第4話 氷の魔導書との出会い
外は快晴、視界には緑の草原が広がっている。
今感じている振動も乗り物酔いになるほどひどくなく、むしろ心地よいくらいだ。
ああ、いい気持ちだ。――眼下に覗くピンク色の巨体さえ見えなければ、だが。
パンプクに手を引かれるがままに乗った事をマコトは少し後悔していた。
その先にあったのは、ミミズのような生物と、その背中の籠。
籠は木の骨組みと白い布で覆われた部屋のようになっており、幌馬車のようだった。
いや、この場合は・・・ミミズ車、とでもいうべきか。
マコトは乗っていて無害であるとはわかっていても、生理的な嫌悪感とは戦わざるを得なかった。
あまり気持ちの良い造形ではないこの生き物は、どうやら元の世界でいうところの馬のような存在らしい。
作物の生産を中心とする村では重宝されているとパンプクが教えてくれた。
あまりに基本的な記憶もなくて難儀なものだ、すまないと曖昧に返答しておく。
この世界の住人ではないと伝えた結果、無用な混乱を生み出すのは避けたい。
「それにしても、パンプクはどうしてあの場所にいたんだ?」
魔塵の森に関する話が迷信だと思っているとは言え、瘴気漂う森の側に行く用事がそうそうあるとも思えない。
マコトは話の矛先を変えるため、ふっと浮かんだ疑問をそのまま口にした。
「それはね・・・こういうことさ」
パンプクは自分の隣にあるずた袋を開けて見せる。
「・・・パンプクは盗賊、なのか?」
口をついて出たのは素直な感想だった。
杖やローブ、剣に革鎧。まるで冒険者の装備が袋一杯に入っていたのが見えたが、どれもパンプクが使うようなサイズ感ではない。
となれば、これらはおそらく強盗か追いはぎによって手に入れたものなのではないだろうか。
「人聞きの悪い事を言うね。女神様に誓って言うが、あたしは盗賊じゃない。
第一、この体と装備で冒険者達を何人も相手取れると思う?」
確かに、パンプクは平凡な村娘といった格好をしていて、とても戦闘能力が高いようには見えなかった。
「・・・じゃあ何なのか、っていう顔してるね。これは全部・・・”抜け殻”さ」
「”抜け殻”?」
マコトはオウム返しに聞き返す。
「・・・魔塵の森の近くではね、時々こういう装備品や持ち物が、妙にきれいな状態で散らばっている事があるんだ。
でも魔物の仕業じゃない。人の血もついてないし、魔物の牙や爪跡が無い。」
「ってことは、死体から剥いだって事でもないわけか」
「ちょっと、物騒なこと言わないでもらえるかな。死臭もしないだろ。
装備が溶けたりしてないから、着ていた人が液で溶かされたわけでもない。
状況だけ見たら、森に入った誰かが、これだけを残していなくなった、そんな感じがするんだ。それをあたしは"抜け殻"って呼んでる」
「危ない森に入るにしては妙な話だな」
「うん。まあ一応誰かが”要らない”って捨てていった可能性もあるから、あたしが集めて家に保管しておいてる、ってわけ」
「・・・それ、パンプクにメリットはあるのか?ただ忘れ物を保管しておくだけだったら家が狭くなるだろう」
「誰がタダって言ったよ」
「え」
「もちろん取りに来た人がいたらそれなりにお金を払って買い戻してもらうよ。
わざわざ捨てたものを取りに来るぐらいだから、それなりに大切な、価値のあるものだろうし」
「いた場合は、ってことは・・・まだいないわけか。結局損だろ」
「そうだね。むしろ来ないんじゃないかと思ってる。だからしばらく経ったら普通に売り出すよ。
その場合は別に二束三文でも構わないんだ、なんせ元手はタダだからね。つまりあたしは――」
ここまで一息に喋った後、息を吸い込んでパンプクは強調した。
「盗賊でも追いはぎでもない。強いて言えば”商人”ってこと。自己紹介はこれでいいかい?」
なるほど、商魂たくましいな。それに舌戦も得意そうだ。都の商人を尊敬するだけはある。
マコトは感心の息を吐いた。
「ああ、わかったよ。"商人"のパンプクさん。ところで――」
マコトは調子を合わせ、先ほどの言葉で引っかかった部分を口にする。
「女神――そう言ったな。この世界には女神がいるのか?」
「何言ってんだい。この世界を作った女神、叡智のケルタ様くらい流石に知ってるだろ?何もかも忘れすぎだよ、あんた」
パンプクはけたけたと笑った。
「そ、そうか・・・すまないな、ほんとに」
マコトはその名前を反芻する。
ケルタ、ケルタ・・・メルシエスとは全く違うタイプの名前だ。
全く別の神なのか、それとも同じ神の別名なのかは分からないが、とにかくこの世界に神がいるというのは本当、らしい。
とすれば、マコトを蘇らせるときにメルシエスが言っていたことには全てそれなりに信憑性が出てくる。
「”蒐集の神性”、ねえ・・・一体どんな代物なんだか」
マコトは得体の知れない、しかしまだ何も発揮されていないであろう力について思いを馳せながら、
再度ぼんやり草原を眺めることにした。
一刻、元の世界の感覚で1時間ほどたったころだろうか。ミミズの頭越しに小さな集落が見えてきた。
「ほら、見えてきた。あれがリディア村さ。とりあえずマコトはやることないんだろ?
こいつ、借り物なんだ。あたしと一緒に牧場まで返しに行こうか」
ミミズを指さしながらパンプクは言う。もちろんマコトに断る理由もなく、牧場まで操縦するパンプクの縄捌きをじっと見ていた。
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「わかってはいたが、やっぱり群れを成すとなかなか|来る(・・)ものがあるな」
「そうか?可愛いだろ、慣れれば」
「慣れれば、な」
そんな日は来るのだろうか。
牧場に付いてレンタル料金を支払ったパンプクに、マコトはげんなりとした口調で話しかける。
目の前の囲いの中には巨大なピンク色の生物が何匹かうねうねと動き回っていた。あまり食欲の沸く光景ではない。
「さて、これからどうするんだい、マコトは」
「うーん・・・どうするって言ったってなあ」
なんせこの世界の常識も、生態も、世界の仕組みも、何も分かってはいない。そしてもちろんのこと、一文無しなのだ。
何をするにもお金があればとりあえずなんとかなる。
マコトは元の世界では比較的そのようなスタンスを取っていたのだが、ここに来て何ともならない気持ちがむくむくと湧き出てくる。
と、なると。
「・・・パンプクの家、しばらく泊めてもらうわけにいかないかな」
頼るのは目の前の少女しかいない。とりあえず寝床が確保できるなら物置でも床でもいい。
家族に怪しまれるかもしれない。そうでなくても気を悪くするかもしれない。
断られても仕方がない、なんせ初対面なのだから。
そういう覚悟で口にした言葉はしかし――
「・・・あたしの家?いいよ。」
「そうか・・・そうだよな・・・ん!?」
「だから、別にいいってば。どうせ記憶もないんだし行く当てがないんだろ。あたしの家に来なよ」
まさかの了承を得てしまった。
「ほ、本当か!ありがたい!」
「いやいや、別にいいの。部屋も空いてるし。ほら、行くよ!」
マコトはパンプクに言われるがまま、家への道を歩き始めた。
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パンプクの家までの道のりは、村人にやや数奇な目で見られながらの物だったため、マコトとしては肩身の狭い思いだった。
「仕方ないよ、その服じゃね」
「そんなに変わってるのか?」
「うーん、変わってるというか・・・都の神官みたいだからね、その色遣い。流石にお高いでしょ?・・・って覚えてないか」
どうやらこの世界にはスーツという概念はないらしかった。
まあ、目の前の少女は褐色の肌に良く合う麻色の服を着ていたので、なんとなく感じてはいたことだが。
「さて・・・ついたよ、ここがあたしの家だ。入りなよ」
リディア村の中心からやや外れた所まで来たところでパンプクが立ち止まり、指を指す。
目の前には木造の小屋があった。結構大きく、2LDKほどの広さがあるように見て取れる。
「こんな家に一人暮らしとは・・・贅沢だな」
マコトの言葉にパンプクは一瞬顔を翳らせたように見えたが、すぐに表情を戻し、マコトを中に招いた。
家の中は外から見た時に想像されたものとあまり変わらず、素朴な造りをしていた。
「そこの部屋が一つ空いているから、使ってくれて構わないよ。台所は見ての通りここ。飯もここで食べる」
パンプクの案内に従って視界の奥の方にある部屋に向かうと、一人用の簡素なベッドと机があった。
ビジネスホテルには泊まり慣れていたマコトにとってはもちろんこれで満足である。
(前に人が住んでいたような生活感はあるが、しばらく部屋を空けてるみたいだな)
机に積もった埃を人差し指ですくってそんな事を考えた後、マコトは台所に戻った。
台所では、パンプクが本日分の"抜け殻"の収穫を食卓の上に広げているところだった。
「さて・・・結構あるねえ。取り合えず武器だけでもゴルグのところに持っていこうかな」
「ゴルグ?」
「この村唯一の鍛冶屋さ。辺鄙な村だけど、ゴルグの腕と目利きは都でも通用するくらいなんだ。
マコトは・・・そうだね、ゆっくりしてていいよ。」
「ついていかなくてもいいのか?」
「ああ、ゴルグはちょっと人見知りな所があってね。あたし以外の人がついてくるとあんま喋んなくなっちゃうんだ」
そう言いながらパンプクは剣や杖、弓を食卓から足元にある車輪付きの木箱へひょいひょいと投げていく。
あっという間に選別が終わったかと思うと、そのまま木箱を転がして外へと出て行ってしまった。
「ゆっくりしろ、って言ったってなあ・・・」
特にやる事も無いこの状況、逆に一人だと色々な思いが去来してしまう。
これからの事、これまでの事、とりあえず生きていく方法、帰る方法。
不安を中心として思考がぐるぐると渦巻き始めるのを感じ、これなら無理やりにでもパンプクについていくべきだったな、
とマコトは家の中を見回しながら独りごちる。
「・・・ん?」
マコトの目線は食卓の上で動きを止めた。
食卓には先ほどパンプクが広げた袋の中身と、それらが元々入っていた袋が乱雑に放置されていたが、
袋の中に、まだ膨らみを構成している物体があるのに気づいたのだ。
「何か出し忘れてるな・・・あいつ、うっかりしてるところもあるんだな」
快活な少女らしいところに少し安心感を覚えながら、マコトは袋の中に右手を入れて、その物体を取り出す。
「・・・なんだ、これ」
マコトの右手には、複雑な模様が表紙になっている一冊の本のような物が握られていた。
全体が濃い青色で塗られており、模様は金色の絵の具で描かれているようだった。
手触りは紙のような石のような、どちらともとれるものであり、そしてほんのりと暖かい。
「本か?それにしては題名もないし変な模様はあるし・・・妙だな」
そう言いながら表面の埃をはらおうと手をかざすと、"青の本"はその模様を激しく発光させ始めた。
「えっ、ちょ、ちょっと待て!何だ!?」
焦るマコトだが、当然”青の本”の方は待ってはくれない。
段々とその光量は増えていき、まるで何かが殻を破るように一際大きく光輝いた。
一瞬目を瞑るマコト。次に目を開けた時、本のあった場所には――青い、羽根の生えたトカゲのような生き物が鎮座していた。
「・・・トカゲ?」
思ったままの事を口に出すと、それに反応する声がした。
『失礼だな、トカゲじゃなくて、龍だよ、龍』
「そうだよな、トカゲは羽根、生えてないもんな・・・・あ?」
誰だ。あたりを見回しても、パンプクすら見当たらない。それでは、この声の主は一体・・・
『自分から呼んどいて無視とはいい度胸だね、ええ?責任持ってよね、主さん』
・・・認めがたい事だが、この空間には俺と、このトカゲしかいない。つまり、
「トカゲが、喋ったって事か?」
『だーから龍だって!覚えなよ!』
「・・・すまない」
その剣幕に気圧されて形式上謝りはするものの、マコトは全く釈然としていなかった。
『まったく。で、飲み込めたかな?この状況を』
「いや、全然。そもそも君はどこから現れたんだ?なぜ俺の前に?」
『それは主さんが”呼んだ”からだよ。”青の本”に触れて、模様を撫でただろ?それが合図さ。私は世にも珍しい”龍の形を取る本”なんだ』
確かに言われてみれば、このトカゲは先ほどの本と同じような色の青い鱗に体が覆われている。
さらに、その上に金色の文様がびっしりと書き込まれていた。
トカゲの言葉が本当であることを証明するにはそれで充分だった。
「呼んだ、ってそんなつもりはさらさらなかったんだが」
『そのつもりがあろうとなかろうと、正式な手続きが踏まれたら顕現するのがこの世の理だよ』
「じゃあ、お帰り頂くことも」
『出来ないね。邪魔者扱いするなんてひどいじゃないか』
ぷうと頬を膨らませてトカゲは空気を吐く。キラキラと光る小さく白い粒子が吐息に乗せられて舞い、空気に溶けていった。
「・・・参ったな。得体の知れないものが二つに増えちまった」
『二つ?・・・ふうん、何があったか知らないけど、とりあえず名前、決めてくれないかな』
トカゲは鼻腔をマコトに近づけてニ、三嗅ぎしたかと思うと、ぷいっと外を向いてしまった。
「名前まで決めなきゃいけないのかよ」
『そりゃあ当然。自分で呼んだからには責任持って名を付ける。名前はこの世に魂が定着するための命綱だからね。さあ、早く」
急にネーミングセンスを発揮しろと言われてもな、と喉元まで出かかった言葉を飲み込みつつ、
マコトは目の前のトカゲに相応しい名前を考える。
乗り掛かった舟だ、こうなったらいいのを考えてやろう。
トカゲが吐く息に含まれる粒子が、窓からの光を反射してきらきらと幻想的にきらめく。
「・・・キュウ、なんていうのはどうだ」
『ずいぶんと短いねえ。何か意味があるのかい』
「・・・俺の、ふるさとの言葉で”蒼穹(ソウキュウ)”というのがある。ソウは青い色を、キュウは晴れた大空を意味してる。
お前の鱗の色が、ふるさとの空に似ていると思ったからな」
『なるほど、なるほど・・・キュウ、キュウ、キュウね。・・・いいじゃない、気に入った!』
トカゲは自分に着けられた名前を繰り返し呼ぶと、体をちょこまかと跳ねさせる。
どうやら喜んでくれたようだ。
「ところで、キュウよ。”龍の形を取る本"だなんて言ってたが、一体お前は何の本なんだ?」
『んん?それも知らないで呼びだしたのか、せっかちだねえ・・・私は――”魔導書”。それも”氷の魔導書”さ』
「――"氷の魔導書"・・・って、そんな貴重なものが袋に入ってたの!?」
今のは俺の声ではない。
――俺の後ろから、家の入口から聞こえてくる少女の声に振り向くと、
ゴルグのところから帰ってきたパンプクが、驚愕でその口をあんぐりとさせているところだった。
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