夜の街

夜の街 街の灯り、車

 歩く。

 夜の街。行く場所は決めていない。場所など、社長にとっては、どうでもいいことだった。ただ歩く。点滅した信号。揺れている。車はない。

「あれ、社長」

 声を掛けられた。振り向く。

 お茶汲み係。四十過ぎても引き取り手がない、婚期逃したおばさん。

「どうしたんですかこんな夜更けに」

 言われて、時間感覚が無くなっている事に気付いた。時間など、社長にとっては、どうでもいいことだった。

「とりあえず、座りましょ、あそこ」

 背中を押される。近くの小さなベンチ。座った。お茶汲みも隣に座ってくる。

「さて、女同士の相談といきましょう」

「なんですか、いきなり」

「いやあ、実は彼氏と喧嘩しちゃいましてね」

「恋人、いたんですか」

「そりゃいますよ。婚期逃したおばさんなんて言われちゃいますが、結婚してないだけですから」

 人の生き方。自分は、それについて、考えたことがあるだろうか。ただ、自分の好きなように服や小物をデザインしていただけだ。仕事だとも思っていなかった。そして、今の専務が会社を作ってくれて、社長という肩書で好きなものを好きなだけ作れるようになった。

 そしていま、夜の街を歩いて、小さなベンチに座っている。仕事のことも、社長にとっては、どうでもいいことだった。灯りが揺れる。車。一台も通らない。

「それがですね。何回言っても直してくれないんですよ」

「あ、ごめんなさい聞いてなかった」

 お茶汲み。恋人の小言を並べ立てている。寝るときに抱きしめてくれなくなった。夜の帰りが遅い。休日いつも家にいる。デートに誘っても付いてこようとしない。おそらく、告白するか別れを切り出すかのどちらかなのだろう。

「プロポーズされたら、結婚するんですか」

「そこなんですよ。結婚したら恋愛できなくなる」

「それ、重要なんですか」

「重要ですよ。恋愛と夫婦は違うんです」

 街の灯り。揺れている。車は通らない。

「専務、いま何しているんでしょうかねえ」

「なぜ専務の話を」

「いやだって、イケメンじゃないですか。そのうえ気立ても良くて仕事もできる」

「そうですね」

「いいかげん、社長も心をお決めになっては」

「なんの話ですか」

 お茶汲み。目を見開いてびっくりしている。

「専務、まだ告白なさってなかったんですか」

「いや、さっき、告白自体は」

「あ、なんだもう告白されてるのか。で、いま社長は、それの返答に思い悩んで夜の街を放浪してると」

「断りました」

「えっ」

 さっきよりも、また更に目を見開いてびっくりしている。告白など、社長にとっては、どうでもよかった。

「な、なんでまた、断ったりしたんですか」

「知りたいですか」

「ええ、是非」

「しにたいんですよ」

 それだけが、社長にとって、どうでもよくないことだった。

「学生の頃に、車に轢かれてしにかけたことがあって」

「事故、ですか」

「ええ」

 お茶汲み。まだ開いた目が引っ込んでいない。

「それ以来、デザインが頭の中にたくさん浮かんできたりするようになったんです。でもやっぱり、轢かれたときのことが頭を離れなくて。そのたび、しにたいなと思うんです」

 車。通っていない。街の灯り。揺れ続けている。

「一度しにたくなると、他のこととかどうでもよくなっちゃって、こうやって歩いて自分を轢いてくれる車を探すんですよ。なんでもいい。じぶんをしなせてくれるものを」

「そうだったんですか」

「だから、こうやって歩いてるんです。専務が告白して来ても断るし、仕事のことも投げ出すし、いま何時なのかってことすら」

 言葉が、続かなかった。

「まさか、本当にそうだとは、思いませんでした」

 お茶汲み。大きな目が、こちらを見つめている。

「いやですね、社長ときどきふらっと、なんというか、どこか行ってしまいそうになるから、自分が付いてないときはうしろ付いて行って引き留めろって、専務に言われてたんですよ私」

 専務。

「でも社長、しにたいなんて、嘘ですよ」

「うそ?」

 嘘。

「そう、嘘です。専務に告白されてうれしかったんじゃないですか」

 うれしい。

「でもどうしていいか分からなくて、街をさまよい歩いてただけですよ」

「そんなことは」

 すべてが、社長にとっては、どうでもいいもののはずだ。感情。言葉。

「いいんですよ。もう楽になっても」

「らく?」

 楽。

「だって社長、ずっと、泣いてるじゃないですか」

 頬。触れる。なみだ。たしかに、泣いていた。景色。街の灯り。涙で滲み、揺れていたのか。

「専務、もうすぐ車に乗って来ますから。声を掛ける前に連絡しておきました。ね、婚期逃したおばさんの私が言うのもなんですが、ちゃんと受けて結婚してください。大丈夫ですよ」

「すいません、いま何時ですか」

 どうでもよかったそれが、急に、必要なものに思えてきた。場所。時間。仕事。告白。

 車。一台、見えてきた。ベンチから立ち上がり、それに向かって。

 歩く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る