第63話 疑念
山中にぽっかりと空いた洞窟。その黒い入り口に丸いシルエットが現れる。洞窟で採取した鉱物を詰め込み、膨らんだ荷袋を背負ったジャッカだ。ジャッカの後にリディ達一行が暗い洞窟から出て陽の光を浴びる。
長い間洞窟に居たせいで、傾き始めた陽の光も夏の正午を思わせるように眩しく感じられ、リディは顔をしかめながら目が慣れるのを待った。
「おつかれさん」
ジャッカは背負っていた荷袋を地面に置いて、体を反るようにして腰を伸ばした。
「あとは、帰るだけでいいんだな」
「あぁ。だがその前に、ちょっと話を聞かせてくれるか?」
ジャッカは真剣な表情になって、リディとニケに向き直る。雰囲気が変わったジャッカを不思議に思いながらリディはジャッカの問いを肯定した。
「坊主、洞窟に入る前、俺が探している石を二つ教えたろ?」
「うん」
「なんて名前の石だ?」
「えっと、『鉱魔石』と……」
ジャッカが洞窟に入る前に地面に書いて説明したのは『鉱魔石』と『精霊石』だったが、『鉱魔石』と言ったところでニケの言葉は止まった。
「?」
ニケが簡単に答えると思っていたリディは、不思議に思ってニケを見る。
しばらく待ってもニケは答えを口にできない。
ニケは思い出せなかったのではない。
そもそも、もう一つの石の名前がわからなかったのだ。
なぜなら――。
「坊主、お前文字読めてないよな」
ジャッカの言葉は正しかった。ニケは素直にコクリと頷く。
ニケはジャッカが地面に書いた『鉱魔石』と『精霊石』という名前を読むことができていなかった。『鉱魔石』は洞窟の中でジャッカが言っていたから答えられた。しかし、『精霊石』という名前は誰も言わなかったので、答えられなかった。
ニケが文字を読めない。その事実に驚いたのはリディだった。
リディはニケと出会ってからのことを思い返す。
(そういえば、ニケが店のメニューを読むことはなかったな……)
気づけるタイミングはあったはずなのに、ニケが文字が読めないという考えには至らなかった。ずっと側に居たはずなのに、気づけなかった自分にリディは落胆する。
「坊主が字を読めないことは問題じゃねぇ。問題はあんただよ嬢ちゃん」
「私……?」
そう言ってジャッカはリディを正面に見据える。リディが敵かどうかを見定めるような、射抜くような鋭い目つきだ。
「この坊主は文字も読めねぇ。簡単な計算もできねぇ。まともな教育を受けてないのは確かだ。一方でそんな坊主を連れて歩いているのは、ご立派な剣を持った貴族と思しきご令嬢」
「……何が言いたい」
ジャッカはリディの周りをゆっくりと歩きながら、煽るように言葉を紡ぐ。
「あんたら見てて、俺は疑ってんのさ」
足を止め、ジャッカは下からリディの目に視線をぶつける。
「貴族が道楽で買った奴隷を連れ回してるんじゃないかってね――」
「バカを言うな!!」
ジャッカの言葉にリディは声を荒げた。
「私は奴隷を買ったことなどないし! ニケも奴隷ではない!! ふざけたことを言うな!!」
「お前さんの言葉なんざ聞いちゃいない。口だけならなんとでも言える」
ジャッカはリディの相手をせずに、ニケと向き合った。
「坊主、お前は何者だ? お前の力をこの嬢ちゃんにいいように使われちゃいねぇか? なんかひどい目にあったりしてねぇか?」
ジャッカはニケの両肩を掴み、ニケの目を覗き込みながら問いかけた。眉を下げ、憂色を浮かべたその表情からは、ニケを真に心配している様が伝わってくる。
その様子を見てリディの怒りは鳴りを潜め、何も言えず、ただジャッカとニケの様子を見ていた。
「あってないよ」
「ん?」
「ひどい目にあってない。リディはちょっと変だけど、いい人だよ」
ニケはジャッカに、なぜこんなことを聞かれているのかわからないようで、すこし不思議そうな表情を浮かべながら、そんな風に答えた。
「……そうか、なら良かった」
ジャッカがニケの肩を掴む力が緩み、ジャッカは安堵の笑みを浮かべる。
そんなジャッカを見ながら、ニケは小首を傾げた。
「気が済んだか?」
リディはニケとジャッカに歩み寄り、ジャッカの様子を窺う。
「ん? あぁ、まぁこの坊主がヒデェ目にあってねぇのは本当みたいだな。目に光もあるし、体にキズもなさそうだ」
「最初からそう言ってるだろ」
「本人の口から聞かなきゃ意味ねぇんだよ、こういうのは。本当にひでぇ目にあった奴は目に絶望が浮かんでんだ。生きてるのに、まるで死んでるような目になっちまう」
ジャッカはまるで見てきたかのように、そんなことを言う。
「……それは、この国での話か?」
リディは真剣な表情になって、ジャッカに問いかけた。
「いや、昔俺が立ち寄ったとある国での話さ。アレを見て以来、身寄りのないガキを見るとどうしても気になっちまう」
力のない顔を浮かべて、ジャッカはそう零した。その様子はまるで、ジャッカ自身が世に絶望しているようだ。
「この国では奴隷は禁止だ。ジャッカの言う様は子供は――」
「『いない』とは言い切れねぇだろ?」
リディの言葉をジャッカが遮る。
「禁止されてんのと『存在しない』のは別の話だ。あんた、本当に貴族ならよくわかってんだろ?」
ジャッカの言うことは正しかった。
世の中に法があろうとも、それを破る者は必ず存在する。この国でもそれは同じだ。リディも王都で騎士として警備を担当していたときに、そういう事案を担当したこともある。
「それは……」
「ま、そういった小難しいことは国がやることだよな。王不在のこの国で、どこまでお国の目が行き届いているかはわからんがな」
「……」
ジャッカの言葉にリディは何も言うことができなかった。12年前に国王が死んでから、この国の治安は徐々に悪化している。リディの父が奔走してはいるが、この国をまとめるべき貴族たちの関係も綻び、国の上層から徐々に統率が乱れ始めていた。
「ふっ、なかなか難しい立場にあるみてぇだな」
リディの表情を読み、ジャッカはそう慮った。
「まぁ、何にせよ仕事は終わりだ。……帰るか」
ジャッカは地面に置いた荷物を背負い直し、側にいるニケの頭を軽くなでてから歩き始めた。
ニケはジャッカに触れられた頭に手をあて、ジャッカに背負われた荷物が離れていくのを、ぼーっと見ていた。
「おーい、ニケも行くぞ!」
少し歩いたところでリディは振り返り、ニケがまだ止まったままなのを見て呼びかける。
その声を聞いてニケは歩き始め、ケルベ達もそれに続き、一行は山を下っていった。
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