第615話-1 彼女は『リンデ』に向かう商人と闘う

 ルテルは帝国の修道士であった。それはそれは真面目な修道士であったという。


 ところが、寝食を忘れるほど没頭したにもかかわらず、ルテルは少しも救われるとは思えなかった。


『これは、アプローチが間違っているんじゃないか』


 と考えたルテルは、聖典を読みほどき直し、聖典と自分の間にある関係を整理することにした。それまで、聖典の内容を解釈するのは司祭であり、司教大司教であり、教皇であった。が、それは、信仰とは関係ないことなのではないかと考えた。


『正しい人』が天の国に行けるとするのであれば、世の中のほとんどの人が天の国へと行くことができない。御神子がそのようなことを伝えるだろうか。


しかし、『正しい人』が行いではなく、御神子との関係において『正しい人』であればどうであろうか。罪を犯し正しさを失ったのであれば、その正しさを修復することで『正しい人』となることができる。


 罪を認識し、『正しい人』に戻る事。それには、教会への多額の寄付が必要でもなく、厳格な戒律に法る修道士としての生活が必要でもない。御神子は『正しさ』を与えることができ、その教えを信ずるものを『正しい人』

とすることができると解釈した。


 その行いにより『正しい人』となるのではなく、御神子から『正しさ』を与えられることを知る人のことを言うと考えた。


『御神子は自らの正しい人を我らに与え、我らの罪を引き取られた』


 教会へ寄付・懺悔・修行によって身に付くものではなく、この考えを信じることが信仰であると考えた。


『聖典』『全信徒が司祭』『正しい人の理解』の三点がルテルの考えの基盤となる。





 しかし、ルテルの純粋な信仰に関する考えは、教皇庁により『異端』とされることになる。


 これは、帝国に対する影響力を失う事で、多くの資金を帝国の教会組織から得ていた教皇庁が危険視したからであると言える。帝国皇帝は教皇庁により認められ始めて成立する存在であり、大山脈を隔てながら、帝国皇帝と教皇は時に対立し、時に帝国の諸侯と対抗するために手を組むのである。


 教皇庁はルテルの考えが諸侯に評価される事で、教会の寄付が損なわれ、諸侯が教皇庁に対して独立した活動を始めると危惧した。そして、それは事実となる。信仰に教皇庁は不要であり、教皇庁の差配する司祭も司教も不要であると言わんばかりの主張であるからだ。


 教皇の伝える教えと『聖典』のどちらに権威があるのかという問題も引き起こす事となる。


 ルテルは破門され異端として追及されることになるのだが、教会勢力と対抗するつもりの諸侯はルテルを匿いその存在は失われる事は無かった。


 やがて、教皇庁自体も妥協せざるを得なくなり、帝国諸侯と教皇庁の話し合いにより、信仰はその諸侯の信仰に領地は合わせると定められた。つまり、領主が御神子なら領民も御神子、その逆もとなる。但し、その話し合いの最中に、両方が存在した都市はそのまま両統が認められることになった。


連合王国が『御神子』の姉王時代や父王や今代の『原神子』に変化したのも、この決定に準拠するものだ。因みに、教皇庁はこの会議の決定前に離席しており、決定を認めていないと主張している。




『カルビ派』は、これを更に進めたものであり、秘蹟のうち『洗礼』『聖体』の二つ以外は「異教的」「聖典に依拠しない」として排除してしまった。また、カルビ派は御神子教徒とさほど変わらない教会であったものの、カルビ派は聖母像や聖画と呼ばれる聖典の一場面を図象化したものを「異教的」であるとして排除した。


 これが、ネデルでも行われた教会・修道院の破壊行為であり、また、修道士の存在自体が信仰としておかしいということで修道院が廃止、修道士・修道女も還俗され放逐された。これも、父王の行った政策の典拠となる。


 聖職者が独身であることも「聖典にない」ということと、意味のない禁欲の修行が信仰に反するということで、聖職者の婚姻が『原神子信徒』の各宗派では認められている。


 小教区といった地縁に基づく単位ではなく、宗派の中でも聖典に対する考え方の違いで様々な分派が生まれるのも原神子信徒の特徴である。

その結果、教会は信徒の集会所でしかなく、荘厳な飾りつけも意匠も不要であり、聖職者はその集団の中で最も話の上手な聖典の解釈ができる代表者がなるものとなった。


 小教区は「領主」により認められた聖職者が、その地域の教会から得た税により定められた収入を得て務める者であったが、原神子信徒の『牧師』は専業だけでなく、兼業・副業・無給で務める者も多くなった。領主なり教会から収入を得ることで、その影響下にあった聖職者が、信仰のみにより存在する信徒の代表者に過ぎなくなったと言えるだろう。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る