第217話-2 彼女は姉の講義を聞く

 週末を学院の事務処理で過ごした彼女が、休む間の無く騎士学校の日々が再開する。本当に勘弁してもらいたい。


「ん? どうしたのだアリー。休み明けだというのに元気がないではないか!」


 カトリナが教室で話しかけてくるが「お前のせいだろ!!」とは言えず、疲れが溜まっていると伝える。


「ふむ、それは良くないな。体は労わらねば」

「「「……」」」


 今週末は素材採取は二人で実施させようと彼女は心に誓う事にした。


「しかし、今週から新しい講師が来るというが、楽しみだな」

「……ええ、そうね……」


 何が起こるか予想ができるので、彼女としては気が重い。とても重い。それを察して伯姪が「諦めが肝心よ!」と付け加える。


 それからしばらく、カトリナが週末に父親といかに冒険者として活動するか熱く話したかについて一方的に話されたのだが、周囲の貴族令息達から「カトリナ様が冒険者に……」「まさか」といった声が漏れ伝わってくるのが聞える。


「傭兵も冒険者も騎士として協力し合う場合もあろう。相手の目線で物を考えるために、冒険者としての経験を生かそうと思っているのだ」

「……素晴らしいわね……」

「どう考えても、『ゴブリンは皆殺しだ!!』って双剣で切り伏せていた人の言葉とは思えないけれど」

「いや、ゴブリンは当然皆殺しであろう?」


 既にこの時点で、悪役令嬢風の言い回しでなくなっていることをカトリナは気が付いていないようだがいいのだろうか。





 月曜の講義の最初の時間……やはりあれ・・がやってきた。


「皆さんおはようございます。ニース商会会頭夫人を務めております『アイネ』と申します」


 姉が現れた。商会頭夫人として相応しい楚々としたドレスに身を包み、とは言うものの、カトリナに似たスタイルの良さをそこはかとなく体の線でアピールするのは……既婚者である夫人の特権。未婚の女性はそのあたり、あまりアピールしてはいけない……らしい。


 ちなみに、姉は侍女風の地味なドレスに髪を丸くまとめ、何故か眼鏡をかけてた。


「……何しに来ているのかしらね?」

「敵情視察じゃないの」


 既婚者となり、夜会ではあまり独身の若い男との交流はなくなっているというのもあるかも知れない。子爵家の跡取り娘として、婿狙いの次男三男が集っていた一時期を考えると、変われば変わるものなのだろう。


「では、今日は最初の講義なので、簡単な原理原則的なお話をします。この中で実家が商売をしていて手形を用いたことがある人、もしくは自身が手形で取引をしたことがある人はいますか?」


 彼女自身はリリアルでの手形の発行は行っていないが添書きをする事はある。支払期日まで日がある手形は、グルグルと市中を廻り現金の代わりに用いられることもある。金貨百枚を支払いますという手形は、金貨九十五枚として扱われたりする。支払いの約定を支払いの一部として相手に渡すこともあるのだ。


「という事で、商人と取引する時には、お金を支払うという証書を発行し、実際にそれをお金の代わりに使って商品を納めさせます。その証書を騎士団なり国が支払いをするという証明は、支払いが確実であればほぼ記載した額面通りに評価されるんだけれど、信用が低いと……割り引かないとお金としては評価されないんだよね」

「は? どういう意味だよ」


 騎士団からの参加者の一人からそんな声が聞こえる。


「あー 例えば、君が金貨百枚を借りるのと、そこにいる妹ちゃんであるリリアル男爵が借りる金貨百枚の借用書、どっちが返してくれそうだと思う?」


 うん、その前振りいらないよねと彼女は内心思いつつ、周囲の視線が集まるのを感じる。


「言い換えるとね、沢山の人が手に入れたいと思う借用書なら、額面通り、時には額面以上の価値を持つことさえあるんだよ」


 アリーなら実際の金貨百枚以上の価値を与えてくれる可能性がある。何らかのお願いを証書の代わりに依頼したり……である。金貨百枚の価値以上の関係が築ければそれ以上の価値となる。


「残念ながら、君が普通の騎士なら君の収入から考えて金貨百枚を返す余力があるくらいなら最初から借りずに済ませるはずだと思う。だから、リリアル学院を運営し、学院長・副元帥・男爵としての年金を貰っている妹ちゃんより圧倒的に返済能力がないし、妹ちゃんになら「この借金チャラにするから、一つお願いしてもいいかな?」なんてできうる頼み事も出来ないし価値がない。そう考えると……借金の証書の価値ってのはその人自身の価値を表しているって言えるんだよね」


 姉が説明していることは商人にとっては常識であるけれど、貴族や騎士にとっては常識ではないと敢えて強調しているのだろう。


「だから、こんな話もあるわけ。同じ借用証書でも、戦争に勝ちそうな国の借用書の価値は上がり、負けそうな国の証書の価値は下がる。そうやって、商人は相手を値踏みしているわけ。商人と関わるという事は、常に相手から爵位や領地の広さや見てくれの良さじゃなくって、どれだけお金を生み出せるか、人間としての価値があるかどうか査定されているってことなんだよね」


 税金を集め消費するだけの存在である貴族であれば、その価値はとても低い。精々、税金と等価にすぎない。その領地で新しく産業を育て、人を集め養う事が出来れば今より税収が増えていくことが予想できるため、その貴族の価値は上がっていると言えるだろう。


「という事で、商人の物差しと、貴族や騎士の物差しは違うってことを頭において話をしないと、会話が噛み合わないからね~ 最初に言っておくね!」


 姉の最初の講義は、のっけから後頭部を鈍器でぶん殴るような内容であった。




☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★




 騎士団出身者は「ふーんそうなんだ」で終わったのだが、貴族の子弟は自分の家の借用証書の掛け目がどの程度なのか気になるようで、講義終了後ソワソワしっ放しであった。どう考えても、今日の講義はそれが目的。


「ニース辺境伯領だと、辺境伯家発行の手形は額面通りで期限なしで為替として流通しているわね。内海の商人なら大概通用するわ」

「……長い間きちんと領地を護っている信用の証ね」


 そう考えると、王国の発行する手形にはそこまでの信用はない。正直、国王が変われば政策が変わるので、戦争好きの国王となれば借金が増え、返済が滞る可能性が高いからだ。大きな国の手形が必ずしも価値が高いとは限らないのが、この制度の面白いところでもある。


「リリアルの手形ってどのくらい価値があるのかしらね」

「うちは手形使わないから、意味の無い話よね」

「……嘘……」


 嘘ではない。そもそも、自給自足に近い学院の活動に、手形を用いる余地があまりない。


 そして、講義の内容に彼女をさりげなく絡ませていく姿が目に浮かぶ今後の展開を予想し、ちょっと、いや、かなり憂鬱になる。


「もしかして……」

「ええ、間違いないわね。姉さんの目論見は、公的な場で堂々と妹である私を弄ることにあるわね」


 おかしいと思っていたのだ、忙しいはずの姉が、騎士学校ごときの講師を引き受けるなどというのは。外部からの講師の謝礼は「寸志」程度であり、正直馬車代にもならない。名誉とボランティア精神をもつ暇人のものなのだ。


「そういえば、名誉とボランティアの精神を持つ暇な元辺境伯様もいらっしゃるじゃない」


 午後の講義は、二コマぶっ通しで、前辺境伯による『盗賊・山賊・傭兵討伐実戦マニュアル』講義であるそうです。なにそれ、必要ないんだよリリアルには。犬も歩けば棒に当たる……ではなく、リリアルが依頼を受ければ賊に当たるみたいな世界なのだから。


「でも、ゴブリンにあっさり返り討ちにされる魔剣士とか魔騎士もいるから、貴族の坊ちゃまたちには必須な授業なんじゃない?」


 魔力を持っているからと、安易に魔力を用いて強引に仕掛けると、相手にある程度経験がある場合、魔力切れを狙われて危機に陥る場合も少なくない。魔力は有れば便利な切り札となるが、どのような形で有効に使用するかが結果を左右する。


「騎士だと、身体強化や魔力纏いによる斬撃強化に頼りがちよね」

「実際は、相手の情報を確実に入手して、先手を取る方が有利なのよね。魔力も普通・・は限界があるから、無駄遣いしてはいけないでしょうし」

「魔力の量を増やす事よりも、操練のレベルを上げて燃費を良くしたり、必要な瞬間だけ使う方が良いのよね。私は早く気付かせてもらったから、魔力の量が少ないこともさほど気にならなくなったわ」


 リリアルでいえば、伯姪と茶目栗毛は魔力の総量が少なく、同時に発動できる術式の上限も低い。操練により魔力の出力と精度を改善することで、斬撃や身体強化、気配隠蔽に特化した軽戦士の戦い方に専念している。


 赤毛娘は……『結界』を習得してからは盾役タンクとして行動しているのは、周りはあまり気が付いていないようである。




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