第9話 手紙

 『カリカリ』とネズミが柱をひっかくような音でニケは微睡みから徐々に意識を引き戻される。

 部屋の中には日差しが差し込んでおり、窓からは街のざわめきが鳥のさえずりのように聞こえている。

 ベッドに横になった状態で首を曲げて部屋を見てみると、備え付けのテーブルでリディがペンを持って何かを書いているのが見えた。

 差し込む日の光に仄かに照らさられた伏し目がちな横顔は、出会ってから昨日までの印象と異なりニケにも『美しい』と感じられた。


「お、起きたか?」


 ニケに気付いたリディに声をかけられ、ニケはようやく現実感を取り戻した。

 ニケはずいぶんと長い時間眠ってしまったらしい。『もう日がてっぺんになってしまったぞ』とリディはケラケラと笑っている。

 ニケ自身そんなに長い間寝てしまったことに驚いたが、『野宿は自分でも気付かないが緊張するものだ』というリディの言葉を聞いて何かに警戒せずに寝たのが本当に久しぶりだったことに気付いた。


「ごめん、……遅くなっちゃって」


 リディが期限付きで国中を周ろうとしていることはニケも聞いている。それなりに急ぐ旅をしていることを思ったニケが謝罪の言葉を口にする。


「なに、気にするな。あんまりのんびりし過ぎるのも考えものだが、慌てる必要はない。それに、私も寝坊したしな」


 そう言ってリディは手紙を書く作業に戻った。


「本当は朝一の商隊に渡したかったのだが……」


 街から街への移動は長時間かかる。


 そのため、別の街に移動する人たちのほとんどは、早朝日の出を合図に(あるいはもっと早く)出発するのが普通だ。

 リディはその早朝に出発する商隊に自分の無事を告げる例の手紙を託したかったのだが、本人の弁の通り寝坊してしまい、今こうしてのんびりと手紙を書いている。


「手紙を渡すのも、私達の出発も明日の朝だな」


 明日は二人共寝坊しないように頑張ろうと言いつつ、リディは筆を進めていった。


「ふむ、今回は印はいいか……」


 そう独りごつとリディは書いた手紙をくるくると丸める。

 それを細い紐で一周二周と巻いて結び目を作ると『よし、完成』と言ってその手紙を手持ちの袋にしまった。


「一日暇になってしまったな。何かやりたいことはあるか?」


 リディからそう問いかけられるが、ニケは特に思いつかない。ニケは長い間一人で旅を続けてきたが、目的は存在するかもわからない、黒き竜を探すことのみ。

 魔獣を連れて旅していることもあり、人との接触は最低限にしてきた。

 そのためニケはそもそも世の中にどういうモノ、コトがあるのかを知らない。知らなければ欲しがることもできない。

 ニケはそういう状態だった。


 少し無言の間ができてから『そういえば』とリディが別の話題を切り出した。


「昨日街に入る前に君の友達を外においてきたが、大丈夫なのか?様子を見に行ったほうがいいだろうか?」


 昨日街から少し離れたところで、ニケの連れている魔獣には森の中での待機が命じられた。

 待機と言ってもその場でじっとしていろというわけではない。

 人に見つかるとヨルクル村のように大事になってしまうので、人に見つからないように森の中での過ごして欲しいというようにニケから魔獣達へ伝えられている。


「一番長い時で10日ぐらいは別行動をしたことはあるけど……。そうだね、ちょっと様子を見に行こうかな」


 リディとニケの二人は宿の主人に外出の旨を伝えると、街の西側の出口の方までやってきた。

 この街の警備は簡素で門番がいるにはいるが、基本的には立っているだけで、よっぽど怪しい格好でもなければ捕まることはない。


 現に昨日街に入るときには何も言われなかった。

 もし捕まるやつがいるのならなかなかに運の悪いやつである。


「おい、そこのお前止まりなさい!」


 突然の辺りに大声が響く。

 よっぽど怪しい格好の者でもいたのだろうか?こんなザルの警備に捕まるとは運の悪いやつもいたものだと思いながら、リディは街の外へと歩いていく。


「おい、聞こえないのか止まれ!!」


 なかなか度胸の座ったやつもいたものだ。警備に声をかけられていながら、無視するやつがいるらしい。顔を見てみたい気もするが、面倒ごとに巻き込まれるのはゴメンだ。

 リディは我関せずと歩みを止めない。


「おい、そこの金髪の女止まれ!!!」

「えっ、私か!?」


 制止されているのが自分だとようやく気付いたリディはその足を止める。


 振り向くと声をかけていたと思われる警備の格好をした男性が近くに立っている。それはそれとして、ついてきていると思っていたニケの姿がない。少し首を振ってあたりを見ると、離れた場所でこっちを伺っているニケの姿を見つけた。

 こちらを注視するわけでなく、素知らぬ顔で路傍の少年を演じている。


(あんにゃろう、逃げやがったな)


 胸のうちで悪態をつきながら、リディは警備の者に向き直る。


「あの、私に何か?」


 この街で犯罪を犯したわけでもなく、呼び止められる覚えのなかったリディは警備に理由を聞いてみる。


「あぁ、いや。驚かせてしまってすまない」


 語気強く呼び止められたので、何か怒られるのかと思ったが、導入から謝罪の言葉だった。


(あれ、いい人?)


 一言言葉を交わしただけで、手のひら返し。悪印象からスタートすると評価を上げるのは簡単だ。少しでもいいことをすればいい。人間の評価は相対評価、悪人がちょっといいことをすれば、凄くいいことをしたように見えるし、善人が悪事をはたらけば、大したことがなくても評価は地に落ちる。

 不思議なものだが人間そういうふうにできている。


「君は一人か? 街の外には魔物も出る。危険だぞ」


 この警備兵はやっぱりいい人らしい。女ひとり(ニケが逃げたので一人になった)で街の外に出ようとしたのを注意してくれたのだ。


「いえ、連れもいますし。あまり遠くへは行きませんので大丈夫ですよ」

「連れというとさっきまで一緒にいたあの少年か?」


 そう言って警備兵はちらりとニケの方へ視線を向ける。


(ニケ、バレてるぞ)


「私が声をかける前に離れたので無関係だったかと思ったが、やはり知り合いだったか。しかし一人ではないとはいえ、女子供だけとは感心せんな」

「私が呼び止められたのはその件ですか?」

「あぁ、女性や子供だけで街の外に出ようとしているのを見かけたら声をかけるようにしている。特に子供は街の外の危険性を知らないこともあるからな」


 偉い、そんな感想がリディの頭に浮かぶ。この壮年の警備兵は街の人の身を案じる立派な警備兵である。

 誰だ、ザルな警備とか思ったやつは……。


 それはそれとして、リディは警備兵に説明する。自分が一人でここまで旅をしてきて旅慣れていること、街からそんなに離れた場所には行かないことを。ついでにニケも旅慣れた少年だと言っておいた。


 リディが一通り説明を終えると警備兵は渋々と言う感じもあったが、自分の身は自分で守れるならと納得してくれたようだった。離れていた持ち場に戻り、通行人を観察する業務に戻っている。


 警備兵が戻ったのを確認するとリディはニケに手を振り合図を送る。ニケが動き出したのを見て、改めて街の外へと足を進めた。

 トコトコとあとからついてきたニケが横に並ぶと、それを見計らってリディは声をかけた。


「お前なぁ……」


 なんで逃げたのかというニュアンスでリディがそう言うと。


「だって、あのおじさんなんか怒ってた……」


 ニケはおずおずとそう答えた。


「あれは怒ってたんじゃないっぽいぞ、呼び止め方は乱暴だったが話してみるといい人だった」

「そう……なんだ」


 乱暴な呼び止め方になったのは、子供を相手にすることが多いからかもしれない。

 やんちゃな子供はあのくらい語気を強めないと言うことを聞かないのだろう。

 それはニケにも影響し、恐がったのか面倒くさがったのか現場から逃げる結果となった。


「それに、今回はいい人だったから良かったが、あれが暴漢や悪人だったらどうするつもりなんだ? 私を見捨てるのか? 逃げるのは良くないぞ。いい男は乙女を守るものだ」


 そう言ってリディはニケに少し説教をする。ニケはずっと一人だったから人慣れをしていない。少し冗談めかして言うぐらいがちょうどいいだろう。


「……男は乙女を守るもの」


 ポツリとニケが反芻するのが聞こえた。

 リディはこういうやり取りでニケが徐々に人に慣れ、人との関わりを学んでいってほしいと思う。


「前も言ってたけど『乙女』って何?」

「私のように清楚で見目麗しい令嬢のことだ」

「ふーん」

「……今のはツッコむところだぞ」

「よくわかんない……」

「だろうな」


 二人は肩を並べスタスタと歩いていく。

 今度は街の外に出るまで、誰にも呼び止められることはなかった。

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