第108話 夏祭り

 数えきれないくらいの提灯に、高く築かれた矢倉。そこでひときわ大きな音を鳴り響かせる太鼓の数々。それを囲むように踊っているおばさんたち――。


 さっきまで耳ではその音を聞いていたが、聞くだけと目で見て聞くのとでは迫力なんかもやっぱり違っていた。

そんないつも見るような公園の姿とはまた別物だからこそ、今日が特別な日であるということをしみじみと感じる。


 「わぁ~すご~い!」


 結衣は感嘆の声を漏らしている。その瞳がキラキラと輝いているのは、提灯の灯りが映っているのもそうだけど、きっとこれから待ち受けている楽しみに胸を膨らませているからなのだろう。


 「結衣、最初はどこに行きたい……?」


 「う~ん、そうだね……」


 少し考えながら周りを見渡す。そして、ある方向に指を向ける。


 「あそこ、あそこがいい!」


 結衣が指さした先――そこには、白くモクモクとした特大サイズのわたあめがずらりと並んでいた。


 「おぉ、わたあめですかい結衣さん」


 「やっぱりお祭りと言えばわたあめから行かないと!」


 「なるほど……」


 はは~ん、さては結衣さん。もしかしてあなたはお祭りの定番メニューを制覇することで有名なあの「お祭りマスター」ですな……?


 「――すいません、わたあめ一つ下さい」


 「へい、いらっしゃい!」


 威勢のいい掛け声とともに、並べられている中でもとりわけ大きいキングサイズのものをチョイスして俺に手際よく手渡すのと同時に、俺はお金を渡す。


 「い、伊織……?」


 振り向くと、手持ちのバッグに手を入れている結衣が少し焦ったようにしていた。


 「どうしたの……?」


 「そ、その……お金……」


 「お金……あ、そういうこと。大丈夫。ここは任せてよ」


 「そ、そうなの? あ、ありがとう……。じゃあお言葉に甘えて……」


 結衣はバッグから手を戻し、俺はその空いた手に巨大わたあめを渡す。


 「うわぁ~おっきい!」


 結衣はその小さな口で、顔よりも大きい白い雲にもふっとかぶりついた。

 そんな結衣の様子を見て、俺は少し得意げになってしまった。


 というのも、家を出る前に母さんから「余剰資金」と称してお札を一枚託されたのだ。「しっかり」という言葉を添えて。

 そのときは何が「しっかり」かなのかがよくわからなかったけど、今になればそれが何を意味しているのかがよくわかった。結衣の満面の笑みを見るためだったということに。いや、わたあめで一切見えないけど……見える(謎)。


 「ねぇ、高岡くんも食べる……?」


 「うぇっ⁉ そ、そ、それって……か、か、間接キキキキ⁉」


 結衣はそう言って巨大な白い塊をこちらに近づけてくるが、それに合わせて俺は一歩、また一歩と後ずさりしてしまう。


 「伊織、何を言って――はっ!」


 俺の言っていることを、そして自分が今しようとしていたことが何なのか理解したのだろう。結衣はその白いわたあめとは対照的に顔を真っ赤にしてしまった。


 「い、伊織がそんなに嫌だっていうなら……」


 結衣はほっぺをぷくっと膨らませてぷいっとそっぽを向くと、差し出していた手を引っ込めようとする。


 「――い、嫌じゃない、嫌じゃないって! お、俺もわたあめ食べたいな~あはは……」


 「ほんとに……?」


 「う、うん……」


 「じゃ、じゃあ……あ、あ~ん」


 再び近づいてきたわたあめに、俺はそっと口を添える。

 次の瞬間、唇にふわっとした触感を感じるが、それが舌の上にいくと一気に溶けてしまった。その代わりに、口の中は甘~い風味がしっかりと残っていく。


 「うわぁ~甘~い」


 何年ぶりかに感じたわたあめ独特の甘みに、思わず口元がほころびてしまった。


 「伊織、おいしい……?」


 「お、おいしいです……」


 甘い。甘かった。とても甘かった。それはわたあめだからって言うのもあるけど。

 俺が今食べたわたあめは、結衣が最初に口を付けていたもの……つまり、間接キス。

 ということは、この甘さはもしかしたらわたあめのそれだけじゃなくて、結衣の――っと、いけないけない。これ以上一人で考え事をすると、頭がパンクしてしまいそうだ。


 「結衣、つ、次行こっか……」


 「そ、そうだね……」


 続いてやって来たのは――射的。

 間接キスのことがお互いに気になってしまい、ちょっとぎこちない雰囲気が漂っているのを感じてしまう。次も食べ物だとそれを強く連想するかもしれない。

 それなら景品がもらえる縁日で一気に雰囲気を上書きすればいい。


 「あっ、伊織。これであのぬいぐるみを取ってほしい!」


 俺が射的の露店に入ろうとしたとき、結衣が硬貨を俺に差し出してきた。


 「よし、任せとけ」


 結衣からお金を受け取ると、それを店主さんに渡してゲームスタート。

 赤い布が敷かれた台に肘をついて銃を構える。

 結衣が欲しいといっていたぬいぐるみ――対象Ⅹは横九個、縦四列の景品の中の最上段、つまり特賞コーナーに鎮座している。


 どうやらこのお店のルールでは、各景品に付けられた五センチ四方の紙に当てるか、景品を台から落とすかのどちらかで景品獲得らしい。

 対象Ⅹの大きさから見るに、これをこの弾一発で叩き落すのは質量的な問題でほぼ不可能。つまり対象Ⅹの獲得には小さな紙に当てるしか他ない。

 だが、台から落とすのに比べて紙に当てる難易度は桁違い。一発勝負で当てることができるだろうか――いや、やるしかない。


 俺は「ふぅ~」と大きく息を吐き、鼓動に合わせながら照準を定める。そして引き金を引いた。額に汗を浮かべている店主のおじさんも見つめる中、俺が放った弾は見事対象Ⅹに着いている紙に命中した。


 「――よっしゃ!」


 おじさんは一テンポ遅れるも、そばに置いていたハンドベルを鳴らして「特賞! 特賞!」と叫んだ。その声に反応した他の人が集まってきて、辺りは一時騒然となった。


 「あんたすげぇな」と言われながら対象Ⅹを受け取り、結衣に渡す。


 「い、伊織すごい! まさかあんな難しい角度から当てるなんて」


 「あはは……ありがとう。実は、中学のとき、ある高校の文化祭で射撃部の試し打ちして、熱烈に勧誘されるくらいの点数出したことがあって……」

 

 「そ、そうだったんだ……」


 「うん……。それに、結衣が欲しいっていうなら、絶対に取ってあげたくてさ」


 「い、伊織……あ、ありがとう!」


 目をキラキラとさせながら受け取った対象Ⅹ――もとい、ぬいぐるみを優しくなでる。


 それからは、結衣の「ぶらり屋台のごはん巡り」を敢行。お互いお腹が膨れるくらいまで食べたけど、さすがに全品制覇の夢は道半ばにして無念のギブアップとなってしまった。


 それでも、満腹の顔を写真で撮り合ったり、二人で自撮りをしたりして、俺と結衣は笑って、笑って、笑って……本当にずっと笑っていた。

 こんなに楽しいのだから、この後も結衣との一緒にいるこの楽しい時間がずっとこのまま続くって、俺はどこかで決めつけていたのかもしれない――。

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