生命の輝き

小紫-こむらさきー

五つの碧眼

「わたしたち」


「うん」


 円形の水槽に浮かんだ彼女の厚い唇が動く。

 水槽に満たされた薄緑色の培養液の中に、こぽこぽと水泡が浮かんで、ディスプレイからは彼女が発した言葉が再生される。


「また、うみにいきたいね」


「うん」


 僕は、マイクに口を近付けて返事をする。

 電気信号に変換されて彼女の身体に付いている幾つかのセンサーによって、この声は届けられる。

 僕の声は、ちゃんと以前のまま届いているだろうか。


 円形のところどころ捩れたり縊れた身体には、五つの目玉がついている。

 姿形は変わってしまったけれど、その瞳の青さだけは変わらない。

 だから、この赤い円形の……冒涜的なドーナツのような姿に変わった彼女が、彼女のままだと僕は信じられる。


「くるまをうんてんする、あなたの、となりにすわって」


「そうだね」


 彼女は、この水槽から出ることは出来ない。

 身体のほとんどを、あの事故があった日に失ってしまったから。

 僕は、一つだけ残った彼女の目玉、そしてはらわたを持ち帰り、彼女をここまで蘇らせることに成功した。

 彼女の家族も、友人も、蘇った彼女を見て、彼女と認めてくれなかったけれど。

 彼女の声すら聞こうとせずに、僕を罵って、二度と会うことはなくなってしまったけれど。

 彼女はちゃんと生きている。

 昔の思い出もこうして話してくれるし、これからやりたいことだってある。


 だから、ちゃんとした肉体さえあれば彼女は元通りになれるんだ。ちょっとした手違いで目玉の数が増えたことくらい些事でしかない。


「わたしは」


「どうしたんだい」


「わたしは みにくいの?」


「ううん、きれいだよ」


「みんな わたしをみて さけんでいた」


「気にすることは無い。僕だけは、いなくなったりしない」


「うん」


 彼女はゆっくりと目を閉じた。

 少しだけ悲しそうな声。

 急がなければいけない。

 彼女は、奇跡の生還をした。

 いのちのかがやきは、まだ消えていない。でも、この不完全な身体では、純粋な彼女の心が壊れてしまうこともわかっていた。

 どうすればいい。

 僕は内心の焦りを読まれないように慎重に言葉を選びながら彼女へ微笑んだ。

 僕には彼女だけいればいい。でも、彼女は僕以外のたくさんの人からの賞賛や、会話を求めている。


 眠ったのだろうか。

 彼女は五つの目を閉じている。口の端から僅かに泡が漏れる。

 どうして生きているのかは僕もわからない。

 

 彼女が死んだあの日、部屋で泣き叫んでいると真っ黒な男がいた。

 真っ黒な服を着ているとかではなく、全身が黒いペンキで塗りつぶされたような……そんな異様な姿をした妙に背の高い男が立っていたのだ。

 彼は僕から、彼女の目玉とはらわたを取り上げた。


 半狂乱になった僕を、脇腹から生えてきた三本目の腕一本で抑えながら彼は笑ったんだ。

 真っ黒に塗りつぶされていた顔の一部が、ぐにゃりと三日月を横にした形に歪んだから、アレは笑っていたんだと思う。

 笑った彼は、くぐもった声でこういった。


「いのちのかがやきを けしてはいけない」


「しらしめなさい たくさんのひとに」


「でなければ かのじょは ゆっくりと しぬだろう」


 途切れ途切れに、脳に直接叩き込まれるような言葉を聞いて、いつのまにか僕は失神していた。

 アレから、彼女はこうして円形の水槽の中で徐々に再生をしていった。

 そして、今の形――冒涜的なドーナツに目玉を5つトッピングしたかのような――にまで復活した。

 でも、この姿から彼女が変わることは無い。

 以前は一日の半分は起きていた彼女も、最近は眠ることが多くなった。

 それに、悲観的な発言も増えた。

 

 彼女のいのちのかがやき。

 消してはいけない。


 必死で考えた僕は、彼女の存在を知らしめるにはどうすればいいのかを考えたんだ。


「おはよう」


 こぽこぽと培養液の中に、今日も水泡が浮かぶ。

 ゆっくりと瞼を開けた彼女は、五つの碧眼で僕をゆっくりと見つめて浮かんでいる。


「君の姿を、描いてもいいかな」


「きれいにかいて くれるわよね」


「うん」


 もう時間は無い。

 一つの賭けをすることにしたんだ。

 彼女の姿を知らしめるために効果的なこと。


 ひたすら描いた。

 彼女の笑っている顔。

 悲しそうな顔。

 楽しそうな顔。

 

 肉感的に。

 デフォルメをして可愛らしく。

 様々な場所に、少しずつ、姿を変えて。

 見たことがある。少しずつ日常に紛れ込ませる。

 違和感を減らせるように。

 彼女の姿を、たくさんの人が違和感なく受け入れられるために出来ること。

 彼女の、いのちのかがやきが、消えないうちに。


 彼女の絵を描き始めてから、どれくらい経ったのか忘れてしまった。

 以前は数時間は起きていられた彼女も、今では数分だけしか起きていられない。

 毎日一言、二言だけ会話をするだけになってしまった。

 でも、もうすぐそれも終わりだ。


 一件のニュースを見て、僕は微笑んだ。


「おはよう」


「うん」


「もうすぐ、たくさんの人に会えるよ」


「ほんとうに? うれしい」


「ああ、本当さ。きっと、みんなが君の姿を見て、そして話題にすると思うよ」

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