第42話 草原
ルナークからイダンセへの帰り道は、まずルナークから出ている細い街道がイダンセから北へでているウクリ街道という主要な街道にぶつかり、そこからはそのウクリ街道をイダンセまで辿ることになる。
ルナークを出発した3人はまずはウクリ街道目指して歩いていた。
ダーロン、ルナークの無惨な光景を見てから、3人は言葉少なだった。
3人の気持ちを表すように空にはどんよりとした雲が覆っている。連日晴天続きだったため、太陽も休憩をしたくなったというところだろう。
ルナークから出ている細い街道は最初は山を下るための曲がりくねった道だった。
しかし、下り坂を抜けると今度は見晴らしの良い、広大な平原地帯に入った。夏の平原は青々とした草に覆われており、ちらほらと見える桃色や赤や黄色の花をつけた草が、青一色のキャンバスに彩りを添えている。
今日は曇天でリディ達の目の前に広がる景色は白と緑の対比になっているが、これが晴天だったならば、降り注ぐ光に照らされた瑞々しい緑と、天高く広がる蒼穹の対比となり言葉にならない景色となることが想像できた。
「曇りなのが残念ね」
口を開いたのはアイシスだった。
「あぁ、だが、曇り空でも十分にきれいな景色だ」
美しく広大な景色に心が洗われ、リディたちの落ち込んだ気分は徐々に引き上げられていった。
草原に咲く花の蜜を吸ったり、蜜を吸おうとして花の奥に隠れていた虫に驚いたり、丈夫な茎を持つ草を持ち寄り、交差させて引っ張り合って、誰の選んだものが一番丈夫かを競い合ったりして遊んだ。
ちなみに結果は、ニケの選んだものが最後まで千切れず一番強かった。
誰もいない広い草原という場所はなかなか貴重だ。
そこで、リディはニケとアイシスに思い切り体を動かすことを提案した。
リディは実家にいた頃は、ストレス発散とトレーニングを兼ねて庭で思い切り剣を振ったり、魔法を放ったりということをやっていた。
学生だった時には学校で嫌なことがあった時、騎士になってからは仕事で納得いかないことがあった時など、心にモヤモヤが溜まったときにとにかくがむしゃらに体を動かしたり、魔力を放出したりすると、心にあったモヤモヤが『ふわぁ』と晴れる気がするのだ。
そんな自身の経験を元に、ニケとアイシスの陰鬱とした気分も体を動かすことで少しでも晴れればいいと考えた。
アイシスとニケは少しぽかんとしていたが、反対はしなかったので3人でまずは体を動かすことにした。
リディは胸当てなども外して、軽装になり、ニケとアイシスもそれぞれ身軽になるように服装を整える。
ここまで歩いてきた分で体は十分温まっているが、筋を痛めたりしてはいけないので、リディがお手本になって、体を伸ばしたり準備体操を行う。
柔軟体操をしたときにアイシスの体がとても柔らかいことがわかった。
立ちながらの前屈でニケが地面に手を触れるのがやっとなのに対して、アイシスは手のひらをペタリと地面につけることができた。
『すごいな、アイシス』とリディが褒めると、アイシスははにかんだように笑った。
三人はまず徒競走で勝負することにした。
草原のある地点に目印となる棒を立て、そこから100歩歩いた場所にもう一つの棒を立てた。二つの棒をスタートとゴールにして3人で徒競走することにした。
合図はリディが出す。あらかじめ「よーい、どん」のテンポは共有しておき、合図を出すリディが有利にならないようにする。遊びだが真剣勝負だ。
3人は位置について構える。リディとアイシスは右足を後ろに、ニケは左足を後ろにして腰を落とした。
そしてリディの合図を待つ――。
「よーい、どん!」
3人が一斉に飛び出す。
最初は横並びだったが徐々に差がついていき、ゴールを見るまでもなく勝敗は明らかになった。
一位はダントツでリディ。圧勝だった。
二位はアイシス、そして三位はニケだった。
「はぁ、はぁ、さすが現役騎士は速いわね」
走り終わったアイシスが、息を切らしながらリディを褒め称えた。
「アイシスだってなかなか速かったぞ、ニケにも勝ってたし」
「ニケ君はまだ背も私より低いし、さすがに負けられないわ」
アイシスはお嬢様然とした少女だが、体が柔らかいこともあり、なかなか運動神経に優れているようだった。
「アイシスは普段から運動しているのか?」
「うーん、自分ではしないわね。学校の授業で体を動かすぐらい」
本人はそう語るが実際アイシスの運動神経はよかった。アイシスの学校には基礎体力をつけるための授業があり、その中で今回のように同級生と競い合うこともある。そのときにアイシスはクラスで3本の指に入るぐらいの成績だった。
「今の学校を卒業したら、王都の学校に行こうと思っているのだけど、剣術の授業があるらしいのよね。ちょっと心配だわ」
「王都の学校でアイシスが通うとなると、イーリスか?」
「そう。やっぱり有名なのね」
「まぁ、王都に住んでいてイーリスを知らないものはいないな」
リディの言うイーリスとは正式名称『王立イーリス士官学校』のことだ。
その名の通り国によって創設され、王都における高等教育を担っている。
『士官学校』と名はついているが、それは創立時の名残であり現在においては授業内容も汎化されている。
そのため卒業後の進路や、入学目的も様々だ。
旧来の理念通り騎士団の士官を目指すものもいれば、学校で人脈を作り卒業したらまた地方へ戻る貴族もいる。また高等教育を受けられることから、学業を極めそのまま学者として生きていく者もいる。
王立イーリス士官学校は現在においては、国に属する騎士を養成するためではなく生徒たちの可能性を広げる場として機能していた。
王都には大小含めて様々な教育機関があるが、その中にあってイーリスは名実共に最も有名な教育機関と言ってよかった。
「王都に来るなら私の家に遊びに来るといい。剣術だって教えられるぞ」
「それはありがたいけれど、それってライフェルト家のお屋敷に行くって言うことでしょ?ちょっと腰が引けるわ」
「そういうものか」
「そういうものよ。あなた意外と自分の家名の大きさを理解していないのね」
「ちゃんと理解していたら、私は多分ここにはいないな」
そう言ってリディはおどけてみせた。
少しの休憩を挟んだ後、今度は魔法を思いっきり撃ち放つ勝負と相成った。
撃ち合って勝負をつけるという手もあるが、勝負がついた時は死人が出る時になる可能性もあるので、誰もいないところに全力の魔法を放ち、誰の魔法が一番すごかったかで勝負をつけることにした。
リディは近くにしゃがんで何やらゴソゴソとした後で、アイシスとニケの元へと戻ってきた。
「順番を決めるぞ、黄色い花が一番、青い花が二番、赤い花が三番だ。私は最後に余ったやつだからな」
そう言うリディの手からは三本の茎が飛び出していた。花の部分はリディの両手で隠されて見えないようになっている。アイシスとニケはそれぞれリディの手から生えている適当な茎をつまむ。
「じゃあ私はこれだな」
二人が選んだ後で、リディが片手を離して残った一つをつまんだ。
『せーの』という掛け声でリディが手を開き、3人がそれぞれ花を掲げる。すると、アイシスの手に黄色い花、ニケの手に青い花、リディの手に赤い花が掴まれていた。
「私からね」
アイシスが一歩前に出て、広い草原の何もないところへ向けて手を突き出す。
「授業で習っただけだから、水球ぐらいしか出せないけど」
「十分だ、思いっきりやれ!」
集中するアイシスの手のひらに水が集まり始める。
ふよふよと形がうごめきながら徐々に大きくなり、手のひらと同じぐらいのサイズになる。
「はぁ!」
アイシスの声を合図に水球が打ち出され、飛んだ先で弾けて地面へと染み込んでいった。
「はぁ、はぁ、こんだけ集中して時間をかけてこの程度。割に合わないから嫌いなのよ魔法って」
膝に手をつきながら、アイシスは魔法の効率の悪さに不平を漏らす。
「いやいや、実戦経験が無いのに大したものだ」
「そうなの? 学校でも周りに『すごい』とよく言われるのだけれど、あの程度の弾を出すのにこんなに時間をかけてたら実戦でなんて使えないでしょう」
アイシスが構えをしてから水球を打ち出すまで、深呼吸が5、6回できるほどの時間がかかっている。
一対一の実戦だとすると、準備をしている間に斬りかかられて、妨害にも使えないだろう。
「まぁ、確かに一対一の場面で使える代物ではないが、騎士団の戦闘においては集団戦が基本だし、魔法を使用する戦闘においては、魔法を準備する間、前衛が時間を稼ぐのが一般的だ。時間がかかるからといって必ずしも実戦で使えないというわけじゃない。それに――」
「それに?」
リディは喋りながらアイシスが水球を放った時と同様に手を前に掲げた。
「魔法は使えば使うほど、練度が上がって速さが出るようになる。こんなふうに――」
リディは言い切るのと同時に力を込めると、瞬時にアイシスが作成したのと同サイズの水球を作り、水球ができた瞬間に発射してみせた。
アイシスがかけた時間の10分の1、いや20分の1ほどの時間でリディは水球を発射してみせた。それに加え水球の発射速度もアイシスの数倍はあろうかという威力だった。
アイシスは目を丸くして水球が飛んでいった先を見ている。
「わ、私もできるようになるのかしら……」
「なるさ、それなりに訓練は必要だが。さっきも言ったとおり私の家に遊びに来てくれれば剣術と合わせて直接教えるぞ」
「む、むぅ。真剣に考えなければいけないわね……」
大貴族の家の敷居を跨ぐという地方貴族にとっての高いハードルと、リディの手ほどきを受けたいという欲求の間でアイシスが揺れ動く。
もともとアイシスは剣や魔法を用いた武芸にはあまり興味がなく、学校での授業も最低限の護身ができるようにという意味でカリキュラムを受けていた。
しかし、この旅の道中で、狩りや魔獣退治などで戦うリディを見て、勇ましく戦うその姿にアイシスはいつのまにか憧れを抱いていた。
父の跡を継ぎ、イダンセの街を治めるという将来の夢に変わりは無いが、リディの姿を見て戦える領主という自身の将来の姿を夢に描き始めていた。
「――次、僕の番。いい?」
リディとアイシスが話し込んでしまいそうになったところで、ニケが割って入った。
「あ、あぁいいぞ。ニケも思い切りな」
「うん」
アイシスに変わって今度はニケが一歩前に出る。
そしてニケは魔法の準備に入るため、両手を前方の上の方に掲げて集中し始めた。
「魔法を思いっきり撃てばいいんだよね?」
「あぁ、そうだが……ん?」
ニケの周りに魔力が集まりだしたこの時点で、リディは少し嫌な予感を感じた――。
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