第100話 抱擁

 言ってしまった。本当に言ってしまった。

 この人たちが焚き付けるから、勢いに任せてしまい、考えるよりも先に口が動いていた。


 男二人は、最初は俺の叫びにキョトンとしたままその場に立ったままだったが、俺が近藤さんの彼女であるとわかった途端、態度が急変した。


 「――そ、そうだったのかよ」


 「マ、マジで彼氏だよこれ……」


 「どうするよ……?」


 「どうするもなにも、彼氏持ちは色々面倒くさいな……くそっ」


 二人で顔を近づけながらコソコソと聞こえそうで聞こえないくらいの声量で会話し始める。


 俺はひとまず安心することができた。だって、もしこれで逆ギレして殴りかかったりなんかされちゃったら、数的不利な俺としてはかなりの劣勢を強いられることになっただろうからな。


 まぁ、殴り合いの喧嘩をしてそれが学校にバレてしまったら休学、最悪は退学なんてことに発展しかねない。だから、そんなリスキーなことははなから念頭にはなかったけど。

 それでも、俺はこの二人にどうしても言っておかなくてはいけないことがあった。


 「――あ、あの」


 「な、何だよ?」


 額に汗を浮かべながら男が俺に顔を向ける。


 「謝ってください」


 「はぁ……?」


 男は「こいつ何言ってんのか意味わからないだけど」みたいな表情で首をかしげる。おいおい、それが俺らより年上の人間がやることかよ。


 「今あなたたちがやったことで、俺の彼女が怖い思いをしたんですが」


 「だから何だって謝らないといけないんだよ。彼氏だからってそんなにでかい態度とってんじゃねぇよ」


 「いえ。これは当たり前のことなので。逆に相手の気分を害するような言動をしておいて、いつまでも謝ること一つもできない人に態度のことでどうこう言われる筋合いなんてないですけどね」


 「お、お前……黙って聞いてりゃいいきになりやがって。ちょっとツラ貸せや」


 そう言って二人いるうちの沸点の低い方が俺に一歩距離を詰める。そしてほとんど同じ目線で対峙すると、男が俺めがけて拳を振りかざしてきた。

 俺は両手で顔をガードする――が、衝撃はいつまでも来なかった。


 「……?」


 両手のガードを解いてみると、拳を向けてきた男がもう一人に取り押さえられていた。


 「おい、もうその辺にしとけって。殴って警察沙汰にはしたくないだろ?」 


 「あぁ? うるせぇ。こいつのちょっとお利口に動く口を顔面ごとひねりつぶさねぇと俺は収まんねぇよ!」


 男はもがいて離れようとするも、怒号を聞きつけた人たちが少しずつ増えてきて、しまいにはライフセーバーのお兄さんもやって来てしまった。

 それを見て観念したのか、「あぁムカつく」と舌打ちをしながら、もう一人の男と一緒にその場から歩いて去って行ってしまった。


 結局最後まで近藤さんに謝ることは一度もなくて少し引っ掛かるところがあるけど、これ以上怖い思いを近藤さんにさせないようにすることができたから、及第点といったところだろうか。


 安堵の息をほっと漏らしているのもつかの間、ひと悶着は済んだのにもかかわらず、未だに俺たちの周りに人が集まっている。早くこの人たちを退散させねば……。

 虫が光に群がる習性を持っているのと同様に、人間はトラブルや事件といった出来事に集まりたがる習性があるのかもしれない。


 「――お、お騒がせしてすいませんでした! もう大丈夫です。本当に申し訳ありませんでした!」


 少し大きめの声で発すると、面白いように人だかりが散り散りになっていく。意外にもあっさりと事が済んでくれて、こちらとしてはありがたい。


 「ふぅ……やっといなくなってくれたね――って、近藤さん⁉」


 俺が一仕事を終えてパラソルに戻ると、そこには俯き、ビニールシートに水滴をぽたぽたと垂らしている近藤さんの姿があった。


 「だ、大丈夫⁉」


 近藤さんは俺の声に反応してこちらを向くが、その瞳からは光が失っているようで、覇気が全くといっていいほど感じられない。少し身体も震えているのを見るに、まださっきの恐怖が頭から離れていないのだろう。


 「も、もう大丈夫だから。ねっ、だから、だから――」


 どうにかして安心させてあげられるようにしたいけど、「だから」の後の言葉がどうしても上手く思い付かない。

 あれこれと考えている一方で、近藤さんの瞳に少しずつ光が戻ってきた。


 「た、高岡くん……?」


 そうつぶやいたかと思ったら、近藤さんは急に俺の胸に飛び込んできて、温かく柔らかい衝撃を感じる。


 「怖かったよぉ~高岡く~ん!」


 近藤さんは俺の背中に両腕を回し、嗚咽を上げ始めた。


 「こ、近藤さん……⁉」


 「高岡くんが助けてくれなかったら、わたし、わたし……」


 近藤さんは身体を大きく震わせ、俺の背中を掴む力はどんどんと強くなっていく。

 しかし、それは近藤さんがそれほどまでに恐怖を感じていたことであり、それを無碍にするようなことはダメだ。


 「大丈夫。大丈夫だから。もうあの人たちはいなくなったから、安心していいんだよ」


 今の近藤さんは少しでも力を入れたらぽきっと折れてしまいそうなほど繊細に見えた。だから、かけてあげる言葉にも細心の注意を払う。

 頭に軽く手を乗せると、髪が流れる方向に沿ってゆっくりと手を滑らせていく。ゆっくりと、優しく、丁寧に――。


 しばらく同じように撫でていると、嗚咽が収まり、呼吸も幾分か深くなってきた。

 それを感じたところで、俺は密着状態を解き、少し距離をおいて近藤さんと見つめ合う。


 「あぁ……わたしったら、何でこんなに泣いてるんだろう……」


 近藤さんは俯いていた顔を上げると、指先で瞳から溢れてくる涙を拭う。


 「――高岡くん、ごめんね」


 「えっ……?」


 「あんなに取り乱しちゃって……。冷静になると恥ずかしいなって思うけど、高岡くんがあのまま頭を撫でてくれたから、ちゃんと落ち着けた」


 「そ、それはよかったよ……」


 近藤さんの少し照れ交じりの笑顔に胸を貫通されそうになっていると、


 「――ほんとほんと。ようやくこれで私たちも戻って来れたわ」


 「――⁉」


 びっくりして後ろを振り返ると、佳奈さんと達也が苦笑いを浮かべながら立っていた。

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