で僕を待っている。

彼女は僕と帰ることにこだわっているんだけど、僕としては、彼女が一人で家に帰るのは不安だから、結局、僕と彼女で僕の家に歩いて向かい、そこから家の使用人が彼女を彼女の家まで送っていくことになっている。

意味が分からないと思うけど、そうなってしまったんだから仕方がない。

僕はいつも通り校門の前で待っている彼女に言った。

「いつも悪いね。」

「当然です。私は宗孝様の婚約者ですから。」

「部活動とかってやらないの?体の悪い僕と違って、君はスポーツが得意じゃなかったっけ?」

「興味ありません」

ちょっと会話の展開がまずかったかな?

難しい。

僕は別に会話が苦手ではないんだけど、なぜか彼女とは会話が続かない。

結局、その日はそれ以上、会話をすることなく帰った。


そんなある日、20分休みに、廊下を歩いていく彼女を見つけた。

どうも食堂に向かっているらしい。

そういえば彼女が僕といない時にどうやって過ごしているかは知らなかったな。

興味を持った僕は身を隠して、彼女について行った。

食堂につくと、彼女はうどんを注文した。

凄いな。

昼ご飯を食べるのに、休み時間にうどんを食べるのか。

そういえば彼女はうどんが好きだった気がする。

彼女はうどんを持って席に着くと、大量の七味唐辛子をかけた。

そうだ。

彼女は大の辛党だったんだった。

僕が懐かしく感じていると恐らく同じクラスの人だろうか。

一人の同級生が彼女に話しかけてきた。

「おい。羽賀。またうどん食ってんのかよ。本当好きだな。」

「別に良いでしょ。放っておいてよ」

「まあ。そう言うなよ。しかし、あれだよな。そんなに好きなら昼に食べればいいじゃねえか」

「そういう訳には行かないのよ。お弁当があるし、第一、宗孝様の前で七味一杯にかける訳にはいかないでしょ。婚約として恥ずかしい真似はできないんだから」

僕の前でない彼女は凄く自然体で楽しそうだった。

僕はいけないことだとわかりつつも少し自分の中に黒い感情が芽生えていくのを感じた。

しばらくして、同級生が立ち去ると、僕は思わず彼女の前に出た。

「あれ。奇遇だね。こんな時間に食堂でどうしたの?」

僕を見ると彼女は、目を大きく見開いて、動転した様子を見せた後に、とっさに、うどんのプレートを右に置いて言った。

「少し、人を待っておりました。」

「食堂で?」

「はい。何も頼まないのは申し訳ないとは思ったのですけど、おなかが減っていなかったもので。食堂の食事はあまり口に合いませんし」

あくまで隠す気なのか。僕は少し意地悪をしてみたくなって言った。

「その横にあるうどんは何かな?」

「さあ。多分隣の人が置いて言ったんだと思います。まったくマナーがなっていませんね」

「そうなんだ。どうする?たまには今日のお昼は、食堂で何か買ってみる?」

「そういう訳には参りません。お弁当もありますし、食堂のメニューには何が入っているかがわかりませんから。宗孝様の体に万が一があったら大変です。」

本当は好きなくせに。

僕は思わずかっとなって返事をせずに、そのまま食堂を出た。

「宗孝様。どうされたのですか?」

彼女は驚いた様子で急いで僕の後ろをついてきたのだった。


その日の5時間目。

僕はふと窓の外を見ていた。

頭に浮かんだのは20分休みの彼女のことだ。

すると偶然、彼女がグラウンドでソフトボールをしているところを見つけた。

どうも試合が白熱しているようで周りからは歓声が上がっている。

彼女はバッターボックスに立ち、バットを振る。

その結果は見事にホームランだった。

満面の笑みで、ベースを走る彼女はホームベースで待つクラスメートに抱き着き、みんなとハイタッチをしていた。

「だから言ったでしょ。あきらめなければ勝てるのよ」

彼女は大きな声でそう叫んでいた。

天真爛漫でお転婆で、スポーツ万能。

わがままだけど憎めない。

そんな僕が好きになった彼女の姿がそこにはあった。

僕はその様子を見て、さらに強く思う。

それならばどうして僕の前だけ、人形のようになってしまうんだ。

僕は彼女が変わってしまったのだと思っていた。

いつも明るく、快活だった彼女が、従順で清廉な人形のような女性になった。

そう思っていた。

でもそうでは何のかもしれない。

彼女は、僕の前でだけ無理をして架空の自分を演じているのだ。

それはきっと僕が彼女の婚約者だから。

小さいころから婚約者として育った彼女にとって僕の婚約者であることはきっと職業のようなものなのだ。

彼女は僕のことを気にかけているがそれは決して愛だの恋だのという生ぬるいものではないのだ。

自らの生きる術であるといっていい。

ただ、そんなことに気づいてもなお、今の地位を手放すことのできない僕は、どうしようもないくらい彼女のことが好きなのだと思う。


その日の放課後、珍しく校門の前に彼女がいなかったので、僕は彼女を探しに彼女の教室に向かった。

するとそこには、彼女と、この前彼女と親しげに話していた同級生の二人がいた。

「それで。話って何?早くしないと宗孝様が来ちゃうじゃない?」

「なあ。羽賀いつまで、あいつの婚約者をやる気なんだ?」

「どういう意味?結婚するまでは婚約者でしょ」

「自分の力で生きようとは思わないのかよ」

「自分の力で?私は婚約者としてできる限りのことはやっているわ。」

彼女の言葉に同級生は感極まったのか、大きな声で言った。

「見てられねえんだよ。そんなに自分を殺して生きることに意味なんてあるのかよ?」

彼女は同級生の言葉が予想外だったのか呆然とした様子で同級生を見ていた。

「いいか。俺はお前が好きだ。お前の良いところもいっぱい知っている。だけど、あいつの前にいるお前は見てられねえよ。まるで人形みたいだ。親の決めた道に従って、好きでもない家柄だけの人間に一生尽くして生きていく。そんなのおかしいだろ。もっと自分の意思を持って生きろよ。」

僕はこの同級生の言葉を聞いて、まっすぐな良い人間だなと思った。

それと同時に少しだけうらやましく思った。

僕だって昔は彼女の素の姿を知っていたんだ。

彼女を幸せにできるはずだったんだ。

今でも彼女のことが好きなんだ。

まあでも彼女のことを考えたらここで身を引くべきなのかもしれない。

彼女は同級生の話をかみしめるように聞くと、まっすぐ前を見て言った。

「言いたいことは分かったわ。」

「それじゃあ」

「でも一点だけ。謝ってもらえる?」

「…」

「宗孝様は家柄だけの人間じゃないわ。誰にでも優しくて、まじめで、きさくで、色々な物事を知っているし、私のことも凄く大切にしてくれる。そんな素敵な人なの」

「まさかお前、あいつのことが本当に好きなのか?」

「当然でしょ。大好きよ。ずっと前からね。でもあまりに好きすぎてもうどうしたら良いかわからないの。いつも思うわ。もっと楽しい話が出来たら、もっと色々な出来事を共有できたら、素直にこの気持ちを伝えられたらどれだけ良いかって。でも駄目なの。面と向かって話すと頭が真っ白になって、つい婚約者であることにすがってしまうの。婚約者であればもっと一緒にいられるとか、婚約者であればこうすべきとかそういうことばかり考えちゃう。

ずっと宗孝様に見合った婚約者になることだけを考えて生きてきたせいかもしれないわね」

「そうなのか」

「うん。だからごめんね。あなたが心配してくれたのはうれしいけど、あなたの気持ちには答えられないや。私が好きなのは多分一生あの人だけだから」

そういうと彼女は教室を飛び出した。そして、すぐ外にいた僕と目が合った。

「宗孝様。まさか聞かれていたのですか?」

僕は言葉で返事をする代わりに彼女のことを抱きしめた。

彼女は驚いた様子を見せたが抵抗せずに覚悟を決めた様子で言った。

「私の気持ちは嘘ではありませんから」

「優衣。君の気持はよく分かったよ。僕のために一生懸命、婚約者として頑張ってくれていることも分かった。でもさあ。僕は欲張りだから、普段の君も僕の物にしたい。そう思ってしまうんだ。駄目かな?」

彼女は何も言わず、ただ肯定するかのようにぎゅっと僕の体を抱きしめ返したのだった。

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