第17話

赤金蟒蛇あかがねうわばみ

「くっ」

 赤い壁がのたうち、四島を襲った。四島はそれに応戦する。丸い半球の膜、四島の結界で。「ぐ.....っ!」

 衝突した赤い壁は四島を結界ごと吹き飛ばした。四島は結界の中で転がる。この結界は外界からの衝撃を防ぐ結界だ。それでもここまで吹っ飛ぶということは相当の衝撃があったということだった。いや、それだけではないのか。

「ううん。結界が十全に機能してませんね」

 四島は口元の血を拭った。いや、血が流れ出ているのは口元だけではない。頭から流れ出た血は四島の顔をべったりとぬらしている。服もボロボロで全身を何度も打ち付けたのが見て取れた。左腕はだらりと下がって動かない。

 それでも、表情は変わらず無表情なのだから呆れを通り越して関心するというものだ。

 戦闘が始まって10分が経とうとしていた。四島は崩落した通路の前で攻撃を受け続けていた。四島は霊鏡の条件を揃えまいとここを守り続けていた。

「結界術師か。腕は悪くないようだが相性が悪かったな」

「ええ、はい。まぁ、ある程度は予想してましたがね。あなたも結界を使う。それも、私よりも格上だ。結界術師の天敵は格上の結界術師。術を解析されて中和されてしまいますからね」

 それが、四島が防戦一方である理由だ。四島の結界は並以上の怪異相手でも持ちこたえられる代物である。それが、押し切られるのは天淵が四島の結界を弱体化させているから。

 結界を使いこなすものは格下の結界を解析出来る。解析し自分の攻撃に結界をジャミングする結界を施すことが出来る。今、天淵が使役する怪異にしているように。

 四島は結界以外の術は簡単な符術しか使えない。つまり、結界が最大の武器なのだ。

 その最大の武器が通用しないとなると、最早勝つ手はない。

「さぁ、一体あとどれだけ耐えられる。結界が壊れるのが先か、お前の体が壊れるのが先か。どの道残り時間は長くはないぞ」

 天淵が古びた書物のページをめくる。

蒼狼あおおおかみ

 天淵の言葉と同時に青い炎が沸き立った。それは燃えさかりながら形を変え、やがて巨大な狼になった。天淵の隣りでメラメラと燃えさかり、喉を鳴らす。

 今まで天淵が召喚した怪異と圧力が違った。間違いなく天淵の持つ手札の中でも最上級の怪異だった。

「逃げろ! 四島の兄ちゃん!」

 叫んだのは陽毬だった。

「このままじゃ死んじまう! 逃げてくれ!!」

「いえ、その男に『白峰の霊鏡』が渡ったらまずいですから。本当にまずいですから。そうなったら責任問題ですよ。職務上退くに退けないといったところです」

「職務上って....そんなのんきなこと言ってる場合かよ。命がかかってるんだぞ!」

「まぁ、私はのんきですよ。それに」

 四島は符術の札を破り捨てた。四島の球の結界の色が白から緑に変わった。結界の性質を変えて少しでも時間をかせごうとしているのだ。なにがなんでも、まだ倒れるわけにはいかないと。

「紅葉さんに貴方を任されました。だから、せめて紅葉さんが来るまでは戦わないとダメなんですよ」

 そして、四島はほんの少しだけ微笑んだ。

「紅葉さん。貴方の過去を聞いて『なんて頑張ってきたんだ』って言ってましたよ。貴方に謝りたいそうです」

「な.....。そんなこと.....」

 陽毬は言葉を失った。色々な感情がない交ぜになった顔だった。自分の今までの生を肯定された喜びや、簡単に言うなと言い返したい思いや、そんなことを思う自分への嫌悪や、それでも感じる安堵や。

「どうでも良いことだ」

 そんな二人の会話を聞いて天淵が言った。地獄のような表情にわずかばかりに不快感が浮かんでいた。

「頑張って生きた、それが素晴らしいというのか。苦境を乗り越えて生きることが素晴らしいと」

 怨念のような声。聞いているだけで呪われそうな、深い闇の中から響くような言葉。

「そんなものは大なり小なり誰もが行っていることだ。敷島陽毬の人生は特殊だ、確かに。だが、みな、苦しんでいる。みな頑張っている。みな同じだ。敷島陽毬が度を超えた苦しみを味わったからといって敷島陽毬を肯定するべきではない。生きるというのはそも苦痛なものだ。俺が仕事にすがりついているように、みな何かにすがりついてそれを紛らわしている。この娘だけが許されるべきではない。この娘だけを特別扱いすべきではない。苦しいのはみな同じだ。この娘だけではない。この娘とて誰も彼もと同じだ」

 それは否定だった。陽毬の苦難を、それとの戦いを否定する言葉だった。陽毬のこれまでを否定する言葉だった。

 天淵は言ったのだ。なにも特別なことはない。みんな苦しいのだ。お前と変わらないと。

「お前が言うな!!! 俺の人生をメチャクチャにしたお前が!!! お前のせいで俺は........!!!」

 陽毬は叫んだ。それを天淵が制す。

「ああ、メチャクチャにした。俺の都合のために。俺は悪党だ。だが、お前は乗り越えた。他の人間と同じように。お前は特別ではない」

「なんだと.....なんだと....!!!! ふざけるな!」

 天淵の理屈はメチャクチャだった。だが、天淵の中で筋が通っているらしかった。天淵は全ての人間が同等に見えている。生きている以上、苦しく辛いのは当然だ。苦しいのはみんな同じだ。だから、苦しみに大小の差はあれど、誰かを特別扱いするべきではないのだと。

 だから、天淵は陽毬の境遇に同情しない。陽毬の人生を特別扱いしない。他の人生と同様で、だからこそ気にかけるに値しないと、そう言っているのだ。

「あー、いますね。あなたみたいな考え方の人。居ます居ます。普通の社会の中にも」

 そんな天淵の言葉を聞いて四島は言った。相変わらずの無表情。しかし、それは表情が顔に出ないいつものパターンではなく、純粋に浮かべる表情が無いからだった。

 四島は、

「私、あなたが嫌いですね」

 純粋に天淵という人間を嫌ったのだった。

 四島は天淵桐也という人間の考え方を受け容れなかった。生理的に嫌悪した。この男の根幹にある思考パターンを否定した。

「結局、そんな悪魔みたいな雰囲気しといて、嫌な重役そのまんまってとこですか」

「どうとでも言え。どのみちお前は死ぬ。朱の紅葉と共にな」

「いいえ。私は死にません。このままあなたの猛攻をなんとか凌いで、そしたら紅葉さんが救いのヒーローみたいに駆けつける。そうすれば私たちの大勝利ってワケです」

「夢見がちなのは結構なことだな」

 そして、天淵は右手を上げる。傍らでうなりながら控えていた狼が身をかがめる。

「貪れ」

 その言葉と同時に、狼が砲弾のように四島に吹っ飛んだ。四島はまったく反応出来ずにその直撃を食らう。さっきよりも何倍もの速度で四島は跳ね飛んだ。結界の中で地面を転がり、全身をしこたま打ち付ける。しかし、すぐに起き上がり持ち場に戻る。

 結界は無事だ。これが解けない限りはなんとか戦える。今の一撃。四島にはAレートクラスの怪異の攻撃と同等に見えた。それをなんとか凌いだ。

 結界の性質を変えたのは無駄ではなかったということだ。

「紅葉さん頼みますよ。正直言ったら私も死にたくはないですから」

 四島は懐から残り少ない符術札の一枚を取り出し破り捨てた。




 静かだった。エレベーター前エントランス、瓦礫に塗れ元の状態が分からないほどになっているこの場所。

 遠くで鳴る警察や救急車のサイレン、何かが壊れる音。しかし、それらも一時よりは落ち着いてきている。

 街中の怪異狩たちが一体一体、確かに怪異を討伐しているのだ。

 あと1時間もすれば半分以上は片付けるだろう。皆怪異狩りで飯を食っているのだ。今日ほどの数がそろえば街に怪異が溢れかえっていても仕事はこなす。

 パラ、と天井からコンクリートの破片が舞い落ちた。

 直下に落ちたそれは綺麗にまとめられた髪に当たって跳ねた。

 紅葉の髪に。

 瓦礫の山の真ん中。今し方落ちた天井の横に紅葉は立っていた。

 そして、その真正面に蕨平。

 2人はピクリとも動かなかった。

 今、蕨平は紅葉を斬った。

 今、紅葉は蕨平に斬られた。

 蕨平が残した132の斬撃。その131で天井と柱の全ては両断され、紅葉は逃げ場を失い地上に降りた。

 そこに蕨平が残りの一刀、最後の一刀で回避不能の完璧な斬撃を見舞ったのだ。

 蕨平は分かっていた。自分の剣は確実に紅葉を捉えたと。

 蕨平の顔にいつもの薄ら笑いは無かった。ただ、黙して紅葉を見ていた。

 紅葉は動かなかった。まったく動かなかった。まったく生命を感じられなかった。

 蕨平の剣は紅葉を斬った。それが意味するところは、

「ははぁ.....」

 蕨平は笑った。静かな、しかしそれは明らかな落胆を含んだ笑いだった。

「やられた、やられました。なんてこった、負けちまった!!」

 パキリと音が鳴った。それは蕨平の腰から、下げている刀の鞘の中からだった。

 それは、蕨平の刀が折れた音だった。

 それから数瞬遅れて、

「どうやら、上手くいきましたね」

 紅葉が言葉を発した。

 紅葉は血を流してはいなかった。衣服こそ今までの戦闘でボロボロで、蕨平の刀のかすり傷から流血はしていた。しかし、肝心の今蕨平が放った剣による傷が影も形もなかった。

 紅葉は刀を構え直す。

「ひどい、ひどいですよお嬢さん。今までの戦闘も、アタシを喜ばせたご高説も、全部全部このためだったんですか。お嬢さん、あんたアタシはめましたね!」

 はめられた、と言いながら蕨平は嬉しくて嬉しくて仕方がないといった様子だった。

 自分の剣が紅葉に傷一つ付けられなかったことが嬉しくて仕方が無いらしかった。

「いえ、全部ギリギリでしたよ。本当に私はお前を倒すつもりだった。能力を看破したことを話したのだってお前に少しでも一糸報いるためでした。ただ、前提としてそれら全ての終着点にこの状況があったといいうだけです」

「それをはめたって言うんですよ、お嬢さん」

 蕨平はカラカラと笑った。気分の良い笑い。今までのどこか狂気と禍々しさを含んだ笑いではなかった。

 本当の本当に良い気分なのだ、蕨平は。

「結局全部博打でしかなかったんですけどね。お前に勝てる可能性はほんの数%くらいしかなかったんでしょう。ただ全てが上手くいった。ここまで全てが整うとは思いませんでした」

 紅葉は静かに蕨平を睨んでいた。純粋なる敵意。自分が倒すべき怪異を。

「私はお前との戦いを頭の中で何度もシミュレートしました。私が作った状況でお前がどういう風に行動するかを、いくつもいくつも。その中のひとつがこの状況だった。天井に立った私にお前が遊びで付き合うこの状況。そして、私がお前の能力について看破したことを伝えるこの状況。そして、全てを聞いてお前が最高潮に高揚するこの状況」

 紅葉は蕨平を倒し得る状況をそれは星の数ほど考えていた。ほんの数%の勝利を確実に近づけるために。あらゆるパターンを想定していたのだ。

「お前を上手く乗せたら思い切った行動を、本当の全力を出すだろうと思っていました。そして、調子に乗りやすいお前なら残った斬撃を全て使うのではないかと。その時に切り札を切れれば私は勝てる。数少ない私が勝てるパターンが見事にそろった。本当はお前は一遍に全ての斬撃を使うと思ってたんですがね。ご丁寧に最後の一刀で私を斬った。これ以上無いほどの好機を得ることができた。まさに、幸運だったとしか言えません。私は博打に勝った」

 紅葉は懐から符術札を取り出した。もう破り捨てられ、使用済みになった符術札。最後に紅葉が使った符術の残骸だ。

「空間固定術式。千石橋で使っていたものより、規模も持続時間も短いですが、お前のただ一刀を受けるだけならこれで十分でした」

 それこそが紅葉が蕨平の攻撃を受けなかった理由。蕨平が確かに捉えた剣が紅葉を両断出来なかった理由だった。

 千石橋の上、そこで蕨平に重傷を負わされた怪異狩たちに働いた術式だ。周囲の空間ごと対象の人間を固定する術式。本人の時間も停止し行動不能になるが、代わりに外界の干渉の一切をシャットアウトする符術だ。しかし、札で使うにはあまりにも高等なため、効果範囲も持続時間も短くなる。そして、札を作ることそのものも非常に難しいため量産は出来ないという欠点もある。行動不能な間に周囲の状況がどう変わるか分からないということもあり、普通の怪異狩はまず使わないものだった。

 千石橋で空間固定術式が働いていた人間を蕨平はそれ以上斬らなかった。それは興味が無かったからではないのだ。

 蕨平自身も、これは斬れないものだと理解していたから。

 空間までは蕨平も斬れなかったのである。

 だから、紅葉はこれを切り札にした。これで、残る最後の一刀を受けた。そして、やはり蕨平は斬れなかった。結果、蕨平の刀は紅葉に傷一つ付けられずに折れたのだ。

 紅葉は切っ先を下ろす。そして、半身になり脇に刀を構えた。紅葉の剣の基本の形。

「さぁ、ここまでです。『蕨平諏訪守綱善』」

 紅葉はとうとう蕨平を追い詰めたのだった。

 最初の晩から始まり、千石橋での40人に及ぶ怪異狩たちとの共闘。その全てでこの上無い敗北を紅葉は味わった。そして、紅葉は必ずこの怪物を討つと心に誓った。

 それから、蕨平という怪異の性質を、性格の方向性を何度も考え、どうやって戦うのが最善か何度も思い描いたのだ。もう、負けないために。誰もこの怪異の凶刃の前に倒れないために。最後の夜こそは必ず蕨平を討伐するために。そして、何より『白峰の霊鏡』を、陽毬を守るために。

 そして、紅葉は今日蕨平と戦った。

 紅葉は度重なる敗北を経ながら蕨平の能力を見切り。

 そして、蕨平という怪物の性格を見切った上で見事に蕨平を謀った。

 剣士としての全てを以て、

 怪異狩としての全てを以て、

 紅葉はSSレート怪異『刀鬼・蕨平諏訪守綱善』を追い詰めた。

 そして、対する蕨平は柔らかく微笑んだ。

「いやはや、見事です。天晴れです。博打なんてあなたは言いますがね。間違いなくあなたの実力ですよ。あなたの剣の腕と、あなたの怪異狩としての実力。そして、アタシの性格を見切ったあなたの洞察力。それら全てがこの状況を作った。お嬢さん、あなたは間違いなく今まで会った中で最高の怪異狩だ」

 蕨平の構えはあまりにも抜けたものだった。戦闘をする気配ではない。圧力がまったくない。今、蕨平は本当に心から紅葉を賞賛しているのだ。

「いやはや、怪異狩というのはいつの時代も変わらない。ですが、ここまで状況を作ったのはお嬢さんが初めてだ。いや、本当に『命』が無い身でここまで楽しめるとは。まったく、この怪異という身も悪いことばかりではないらしい。ははは」

 蕨平は笑っていた。心の底から笑っていた。気色悪い薄ら笑いではなく、これが蕨平の本当の笑顔なのだと思われた。

 殺し合いの中でしか笑えない蕨平は本当に喜んでいた。

 そして、蕨平は再び腰の刀の柄に手をかけた。いつでも、『因果の逆転した斬撃』を放てる構え。

「まだ、やるつもりだったんですか。刀は折れてしまったというのに」

「いえいえ、死なない限り負けじゃありませんよ。さっき『負けた』と言ってしまいましたがね。言葉のあやってもんです。アタシはまだ負けちゃいない」

 蕨平から今までで最も濃密な殺意が放たれた。蕨平は本気だった。本気で折れた刀で紅葉と戦うつもりでいる。それも、さっきまで以上の意思の元に。

 紅葉はそれに落ち着いて、普段通りの心構えで応じる。

「お嬢さん。悪いですが、刀が折れた程度であなたに負けるアタシじゃありません」

「逆ですね。剣聖といえど刀が折れた状態で私に勝てると思わないことです」

 2人の殺気がぶつかり合う。フロアは音が鳴るかと思われるほどの圧力に満たされる。

「鐘薪一刀流、参る」

 蕨平が言い、紅葉に今まで嫌と言うほど感じてきた冷たい直感が疾る。

 紅葉は迷わず前に出た。朱いジャケットが翻る。

疾風はやて

 渚市国際会議場エレベーター前エントランス。その原型を留めないほどになった瓦礫の山の中で、2つの刃が交錯した。

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