第152話 ご利益の水

 地主神社をあとにすると、清水寺の観光も終わりが見えてくる。

 俺たち四人が最後に向かったのは「音羽の滝」だ。


 観光地を歩き回るというのは、普段スーパーまで歩くのと同じ距離であっても、人が多いことに加えて慣れていないからだろうか、疲労感がその比じゃない。

 ふくらはぎの付け根辺りに違和感を覚え始め、前に進む度に鈍い痛みを感じるようになってきた。


 しかし、通路を抜けて視界が開けると、そんなことはきれいさっぱり頭から抜け落ちてしまった。


 「これはすごいね~」


 高橋さんは唸るように息を漏らす。

 それには残りの三人も同意見だ。なぜなら、そこには想像をはるかに超える数の人、人、人……。

 ドローンで上から撮影したら、アリがスポーツドリンクの砂糖に群がっているみたいに見えることだろう。


 音羽の滝は随求堂よりもスペースが狭く、人の数が同じでも相対的に人数が多くいると感じてしまう。


 「とにかく並んじゃおうよー」


 その場に立ち止まっても、後ろから人はたくさんやってくるため、順番が来ることはない。

 俺たちはとりあえずカラーコーンで仕切られた列に並ぶことにした。


 「――ねぇ、お水が三本流れているけど、これってどういう意味があるの?」


 結衣が尋ねると、北間さんが素早く反応した。さすが北間さんっす。


 「三本の水のうち、手前から『長寿』『恋愛』『学業』のどれか一つを一気に飲むことで、それを叶えてくれるらしーよ」


 「えっ……? 全部飲んじゃだめなの?」


 「うーん、ダメってわけじゃないんだけど、全部飲むと『欲深い』ってことになるから、ご利益がなくなっちゃうっぽい」


 「へぇ……知らなかったよ」


 「でも~、結衣はもう二択に絞られてるじゃん」


 「それってどういう……?」


 「とぼけても無駄ですよ~。恋愛はもう叶ってるじゃ~ん」


 「そーだ、そーだ!」


 「ひぇっ!」


 結衣は高橋さんと北間さんに突っ込まれ、視線をきょろきょろと泳がせる。


 「だ~か~ら。私と瑞希が恋愛にするから、結衣は他のにしなさいよ~」


 「わ、わかったよぉ~」


 結衣は照れを隠すように俺の方に半分だけ顔を向ける。


 「ねぇ、伊織はどっちにする……?」


 「そ、そうだな……」


 今の二人の理論で行くと、俺も二択になってしまうだろう。だったら――。


 「俺は『長寿』にするよ」


 「どうして?」


 「俺って健康に難ありだからさ……。大事な時期に身体壊さないようにって」


 「なるほど……。じゃあ、わたしは『学問』にする! 今度の試験でいい点数が撮りたいから!」


 「それいいと思う!」


 というわけで、北間さんと高橋さんは「恋愛」、結衣は「学問」、俺は「長寿」ということになった。

 あらかじめ決めておくのってすごく大事。いざその時になってわちゃわちゃしてると、他の人の迷惑になっちゃうからね。それに何より恥ずかしい。


 列にはそれなりの人数がいたから長期戦を覚悟していたが、意外にも回転率は良く、並び始めてから十分弱で順番がやって来た。


 まずは滝の向かいにある不動明王に「失礼します」と一礼をしてから赤外線滅菌されてある柄杓を手に取り、滝の正面に立つ。そして滝に柄杓を伸ばす。

 水の流れは細く見えたが、意外と水圧が強い。油断しているとそのまま柄杓が滝つぼに持っていかれそうになるかもしれないな――なんて思いつつ、溜まった水を手に取って軽く口に含ませる。


 「あぁ……こいつはすごい……」


 普段飲んでいる飲料水と特別に味が違う――というわけではない。しかし、それでもこの水には何か神秘的なものを感じてしまう。

 さすがは千年以上も湧き続けている名水中の名水。清水寺のルーツとなった水なだけある。


 ここまで多くの人が並んでいることに納得してると、右から「うわぁっ!」と結衣の大きな声が聞こえた。

 何事かと右を向くと、案の定といったところだろうか。結衣が持っている柄杓が水に押されて勢いよく傾いていたのだ。


 「危ないっ!」


 俺は結衣の手に自分の手を重ね、ぐっと柄杓を支える。


 「――ふぅ、何とか大事にならずに済んだね……」


 「あ、あの……伊織……手……」


 一安心していると、結衣が小さくそうつぶやく。


 「――ん、手……? 手がどうしたの――って、あっ……」


 結衣の視線の先を見て言葉を失う。柄杓を支えた後も、俺はそのまま結衣の手をしっかりと握っていたのだ。


 「ご、ご、ごめんっ!」


 俺は慌ててその手を離した。


 「え、いや、あの……べ、別に嫌とかではないんだけど……」


 結衣は少し俯き加減になって俺の後ろを指さす。

 俺が振り返ると、そこにはこれでもかというくらいにニヤニヤとした顔をした北間さんと高橋さんがいた。


 「ねーねー。奈緒、奈緒。今見ました? 彼女のピンチにいち早く気づいて手を差し伸べる彼氏さんの姿を……」


 「もちろんだよ~瑞希~。しかも、その後もお互いの愛を確かめ合うようにがっしりと手を握って離さないなんて……あぁ~もうロマンチック過ぎてもう倒れそ――」


 「「二人ともやめて!」」


 「あらあらー。お二人さんとも顔を真っ赤にして、どうされたんですかー?」


 「「っ……」」


 今の俺たちでは、この二人にかなう術が見当たらない。

 俺と結衣は、北間さんと高橋さんのいじりに耐えながら、清水寺を後にした。

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