第59話 入門

ダンスの仕事が全て手を離れ、ウチの師匠に入門志願をして、何度かやんわりと断られたけれども何度か楽屋に通ううち、念願叶って入門が許され、前座としての生活が始まった。

師匠の家に毎朝通い、師匠宅の掃除などの雑用をしつつ、着物の畳み方を兄弟子に教わったり、落語の稽古をつけて戴いたり朝ご飯を戴いて、時おり師匠のカバン持ちをさせて戴く。


「お前の名前は、楽天だ」

と、「命名 三遊亭楽天」と既に書いておいて下さった色紙を渡され、嬉しく思うと同時に、今後は自分は「楽天」と呼ばれるようになるのか、と不思議な気持ちになった。

「楽天イーグルスの総務部に電話して、『今度新しく入った弟子に楽天ってつけようと思うんだけど、いいですか?』って確認したら、『売れてない人だからいいです』って言ってたよ」

と、師匠が笑った。

こうして僕は、三遊亭楽天となった。


今まで、客として通っていた両国寄席に前座として通うのは、初めは不思議な感覚だった。

楽屋の扉を「おはようございます!」と言いながら開ける。掃除や寄席の準備をしつつ、兄弟子に鳴り物(太鼓やかね)の稽古をつけて戴く。

お茶を淹れる為のお湯を沸かしたり、チラシを組んだり、メクリを支度したりしていると、やがて開演時間となる。

初めのうちは太鼓も叩けず、師匠によって異なる着物の畳み方や風呂敷への仕舞い方を兄弟子がやっている手元を見て覚える。

寄席が終わると、こっそりメモしていた内容を清書したり、芸人名鑑に書き込んだり。

芸人になるというのは入学でも無ければ、就職でも無い。見て盗むか、自分から訊きにいかないと知識は得られないが、教えを乞うと色々教えてくれる。

慣れない事も、繰り返し反復する事で身につくのは、ダンスと同じだ。

非日常も繰り返せば、日常となる。


師匠から最初に教わった噺は、『寿限無』だった。

家から師匠宅に通う道すがらや、師匠宅での掃除をしながらブツブツ呟いて覚えた。

師匠に覚えた根多を聞いて戴く「アゲの稽古」の時に、

「どうもお前にはフレッシュさが無い。前座なんだから、元気が無ければ駄目だ」

とアドバイスを受ける。

師匠とマンツーマンで稽古を受けている時、何と贅沢な時間なんだろう、と不思議な高揚感に包まれた。

「ま、後は高座で恥かいて覚えろ」

と、辛うじて『寿限無』がアガったのだった。

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