青い春


 何をやっても何も感じない。生きる意味も目的も無いのだ。苦しいだけの毎日が続き、嫌になってくる。


 だからというわけでは無いが、屋上に出てみた。飛び降りる勇気は追い風と共に空の彼方へ消えていく。自由に空を舞う鳥が羨ましい。本能のまま食事をして、恋をして、幸せに死んでいくのだから。


 手すりに体を預けて街を見下ろす。


 俺は自由に飛べなくなった鳥。この世界には理不尽という不平等な仕組みがある。鳥だって全てが自由では無く、人間の私利私欲で怪我する鳥や寿命が縮む鳥がいるのだ。


 高校1年生の初秋に俺も何らかの理不尽によって、ごく普通の人生から不幸で無意味な人生へと一変してしまった。




 つい先月の事だ。目を覚ますと朝になっていた。時計を確認するとアラームが鳴り出す数分前。学校へ行く支度を済ませて朝食を口に入れた瞬間に気がついた。


 その日のメニューはご飯、味噌汁、魚という至って普通の朝食であるが、どれも味がしないのだ。その時は親の調理ミスと思い、何事も無かったかのように学校へ向かった。


「シンジ、おはよう」


 後ろから声をかけられ、振り返ってみる。そこには同じクラスで、片思い中のルミがいた。


 普段から話すような相手ではないため、何か胸騒ぎがする。


「おはよう」


 笑顔で挨拶を返したつもりであった。実際は上手く笑えていない。自分でもよく分かる。


 それから2人きりで学校へ向かって歩くのだが、彼女と話したいという気持ちが湧かなかった。そのせいで無言のまま学校が近づいてくる。


 さすがに気まずくなってきたのだろう。ルミの方から面白い話を語り出す。しかし、面白いと感じる事は無く、無理矢理作った笑顔で誤魔化した。


 その日、感情という物に触れることはなかった。


 喜び、敬愛、驚き、悲しい、憎悪、怒り、関心。これらの感情が引き剥がされ、恐怖が痣のように残った客観的な世界になってしまった。




 そんな無の生活を続けて約1ヶ月経つ。


 ビルが建ち並び、住宅が集まった色鮮やかな街を睨みつける。そこにはたくさんの人々が何の不自由無く過ごしているというのに、憎むことは出来なかった。


 ただ、毎日が苦痛。日を重ねるごとにその苦しさだけが増して、他の感情は行方不明のまま。


「シンジ君かな?」


 振り返ると、そこには1人の男性がいた。彼は迷彩の軍服を着ており、体中に多種多様な武器が備わっている。


「そうですけど、どうしました?」


「何も感じなくて苦しい。それで屋上に来てみたけど、恐怖が勝った……ってところだろう?」


「まぁ、そんなところですね。何故そんなこと分かるんですか?」


 誰にも感情の事を話した記憶は無い。


「少しな、シンジの体を検査させてほしい」


「良いですよ」


「じゃあついて来てくれ」


 優しく微笑んだ軍人を一切疑わずに後を追って校舎の2階に着いた瞬間、誰かが俺の手首を掴んで引っ張った。


 その力に抵抗しようとすると、手首を掴んでいるのがルミであることに気がつく。


「ルミ?」


(今は黙って私に従って)


 返事は脳に直接届いた。後ろには気怠そうな顔の軍人がこちらを眺めている。


(あぁ、やっぱり私、シンジのこと好きだ)


「え? どういうこと?」


 過剰に驚いてはいないし、冷静だ。それなのに心臓が潰れるような苦しみが俺を襲う。苦しさの原因も分からないまま走る。


 手首を引く力は校舎から出て裏山へ向かう。


 落ち葉と靴が擦れ合う音、木の枝が割れる音、葉が風に揺られる音、全てが聞こえなくなるほど息が切れ、ルミが足を止めた。


(私の声、聞こえてるかな?)


「うん、聞こえる」


(私もシンジも一種の病気にかかっているの)


 ルミは荒い息と同時に脳に語りかける。彼女の手はまだ俺に触れた状態であった。


(でも、その病気は人によって症状が違ってて、私は嘘ついた人の本音が聞こえるっていうのと、触れている人に心の声が伝わってしまう症状)


「じゃあ、俺の感情が無くなったのは……」


「そう、病気のせいだよ」


 ようやくルミが声を発した。この声をどれだけ美しく感じていたのか、もう覚えていない。


「この病気を治す方法はある。だけど、さっきの軍人はシンジのもう一つの症状を悪用しようとしてる」


「もう一つの症状……か」


 もう一つの症状に心当たりは無い。


「なぁ、軍人が俺を狙ってるんだろ? 多分、複数人で狙っている。俺らで歯向かっても勝ち目ない。だから俺を殺してくれ」


「そんな事言わないで!」


 頬を思い切り叩かれた。痛みを感じないのに、苦しい。


「私ね、シンジのこと好きなんだよ? 好きな人を殺すなんて無理だよ」


 ルミは俯き、泣いているようだった。胸がより一層苦しくなる。


「わかった、生きるよ。それで、この病気の治療方法は?」


 木漏れ日が揺れ、幻想的な風景の隅からゆっくりと現れる影。


「俺が治療してやるよ」


 その声に続いて銃声が鳴った。感じた嫌な予感と同時にルミを勢いよく押し倒す。


 案の定、弾丸はルミの方向に飛んでいた。彼女の元居た位置に俺はいる。弾丸は俺の頭をめがけて凄いスピードで進む。


 終わった。


 そう思った瞬間、弾と俺の間に何かが。


 謎の液体が俺の顔に付着する。


 さっきまで居たはずのルミはいつの間にか消えていた。


 1人、地面に倒れ込む。木の根っこに顎を打ち、落ち葉が軽く舞った。


 恐怖が湧き出てくる。恐る恐る起き上がり、辺りを見渡す。


「る、ルミ?」


 美しく、芸術的にルミが倒れていた。脳を一直線に貫かれ、彼女によく似合う鮮やかな赤色が、地面を彩る。


 奥から聞こえる笑い声。


「ルミ、ルミぃぃぃ!」


 今頃理解する。俺は普段から幸せであったと。それからその幸せを『普通の事』だと勘違いしていたことだ。


 ルミと頻繁に話していないなんて、それは俺個人の意見だ。会話出来ていたこと自体が幸せであると思っていなかった。だから、こんな病気にかかったのだ。


 そして、自分の過去と一緒に感情も思い出した。失って知る。後悔して気づく。俺は愚かだった。


「どうだ? ちゃんと感情戻っただろ?」


 俺を嘲笑う軍人。自分のせいでルミは死んでしまった。この罪をどうすれば償えるだろうか、いや、償えない。



***



 罪悪感と哀しみを抱いき、丁度2年の始業式に登校を開始した。


 俺には青い春が訪れたのだ。

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