第二章 吸血鬼はネット通販がお好き 10
「騎士とは言え、常に修道服をまとっておられるわけではありませんよね。日本では目立ちますし……先ほど外の廊下で、着物を着た若い女性とお会いしました。ここに事務所があると教えて下さったんです。もしかしたらあの方は……」
「アイリスさん! その女に何かされませんでしたか!?」
「え、は?」
それまである意味事務的にシスター・イェレイと呼びかけてきた中浦が、突然我を忘れたように立ち上がってカウンターから乗り出してくる。
アイリスは面食らいながらも、
「何か……とは? 曲がり角でぶつかってしまって、お互い謝罪しあっただけですが……」
シンプルにあったことを明かすと、
「そう……ですか……」
中浦はホッと腰を落とした。
「その女のこともいずれ、お話しすることになるでしょう。あなたの次の聖務は既に手配されているのですが、それが終わるまでは、気にしないでください」
「はぁ……」
そんなことを言われると余計気になるのだが、当面の上司である中浦がそう言うのであれば仕方がない。
そこまで考えて、アイリスの脳内でふと、二つの関係ないはずの記憶が繋がった。
「あれ? でももしかして……私をウツノミヤに行く電車に乗せたのって……」
「宇都宮?」
「あ、ああいえ、何でもありません」
上野駅で道を尋ねた女性も着物をまとった若い女性で、先ほどの女性も初対面のアイリスに、宇都宮がどうこうと耳打ちしてきた。
だが、どちらにせよアイリスにとっては初対面の女性としか思えなかったし、単純に聖務の前に間違って宇都宮まで行ってしまった挙句に餃子パーティーしてしまったとは口が裂けても言えないではないか。
「シスター・イェレイ」
中浦も、なにがしかのショックからは立ち直ったようで、アイリスの前に何枚かの書類を差し出した。
「こちらが次の聖務です。実は別の騎士の担当だったのですが、内偵中に敵に気取られ、大怪我を負ってしまいました」
「っ」
アイリスは餃子の記憶を消し去り、真剣な顔で背筋を伸ばす。
「場合によっては警察に任せてもよいケースであったため、従騎士格の子に内偵を進めさせていたのですが、対象ファン周辺への潜入が露呈し攻撃を受け重傷を負ったため、任務の続行が不可能になりました」
この場合の対象ファンは、対象ファントムの略である。
「従騎士とはいえ、戦闘能力に長けた子でした。生半可の吸血鬼にやられる子ではありません。対象ファンは本国の正騎士が担当するに不足の無いレベルに警戒する相手です。どうか、迅速に聖務に取り組み、可能であれば対象ファンを確保してください」
「承知いたしました。シスター・ナカウラ。全力を尽くします」
「こちらが判明しているだけのデータです。頭に入れておいてください」
アイリスは、中浦が差し出した書面を手に取ることなく凝視し暗記する。
間違っても情報を外に露見させることのないよう、全ての騎士は対象ファンについてのデータを頭に叩き込むよう訓練されているのだ。
「……え」
だがアイリスは、対象ファンの主な潜伏先の情報を見て顔をこわばらせた。
「シスター・イェレイ?」
中浦の疑問の声が聞こえないほど、顔に冷や汗が浮かびあがる。
「あの、シスター・ナカウラ、これ、本当に?」
「ええ。言ってしまえばこの駐屯地のお膝元なので情けない話なのですが、それだけ急速に情勢が変化したと考えてもらえると……」
だからと言って何故、主な内偵先がこんな場所の案件が自分に回ってくるのか。
自分の持つ性質との相性が異様に悪い。
そしてそれを差し引いたとしても、明らかに情報が足りなさすぎる。
「あの、対象ファンの名前と潜伏先の絞り込みしか書かれていないようですが、他の情報を集めるための人員の補助などは」
「えっ」
何が『えっ』だ。
「あの、潜伏先以外の情報があまり無いので、例えば対象ファンの協力者とか、潜伏先の建物の見取り図とか、今無いなら情報を集めるだけのその、サポートの従騎士とか」
「いやぁ……」
「いえ、いやぁ、ではなく」
流石に声に出た。
「……大丈夫ですよ。本国の優秀な騎士の力ならば、きっとうまくいくでしょう。神のご加護を。それからあまり経費は使わないでくださいね。何分予算もぎりぎりでして」
「いやぁ……」
今度はアイリスが、そう唸らざるを得なかったのだった。
サンシャイン60の外に出たアイリスは、この先のことを考え呆然としてしまう。
日本の労働環境は個々人の能力に依存して抜本的な改革や変化を拒む傾向にあるとは聞いたことがあったが、中浦の態度は果たして日本人気質によるものなのか、日本支部の傾向なのか。
とにかく、このままでは、アイリス一人では絶対に新しい聖務を達成することはできない。
東池袋四丁目駅から都電雑司ヶ谷駅までの短い間に荒川線の中でぼんやりと先々のことを悩みながら、アイリスは一つの結論を出した。
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