第174話 運命

 「――ゆ、結衣……。ちょっとあそこで話しない……?」


 俺は公園に視線を向ける。


 「う、うん。わかった……」


 俺が先に歩き始めると、結衣は俺の後ろについて行くようにして公園へと足を踏み入れた。


 その小さい公園には、せいぜいお互いの顔が判別できるくらいの心もとない電灯が一本寂しげに立っているだけで、もはや遊具と呼べるものは何もなかった。

 散歩しているおじいちゃんおばあちゃんが、ちょっとした休憩に使うようなベンチがぽつりと置かれている狭いところに、俺と結衣は腰を下ろす。


 「――そ、それで……話って?」


 結衣はうつろな視線を向けてくる。


 「ゆ、結衣……」


 俺は言葉の端を丸めるようにその名前を呼んだ。

 下手したら簡単に崩れ去ってしまうほど、彼女の身体が脆く見えたから。


 「さっきの話なんだけど……」


 「うん……」


 「やっぱり今日はそれぞれ家に帰ろうと思って」


 「えっ……」


 結衣は眉を八の字にして少し視線を落とす。

 そのときの結衣の表情と白いと息が妙に色っぽくて、俺は前言撤回してネオンの光がまぶしい建物に今すぐレッツゴーしたい気持ちになるが、それを必死に抑える。


 「でも、わたしは、まだ伊織のそばにいたいの……」


 「俺だって、結衣とバイバイしたくないし、こうしてずっといられたらいいな~って思ってるよ」


 「じゃ、じゃあ――」


 「でもね」


 深呼吸してから、まっすぐ結衣の瞳を見つめる。


 「俺は――この先も結衣を大切にしたいんだ」


 俺だって本当は結衣ともっともっと――なんて色々なことを考えてしまう。

 けれど、自分の欲望のままに、欲するままに何でも好きなようにしてしまったらどうなるだろうか。


 それこそ「結衣を大切にしたい」とは相反した結果をもたらしてしまうことになるだろう。そんなことはわかりきっている。

 俺だってそうしたい。しかし、そういう気持ちがあったとしても、その一方で、そうしたくはないと思う自分が、身体の内には存在する。


 結衣がその先を望むのであれば、俺だってリミッターを外してしまうかもしれない。いや、さっきの時点で半分外れかけていたから、それは十中八九そうなることに、自分のことだから悪い意味で確信を持ててしまう。


 自分たちの好きなことをしているのだから、そのときはそれでいいのかもしれない。そうでなければそんなことはしないはずだから。


 でも、それでも。

 今、その一瞬が良くても、その先を一度冷静になって立ち止まって考えるべきなのではないだろうか――それが本当に正しい付き合い方なのかって。


 「――俺、嬉しかったんだ……」


 「えっ……な、何が……?」


 「今までの人生で、俺に彼女ができるなんてこれっぽっちも思ってなかったからさ……」


 「そ、それはわたしも……。わたしも初めて男の子に恋をして。その相手が彼氏になって……。うれしいのはわたしも同じ」


 「しかもただの彼女なんかじゃないぞ。結衣みたいにかわいくてかわいくて、俺になんてもったいないくらい、俺とは不釣り合いなくらいな彼女ができたんだ」


 「っ……! そ、それを言ったら、伊織みたいにまっすぐでかっこよくて優しくて……。伊織がわたしの初恋の人で、本当に高嶺の花みたいな感じで……」


 「あれ……高嶺の花って女の子のことを指すんじゃなかったっけ……?」


 「そ、そうなの……?」


 「ん~たぶんそうだったと思う。俺は女の子が男にその言葉を使ってるのは初めて聞いたかな」


 「え~やだっ、恥ずかしいっ……」


 結衣は顔を両手で覆ってしばらく口を閉ざす。


 「――だからさ、結衣」


 俺は小さく丸まっている結衣の名前を呼ぶ。


 「――この巡り合わせは、本当に奇跡なんだと思うんだ」


 「……っ!」


 まだ顔は両手の中で、表情はわからないが、小さく頷くのが見えた。


 「もし、結衣が中学のときに俺のことを見つけてくれなかったら。同じ学校にならなかったら。同じクラスにならなかったら……。今の俺と結衣の関係って、たぶんなかったんじゃないかって……。だから、そう考えると、やっぱりこれを『運命』と言わずにはいられないんだ」


 運命なんて、普段なら何の根拠もないから信じたくはないし、信じているつもりさえ毛頭ない。

 でも、結衣との関係はそんじゃそこらのありふれた関係とはわけが違う。


 「そんな立派な根拠なんてなくても、直感的にこれが運命なんだって、俺には何となくわかるんだ……。本当都合のいい理論だよね……。わかってる、そんなこと。でも、俺はそう思っていたいし、そう信じていたい」


 「い、伊織……」


 気が付くと、結衣の顔が目の前にあった。


 「わ、わたし……ちょっと舞い上がっていたのかもしれない。今日の雰囲気に流されて……わたし……ちゃんと考えてなかった。今さえよければいいって思っちゃって……」


 「そんな……。俺だって最初は流されかけたんだし、お互い様だよ」


 「伊織……」


 「結衣……」


 会話が途絶える。お互いの手を握り合って、さらに顔を近づけていく。

 目を瞑り、視界が途絶えた後、静かにお互いの唇を重ねる。


 外気はこんなにも冷たいのに、触れ合っているところはじんわり温かくて、心地よい。

 時間にしては数秒。しかし、体感時間は何十秒、何分も経ったような気がする。


 「――えへへ……。なんか……ちょっとだけ恥ずかしかった」


 「あはは……実は俺もちょっとだけ」


 苦笑いでごまかすが、俺も結衣も同じことを思っていただろう。

 昼間みたいに明るくなくてよかった。電灯が二人を照らし過ぎなくてよかったって。

 だって、たぶん俺も結衣も、絵具で塗ったように顔が赤く染まっていただろうから。


 「――そ、そろそろ帰ろうか。時間も時間だし……」


 「う、うん」


 ベンチから腰を上げ、駅へと歩き出す。

 電車に揺られ、歩いて、そして結衣の家に着いた。


 「わざわざ送ってくれてありがとう。それに、さっきも……本当にありがとう」


 「う、うす……。俺も……すっげぇ楽しかったよ」


 「うん!」


 結衣が玄関のドアに手を伸ばしたところで、もう一度こちらを振り返る。


 「よいお年を!」


 「えっ、あ、そうか……。結衣こそ、良いお年を!」


 笑顔の結衣が閉まるドアで遮られるまで、俺は手を振り続けた。

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