詐欺師・宇野真の論理曰く、

さぎ 【詐欺】


(1)巧みにいつわって金品をだまし取ったり、相手に損害を与えたりすること。あざむくこと。ペテン。 「―にひっかかる」「―を働く」「―師」


(2)〔法〕 他人をあざむいて錯誤に陥らせる行為。民法上、詐欺による意思表示は取り消すことができ、また、詐欺による損害は詐欺者の不法行為として賠償させることができる。


<三省堂 大辞林より抜粋>




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人が生まれた時、一番最初に親から与えられるもの。それはまず愛情(そうでない場合もままあるだろうが)、その次に名前だ。



画数や流行、場の雰囲気、勢いで決められることもあるが、大抵の親は子供の名前に彼ら自身の願いを込める。



将来頭が良くなるようにとか、立派な人になるようにとかだ。



まあ、子供からすればイイ迷惑だ。

右も左も分からぬ時分に、いきなりそんな重荷を背負わされるのだから。



だが、逆に人の名前とはその人間にとって一番足りないものを表している、と言う話を誰かから聞いた事がある。



例えば、『愛』という文字が入っていたら愛に飢えた人間に、『賢』が入っていたら頭が悪くなるって事だ。かなり乱暴な例えではあるが。



荒唐無稽で、とるに足らない話であると誰もが思うだろう。だが考えてみてもらいたい。



実際に『名前負け』などという言葉が存在するのは、その名前の由来に起因する親の勝手な願望が、知らず知らずの内に子供に対して不要なプレッシャーを与えているからである、



そう考えれば、あながち突拍子のない仮説でもないはずだ。




そして、俺の名前は『真』。



ご察しの通り、俺に足りないもの、それは『真実』だ。



つまり俺は、生まれついての『嘘つき』なのだ。



俺の両親は、嘘をつかないように、真面目な人間に成る様にと願いを込めてこの名前をつけたのだろうが、残念ながらその願いは届かなかった様だ。



…いや待てよ、一個は願いが叶っているか。



俺はいつだって真面目に、嘘をついてる。




まだ保育園に通っていた頃、『ヨーグルト食べると赤ちゃん出来ちゃうんだよ。』とデマを広めて、泣き喚く女の子集団からヨーグルトを頂いたのが、俺の嘘つき人生の始まりだった。



また、嘘をつくという行為が世間一般ではいけないとされている事にも、同時に当時の担任によって体に叩き込まれた。



そこで当時の俺はこう解釈した。



嘘をつく事がいけないんじゃない。嘘がバレる事がいけないんだと。



嘘をつけば、美味しい思いが出来ると知った俺が、その後マトモな人生を歩むと思うか?



答えはもちろん、ノーだ。



俺にとって、嘘をつくのは日常だし、それがイコール真実なんだ。



そんな事ばっかりして良心が痛まないのか、だって?



昔の偉い人も言ってるだろ?




「騙されるヤツが悪い」ってな。

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