第145話-1 彼女は公爵閣下の無知の知を知る
サボア公爵は若く、世間知らずではあったが公爵としての矜持を持ち合わせぬほど暗愚ではなかった。自らの仕事にも真摯に努めていたが、それは、近侍を通して周りの貴族たちが都合の良い報告を耳にして判断するだけの存在に祭り上げられていたともいえるのだ。
彼女と前伯に一喝され、まるで芝居の主人公である騎士のような面持ちで魔狼の被害の村を訪れた公爵が目にしたのは、疲労困憊で傷つき悲壮な意思を固めた村人の集団であった。
その目には、いまさらなんだよと言わんばかりの公爵が向けられたことのない厳しい視線が宿っていた。とはいえ、ジジマッチョが救援物資が届くこと、公爵自ら近侍を引き連れて到着したことを知ると、村人の意識は一気に逆転する。
まさか、目の前の若い騎士が公爵自身だと思っていなかったのだ。考えてみれば、公爵自身、領民の前に姿を現すことは稀であり、まして山村の民などは互いに存在を知るだけの関係でしかなかった。
「わ、私も守りに加えていただきたい」
「ありがとうございます、公爵様!! 天の助けを得た気持ちでございます!!」
膝をつき、周りの村人全てが頭を下げる。公爵は皆を立たせると、公爵ではなく、皆を守る騎士として扱って欲しいと頼み、村人は恐る恐る了承した。討伐が終わるまで、彼は一介の騎士としてふるまう事になる。
剣だけを以て突進してくる狼と対峙するのは難しく、上手く斬りつけられず暴れる狼をハルバードを持った村人が突き殺していく。
「騎士様、盾で動きを止めて剣で止めを刺す方がよろしいでしょう」
「おお、そうか。教えてくれてありがとう」
馬車に積み込んであった盾を持ってこさせ、狼の突進に合わせて盾を突き出す。ゴンと鈍い音と衝撃を受け公爵は狼を押さえつけると、剣先で狼の腹を突きさす。背中には骨があり致命傷を与えにくいと聞いていたので、狼の腹を剣で突くことにしたのだ。
「狼と言えど、相手も必死。生中に倒されてはくれぬな」
生き物を殺すこと自体初めての公爵は、その必死さに驚きつつ、実際の戦場でこのような経験なしに敵と対峙して平常心が保てるとはとても思えないのであった。
やがて山裾のほうから、巨大な何かを引きずったリリアル男爵が現れ公爵の周囲がざわめき始める。男爵曰く『首魁の魔狼』であるといい、既に狼は逃げ出し始めたので、無理をせずに礼拝堂周りを固め明るくなるのを待と言う。
「なっ、この機会に狼をすべて討伐すべきではないか!!」
先ほどまでオドオドしていた近侍の一人が途端に威勢よく話始める。魔狼の存在にビクビクしていたのは何であったのだろうか。
「いや、群れを壊したのであれば全部の狼を狩りつくすのは今度は鹿の害が出てくることになる。山が荒れて新しい木が育たず、山の幸も食べつくされるから、狼はすべて討伐するものではないぞ!!」
前伯が騎士を窘め、周りの村人も深くうなずく。近侍は森を知らず、前伯は村人の心理も森の在り方も知っている……という事なのであろう。自分も知らなかった事である。何も知らずにいれば恐らく、狼を全て狩りつくすことが良い……と判断していたであろう。
森が荒れ木材の伐採や採取ができなくなれば村の生活は困窮する。良かれと思って領主が行ったことが、かえって村もに迷惑を掛けることになる。為政者として知らぬこと、至らぬことが沢山あるのだと公爵は自らを知るのである。
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