第23話 報告


 ギルドの中は閑散としていた。

 早朝ということもあって人を少なくしているのだろう、ヒジカの依頼を受けたときよりも職員も冒険者の人数も少なかった。


 前に学んだ通り、リディは受付で番号札を受け取る。今度は4番だった。


「4番の方どうぞー」


 椅子に座って待つ前に、番号を呼ばれた。

 この番号札は必要だったのだろうか?


「こんにちはー! いや、おはようございまーす! ご用件はなんですか? んっ!? お姉さんの顔見たことある! あー、ちょっと待って下さいね。当てます、当てますよ! ちょっと待って下さいね。むむむ……」


 受付の女性は前と同様にやかましく捲し立てると、人差し指をこめかみに立てて考え始める。


「わかりました! ご用件は依頼の報告! ヒジカ退治の達成報告ですね! ズバリ全部倒し終わった! そうでしょう!?」

「あぁ、そうだ」

「うそっ!!」


 リディの言葉に受付嬢は目を見開いて驚いた。


「ほ、本当に全部倒したんですか?たった3日で?」

「あぁ、ただ全部と言っても私達が確認した範囲なので、隠れているものがまだいるかも知れない」

「いやいやいやいや、夜に見えてただけでも結構な数いたじゃないですか!?」

「いやが多いな」

「それを! 倒した! 全部! 3日で!」


 机をバンバン叩きながら、受付嬢はどんどんうるさくなる。


「それで、依頼主であるアグリカ氏にも確認してもらったので、報告に来たんだ」

「あ、はい」


 受付嬢はスッとおとなしくなると、リディからギルド帳を受け取る。

 職務には従順なのだ。


「はぁ、ホントに倒したんですねぇ、18頭も」


 リディのギルド帳には依頼主であるアグリカのサインと達成内容が記載されている。逆にアグリカのギルド帳にはリディのサインと達成内容が記載されている。


 双方から報告が揃うことで、ギルドは報告内容が事実と認定し、晴れて報酬を受け取れるという仕組みだ。


「しかし、ギルドとしてはありがたいですが、クライス様に申し上げにくいですね……」

「ん? そのクライスというのは――」

「私が何だって?」


 受付嬢がこぼした名前について、リディが聞こうとしたところで割って入る者があった。

 声をかけてきたのは身なりの良い中年の男性だった。

 キレイに整えられた赤髪に口ひげ。上には革製のベストを着て、腰に剣を下げている。正装といっても差し支えないほど身だしなみを整えた格好であるが、動きやすそうな服装でまとめられていた。

 そして、その男性のベストの胸の辺りにはいくつかの徽章がつけられているのが確認できた。


(あの徽章は……)


「噂をすれば影。さすがですねクライス様、最高に最悪のタイミングです!」

「最高に最悪? なんだというんだ」


 受付嬢の要領を得ない話にクライスト呼ばれた男性は首をかしげる。リディたちも事情がわからず話を飲み込むことができない。


「クライス様は本日どのようなご用件で?」

「あぁ、ヒジカ用の罠などの準備が整ったので、これから本格的に退治を開始すると一応報告に」

「ですよねー……」


 クライスの言葉を受けて受付嬢はリディたちの方に目線を向ける。

 今のやり取りでリディはなんとなく状況を把握できた。


 そういえば、依頼を受けた時に競合受託者がいるという話を聞いていた。結局ヒジカ退治を行っていた3日間には出会わなかったが、このクライスという者がそうなのだろう。


 そして、彼が依頼を受けて退治する予定だったヒジカはリディたちが全て退治してしまっている。つまり――。


「はーい、クライス様ざんねーん! ヒジカはすべて退治済です。あなたのやった準備は残念ながら無駄でーす! ちょーっと遅かったですねー」


 『ちょーっと』というセリフに合わせて指で摘むようなジェスチャーをして、口を尖らせながら煽るようなセリフが受付嬢から発せられる。


 しかし、当のクライス氏は――。


「そうか! あの増えたヒジカを退治してくれた人がいるのか!? なんという僥倖。いや運がいいというのは、退治してくれた者に失礼だな。その方に礼を言いたい。アルパ君名前を教えてくれ!」

「出ましたよこの反応っ! クライス様は人間が出来すぎていて煽り甲斐がないですね!」


 受付嬢はクライスが悔しがったり、準備が無駄になってがっかりすることを期待していたのか、クライスの反応に不服そうだ。

 そして受付嬢は視線と顎でリディの方を指し示す。


「退治してくれた人ならそこにいますよ」


 受付嬢ことアルパの言葉を受けてクライスはリディの方に振り向く。


「君かっ、ありがとう!」


 クライスは礼をいいながらリディの両手をぐっと掴み、胸の高さに持っていった。


「あのヒジカたちのせいで、農家の人達はとても苦しんでいたんだ。私の領民を助けてくれて本当にありがとう!」


(私の領民……?)


「あの、状況が理解できていないのだが、あなたは?」

「おぉ、これは申し訳ない。私としたことが名を名乗っておりませんでしたな」


 クライスはリディの両手を離して、一歩下がり距離をとると、恭しく礼をした。貴族の者がやるような規範的な礼だ。


「私の名はクライス・ルーノ。このリトナの町近辺の領地を拝領しているしがない辺境伯です」


 リディに頭を下げながら、クライスはそう名乗った。この辺りを取り仕切る貴族、それがクライスの肩書だった。

 リディはクライスの名前を聞いて、そういえばアグリカに聞いた競合受託者の名前がそんな名前だったと思い出す。


「クライス様ぁ、いいんですかまた貴族の人がそんな風に頭を下げて」


 クライスのリディに対する様子をみて、アルパがクライスへ忠告する。

 確かにただの冒険者に貴族が頭を下げるのは貴族の地位を低く見られることに繋がるし、アルパが『また』といっているように、何度もこのようなことをやっているのなら問題になるようにも思えた。


「何をいうんだい、アルパ君。私が頭を下げることで領民が平穏に暮らせるのであれば私の頭なぞいくらでも下げようとも。それにこの方がヒジカを退治してくれた方なのだろう? 恩人に対して礼を言わずに何が貴族か」


 クライスはアルパの忠告には耳を貸さず、胸に手をどんとあてて反論する。


「だが、君が心配してくれていることはわかっているよ。ありがとう」


 そのクライスの言葉にアルパは苦虫を噛み潰したような顔をした。


「話が逸れてしまったね。君がヒジカを退治してくれたのだろう? ありがとう改めて礼を言わせてもらうよ。本当は私が退治しようと思っていたのだが、ここのところ忙殺されてしまってね」


 クライスは本来であれば自身でヒジカを捕らえたかったのだが、貴族という立場がそれを許してくれなかった。普段の仕事の合間に時間を作り罠の準備を進め、ようやく今日から動けるといったところでリディが全て退治したという話を聞いたのだ。


「いえ、礼を言われることは……。私は依頼を受けただけで、報酬もきっちりいただきます。それに加えてあなたから礼をいただくと報酬過多になってしまう」

「ふふっ、あなたは冒険者なのに謙虚ですね」


 リディの顔を見てクライスは口元を緩めたあとで、何かを思い出そうとするように眉をしかめた。


「はて、どこかでお会いしたことがありましたかな?」

「いいえ、初対面だと思いますが」

「そう……、ですかな」


 クライスは立場上人の顔を覚えることが得意だ。出会った人が自身に、あるいは自身の領地に利をもたらすのか、害をなすのかを常に見極め、利をもたらすものとは親睦を深め、害をなすものには警戒をしなければならない。

 それを行う上で人の顔を覚えるということは極めて重要だ。


 そんなクライスがリディの顔を見たとき、確実にどこかで見た記憶があった。

 しかし、それがどこだったかが思い出せない。女性の冒険者で、しかも数日でヒジカを二十頭弱狩ることができるような者はなかなか忘れがたいと思うのだが……。

 思い出せそうで思い出せない、クライスは喉に小骨が刺さったような気分になった。


「あぁ、そういえばギルドにお願いしたいことがあるのだが」


 クライスに気を取られてしまったが、リディはギルドに来た2つ目も目的を思い出した。

 例の巨大ヒジカの死体の処理だ。


「お願い? なんですか? あ、待ってください。わかりましたよ。今度こそ駆け落ちの護衛依頼ですね?」

「いや違う」

「なんでっ!?」


 なんでもなにもないのだが、このアルパという受付嬢は本気なのか冗談なのかどうにもリディには思考が読み取れなかった。


「実はヒジカの死体の処理をお願いしたいのだが、ギルドの方で対応できないだろうか?」

「ヒジカの死体ですか? あれ、でもヒジカの死体は依頼人のアグリカさんの方で処理いただけるはずでは?」

「あぁ、普通のヒジカはアグリカ氏のところへ持っていったのだが、最後に倒した一頭だけはどうしても運べなくてな」


 リディの話に受付嬢とクライスはあまりピンと来なかったのか、二人共不思議そうな顔をしている。


「荷車がいっぱいだったんですか?」

「いや、空でも運べないんだ」

「なんで?」

「大きすぎて」

「「……はっ?」」


 受付嬢とクライスの声が重なった。

 二人の反応は至極まっとうな反応だった。ヒジカの体高は普通ならリディの腰程度、それがあの巨大ヒジカはリディの身長の3倍はあった。

 そもそも、そんなモノが存在することが想像できない存在なのだ。


 三人は結局見たほうが早いという結論に至り、リディの案内で巨大ヒジカの死体のある場所へと行くことになった。


「町からはある程度離れた場所だが、誰かに見つかれば騒ぎになる可能性もある。できれば早めに処理したい」

「そうだな、それなら私の私兵を出そう。ギルドに人が集まるのを待つより早い」


 動き出すとクライスの行動は早かった。

 アルパにクライスの私兵を動かすための手紙を託し自宅へと向かわせ、自身はリディに同行し、現場の確認を行うこととした。


 町を出て少し歩き山沿いの森の近くにその死体はあった。

 まだ死体が魔獣やカラスなどに漁られるということもなく、昨晩リディが討ち倒したままの状態になっていた。

 魔獣や他の動物が近づかないのは、おそらくケルベたちが近くにいるためだろう。


「これは……」


 リディの案内で死体を見つけたクライスが息を呑む。

 その様子からクライスもこのような巨大はヒジカを見るのは初めてだということが見てとれた。


「その様子だとこの巨大ヒジカはこの地域特有のものということでもないようだな」

「当たり前だ、こんなものがウロウロしていてたまるか!」


 クライスの口調が思わず荒っぽくなる。


「となるとこいつはどこから来たのか……」

「それは私にもわからない。が、魔獣はどこからともなく自然発生するとも言われている。現に君が退治してくれたヒジカも最近になるまでこの辺りでは見なかった魔獣だ」


 リディも魔獣の発生についての話は聞いたことがあった。が、その話については正直半信半疑だった。 しかし、こうして現実にどこからともなく現れたこの巨大ヒジカをみると、魔獣を生み出す『なにか』が存在することは確かなように思われた。


「魔素溜まりだね」


 すぐ側で二人の話を聞いていたニケが突然そう言った。


「魔素溜まり? なんだそれは?」

「魔獣が生まれるところ。村ではみんなそう言ってた」


 それは、ニケの村で伝えられていた話だった。

 この世界には魔素という魔獣を生み出すものがあり、龍脈を伝って世界中に広がっている。そして、魔素は地形などにより特異的に濃い場所が発生することがある。魔素が濃くなった場所、それがニケの言う『魔素溜まり』だ。

 魔素溜まりは魔獣を生み出す。そして、魔素が濃い状態が長期間続くと稀に巨大ヒジカのような強力な魔獣が生まれることがあるのだ。


「その話が本当で、この町の近くに『魔素溜まり』があるのだとしたら、今後もずっと魔獣と戦い続けなければならないのだろうか?」


ニケの話を聞いて、クライスが今後の不安を口にする。


「それは、たぶん大丈夫」

「本当か!?」


 ニケから返ってきたのは意外な言葉だった。

 曰く、魔素溜まりはその濃度にもよるが、魔獣を生み出すことで魔素を使い切ると、自然に消滅し、ずっと魔獣を生み出し続けることはないとのことだった。

 その話を聞いて、クライスは安心したようにほっと息をついた。


 クライスが巨大ヒジカの確認を進めていると、クライスの私兵と思われる兵士たちが、リディたちのもとへとやってきた。

 アルパから手紙を受け取ったクライスの家人が手配してくれたのだろう、リディたちが思ったより早く彼らは到着した。


 兵士たちが到着するとそこからは早かった。

 始めは巨大ヒジカにぎょっとしていた兵士たちだったが、クライスが指示を出すとすぐにいくつかのグループに別れて動き始めた。

 火を起こす者達、穴を掘る者達、ヒジカを解体する者達。


 動物の死体は放っておくと腐敗し異臭を放つ、それは魔獣も同じだ。

 また、その匂いにつられ別の魔獣がやってきてしまうこともある。そうならないようにするため、この巨大ヒジカの死体は炭になるまで燃やし、穴に埋めて処分するのだ。


 作業は昼過ぎには一通り終わった。辺りにはヒジカを焼いた香ばしい匂いがまだ漂っているがこれもすぐに風にのって消えるだろう。


 巨大ヒジカを埋めた場所にリディは両手でやっと持てるぐらいの大きめの石を置いて、簡素な墓にした。そして、他の18頭のヒジカの弔いの気持ちも込めて石を前に手を合わせた。

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