第138話-2 彼女は南都のギルマスと対峙する
宿に入り、湯浴みの準備をしてもらう。衣装は姉の予備のものを二人で借り受けることにした。体を湯で清めると、多少怠くはあるが気分はかなりスッキリし頭が冴えてきた。
「食事の用意が整いました」
「……今参ります」
男爵家の当主である彼女が供も連れずに滞在していることは本来なら問題なのだろうが、今は冒険者として訪れているのでそこはご容赦願いたい。食堂では既に他の五人が席に座っており、彼女が最後であった。
「おお、見違えるなやはり」
「あら、いつもの通りの可愛らしい姿でしょう。見違えはしませんよ」
「ふふ、ちょーっと胸周りがあまっちゃってるかな。まあ、許容範囲よね!!」
姉と伯姪はさほどサイズが変わらないものの、姉より二回りは細い彼女にとって、下に身に着けるもので多少サイズを補正したもののピッタリのサイズとは言えないのだが、それは仕方のないことだ。
「では、食事を始めようか」
前伯の合図で食事が始まる。前伯は南都での出来事などを話題にしつつ、自分たちの若い頃より治安が良くなり人の行き来が増えた半面、空気が緩んでいるという話をする。辺境伯領もそうなのだが、王国と法国との争いが収束し法国内の内戦が激化した結果、南都は前線から後方に変わっており、今回の魔物の調査の件に現れるように、いささか現実は見えていない為政者が統治
しているように思われるのである。
それは、ニース辺境伯領と異なる王領それも未成年であった王太子領の代官支配の為であるかもしれない。
「今回の件はしっかり王都のギルド経由で王家にも報告すべきだろうな」
「はい。機会があれば王妃様にもご報告させていただくつもりです」
今日の夜にでも、リリアル学院の祖母経由で南都近郊の治安体制の見直しを具申すべきではないかと彼女は考えていた。
「今日のギルドでのやりとりだが、恐らく明日は……」
前伯曰く、サボア公国内で発生している魔物の討伐の件での相談ではないかというのである。サボア公国はレンヌ同様近年王国に属した公爵領であり、以前は法国に属していたり、帝国に属することもあった境目の小国である。前伯は隣接する元法国貴族同士という事で、先代の公爵とは旧知の仲であったという。
「当代の公爵は王太子殿下と変わらぬ年齢でな、先代の急死で跡を継いだばかりなのだ。王国側のシャベリに領都を置いているが、街の規模や経済的な中心は法国側に近いトレノにある。今回はシャベリ側で発生している魔物の騒動を公爵の騎士団では討伐できないという事で問題になりかかっているのだろう」
『公爵』という立場であるのは小国とは言え半独立の「保護国」扱いの為であり、経済的な規模は伯爵領程度なのだという。また、騎士団も外征能力はなく、攻め込まれれば王国についたり法国に所属することで強固に抵抗することもない騎士団なのである。
「何だか、変な騎士団ですわ」
「いや、どうせ攻め落とされるなら抵抗をせぬ方がお互い遺恨も残らぬし、ニース領もそうだが王国・法国双方に縁戚もあるので、あまり真剣に戦う理由もないから仕方がないともいえる」
王国が混乱しているときは帝国か法国につき従い、現在のように帝国や法国が内乱状態であれば安定した王国に従うという事なのだろう。
「魔物の害ですか。一体どのような魔物なのでしょうね」
彼女が疑問を呈すると令息が『狼男』であると答える。
「狼男……ですか」
「はい。この山々に潜んでいると言われております。行商や旅人が襲われたという話も聞きますね」
狼男、王国ではルガルーと呼ばれるその魔物の正体は、御子神教の教えによる埋葬を受けられなかったもの、何らかの悪魔に取り憑かれた存在、生まれながらに不浄であった存在が死んでも土に戻ることができず彷徨う幽鬼とも言われているが、定かではない。姉は別の話をする。
「雪男の夏毛姿……って噂もあるんだよね」
雪男とは、冬の山に姿を現す人型の生物で二本足で歩く白い体毛を持つ巨人のような存在だと言われる。遠くからしか確認された事は無く、近くで見ることができたものは恐らく生きてはいないのだろう。
「それがサボアの辺にいるかもしれないと」
「ええ。噂は絶えませんし、街道沿いで荷物だけが残っている行方知れずの行商人もそれなりにいます。なので、妄言というわけではないのです」
公爵領でも把握はしているものの、実際に村が襲われるような事態でもなく、どこに潜んでいるかも見当がつかないのでそのままなのだという。
「……見つけたら……」
「討伐! その為には、事前に調べておくべきことがたくさんあるわね」
「ヴァンパイアと同じ聖別された銀の武器じゃないと効果がないとかでしょうか」
実際、獣人と呼ばれるものがアンデッドだとすればその可能性はあるだろうが、生き物であれば力が強いかどうか、魔術に対する耐性などを考慮すれば普通に討伐可能だろう。
「オーガと魔狼の両方の特性を兼ね備えた物と考えて対応しましょう。遠距離からの油球に結界による拘束、身体強化と魔力付与による斬撃、それと、遭遇までは気配隠蔽の使用と、魔力による探索の併用……いつもと同じね」
「普通に野外で活動する時と同じなら、問題ないわね。サーチ&デストロイでしょ?」
見敵必殺は伯姪の好きな言い回しだ。とは言え、修道院跡にいた狼人とは別件なのであろうか。
「実は、今日討伐した中に『人狼』らしきものがおりました」
「ほお、ではサボアの件はこれで終わりか」
「そうとも限りませんわ……」
伯姪曰く、あの狼人はゴブリンやコボルドを従えていたものの、修道院跡周辺から遠出をするような行動をしていなかったと思われるからだという。確かに、単独でサボア領に入り込むよりも、コボルドやゴブリンを率いて村や街を襲う方が行動としては理にかなっている。
「人狼は知的には人間と変わらない能力を持っているであろうし、上位の魔物として下位の魔物を使役する事も出来よう。ならば、別の人狼が活動していると考えてもおかしくあるまい。もしくは、似た別の何か……か」
「いやですわ。またこの子たちが危険な目に遭うというのは」
前伯夫人は二人の若い娘を真剣に心配しているのだ。前伯夫人は王都の出身で政略結婚でニースに赴いた経緯がある。長年連れ添った夫の領主としてのまた騎士としての活動を見知っているので、決して武張った事が苦手なわけではない。
伯姪の祖母と前伯夫人は姉妹であり、伯姪の父の育ての母でもある。前伯の弟と前伯夫人の侍女として共にニースに降った妹姫の間に生まれたのが伯姪の父のニース男爵であり、男爵が幼少の頃実の母が夭逝し前伯夫人が自分の息子と兄弟同然に育てた経緯もある。
当然その娘である伯姪も「孫娘」として接しており、実の息子には孫娘がいなかったことから、前伯夫人はとても伯姪を大切にしているのだ。男爵家の娘として跡を継ぐ兄を支える為に、騎士としての仕事も覚える伯姪を「淑女らしくしていてもいいのに」と長年思っていたのであるが、ここに来て彼女と行動を共にすることで、前伯夫人の危機感はさらに倍増している。
「騎士爵位を王家から賜ったとはいえ、まだ成人したばかりのうら若き淑女が魔物討伐で山野を巡るのはあまり褒められたことではありませんわね」
と、遠回しではあるがやんわりと『人狼討伐なんてメっ!』ほどの勢いなのだ。姉はニコニコ楽しそうであり、彼女は少々苛立つのである。
「立場もある。リリアル学院の教師として生徒を導くのも淑女の務め。何より、リリアル女男爵の前でそれは言えまい」
前伯は彼女を見てニヤリと笑いつつ、二人の立場を援護するような事を口にする。爵位を賜れば、騎士として国のために戦わねばならないのは貴族としての義務でもある。内々とは言え、学院≒騎士団となることは決まっており、活動の実績を積み上げる必要もある。避けられない依頼と思うべきなのだ。
「何より、サボアに貸しを作ることができれば、リリアルにも王国にも利があります。王太子領に接するサボア公領の安定に寄与することも王家の臣として必要なことでもあるでしょう」
「それは分かっていますよ。私も伯爵家の娘であり、辺境伯の妻ですから。それでも……言わずにはおれませんのよ」
貴族の娘がドレスを着て社交を楽しむ年齢にも関わらず、孤児たちと一緒に野山を巡り魔物や賊を討伐するのは……それも二人とも稀なる美少女なのだ。
「次のシーズンは、二人は私が監修して王都の社交界の話題の中心となって頂きます。勿論、ニース商会の全面支援でね」
「それは素晴らしいですお婆様。二人の見目麗しい若き騎士を商会の広告塔として全面的に応援させていただきます。勿論、リリアルの少年少女たちも従者・侍女としての育成含めて協力させていただきますよ」
令息はやはり手強い。自分たちの利益となるだけでなく、リリアルのメリットも併せて提案し、前伯夫妻の前で約束させてしまい、更には応援団に仕上げてしまうとは……疲れて頭が回らなくなっていたとはいえ、少々出し抜かれたと言えるかもしれない。
「どのみちあなたは……デビュタントから逃げられないのだから、応援していただいた方が良いでしょうね。国王陛下もきっと楽しみにされているでしょうから」
そういえば、王妃様王女様もいい笑顔で待ち構えていそうで怖い。『水馬』あげるから勘弁してくれないかなと彼女は想いを馳せるが、そんなわけがない。
「王妃様曰く、デビュタントの前日から王宮に二人を泊まらせて、王妃様付きの選抜きの侍女たちに仕上げをさせるとおっしゃってましたわね」
「ああ、そうだな。リリアルの事はとても気に掛けていただいているからな。二人が社交界で大いに注目され受け入れられれば、リリアル学院の卒業生の期待も高まるであろうから、脚を引っ張られぬように心することだ」
姉が横で「ちゃんと指導してあげるから、安心してね!」と小声で話しかけてくる。社交界では姉に一日の長がある。彼女にとって重要なのはリリアルの敵と味方を判別するための場と手段を社交の場で獲得することにある。
「では、その時はお願いするわ。頼りにしているわよ姉さん」
「お、珍しく素直だね妹ちゃん。お姉ちゃんに任せておきなさい!!」
「姉妹仲が良いのは嬉しい事ですね」
日頃から口喧嘩のようなやり取りの多い姉妹が珍しく仲良くしているのを見て令息が嬉しさを口に出している。とは言え、姉が揶揄い妹が窘めるのがこの関係の何時もの事なのであり、姉が調子に乗って暴走する故の妹側の牽制であることを、姉の夫はまだ気が付いていないのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます