第6話 先生
昔、貧乏な家に少年が生まれた。
貧乏な家であるため、少年は学ぶことが出来ず、ひたすら生きるために働く幼少期を過ごしていた。
そんなある日、家にひとりの少女が訪れた。
なんでも、近くに引っ越してきたらしい。
「あっしは近くに越してきた者だ。
ご近所くん、よろしく頼むよ。」
「よ、よろしく…。」
独特な雰囲気を纏ったその少女は、自分の知っている人達とはあからさまに違っていた。
服装、容姿、人間性。
そのどれもが個性的に輝いている。
彼にとって、初めの内は苦手な相手だった。
数週間後、少年は親に頼まれて、少女の家に届け物をしに行った。
「ごめんください。」
中から顔を覗かせたのは、自分が苦手としている少女で、てっきり親が出てくると思っていた少年は、ビクッと肩を揺らした。
「おや、ご近所くんじゃないか。
どうしたんだい?…あ、なるほど!」
少女は少年が抱える風呂敷を見て、何かを悟ったらしい。
引き戸を限界まで開けると、少年を中に招き入れた。
ここら辺では類を見ない豪邸であった為に、内装もしっかりしているんだろうと、嫌味の混じった目で室内を見渡した。
至る所にビッシリと積まれた本の山。
初めて見た光景に、少年は息を飲む。
「驚いたかい?
あっし、本を読むのが好きなんだよ。」
「文字が、読めるの…?」
生まれてから勉強なんてしたくても出来なかった少年にとって、今隣にいるこの少女は憧れへと変わり始めていた。
…それと共に、妬みも芽生えた。
この少女の家にはお金があって、学ばせてもらえる。
そんなの、ずるいじゃないか。
「ご近所くん、本は読みたいかい?」
「……読みたいよ、読めないけど。」
嫌味だろうか、哀れみだろうか。
本をじっと凝視していたことに気がついた少女は、警戒する少年に向かってにっこりと微笑んだ。
「じゃあさ、あっしが教えてあげるよ。
実は昔、先生をめざしていてね。
教えてみたかったんだよ、弟も欲しかった。
まあ、判断はご近所くんに委ねるけど。」
予想だにしていなかった提案に、少年は風呂敷を落としてしまった。
慌ててそれを拾うが、風呂敷の中がちらりと見えて、手が止まる。
「これ…。」
「あっしが頼んだんだよ。
ご近所くんのご両親に、この件のこと。
この紙と筆は、ご近所くんのご両親から。
断られたら…仕方なくあっしが使うけど。」
今年7歳になった少年は、両親の優しさに触れ、その日から勉学に励むようになった。
これが、お姉ちゃんとの出会いである。
─ ─ ─ ─
それから、しばらくの月日が経った。
15を過ぎた少年は今日も、大きい学舎へと向かう。
「お…姉ちゃん、今日は冒険譚が読みたいです。」
着くと、いつも通り扉の前に立っている少女に声をかけた。
少年は少し、気恥しそうである。
「うん、今日は冒険譚を読もうか!!
任せて、お姉ちゃんが教えてあげる!!」
その単語にすっかり気を良くした少女は、少年が中に入ったのを確認すると、奥から本をいくつか持ってきた。
題名には全て、【万事屋なんでも冒険譚】と書かれている。
「この万事屋はね、世界各地を転々としながら、色んな人達の依頼をこなしていくすごい人なんだよ!
ご近所くんにも推しておくよ。
まあ、今から読むんだけどね!!」
興奮気味に熱っぽく語る少女に、少年は期待が募った。
表紙を捲ると、つなぎ文字でつらつらと綴られた文が目に入る。
万事屋は、貧乏だった。
人から学ぶことが出来ず、独学で生きる術を学んだ。
家賃の滞納で家を捨て、己のような境遇の人々に、希望を与える旅に出た。
旅の先々に待つのは、過酷な試練の数々。
それを乗り越えて依頼人を笑顔にしていく万事屋は、正に英雄のようだった。
『手前は、万事屋を営むただの男にござる。
笑顔を増やしたいと思うのもまた、
その言葉が、少年の胸に深く刺さった。
そんな様子を見て、満足気な表情を浮かべる少女。
「じゃあ、これでおしまいだ。」
「はい、また明日来ます。」
筆と紙を纏める少年に、少女は言い放った。
「ご近所くんなら、きっとこの万事屋みたいな英雄になれるよ。
あのね…実は、今日ここを発つんだ。」
突然の告白に、風呂敷を包む手が止まる。
今日はやたらと片付いているなと思ったらそういう事か…と、少年は納得した。
「先生、ご説明願えますか。」
「ん…ちょっと事情があってね。
ご近所くんが万事屋になって旅でもしてくれたら、また会えるかもしれない。」
少女の寂しげな声音に、少年が引き止めることは決して無かった。
また会えるかもしれない。
なら、きっといつか会えるだろう。
「…わかりました。
今まで本当にありがとうございました。
また会える日を楽しみにしています。」
「あはは、すっかり語彙も増えたねえ。
またね、ご近所くん…ご両親にもよろしく。」
少女のキラキラとした眼差しに、少年は少し、呆れたような笑みを浮かべた。
「またいつか…みつき先生。」
ぼそっと呟いた少年の声は、きっと本人にしか聞こえなかったことだろう。
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