怒り心頭
「コウシくん、もう本は読んだ?」
三浦くんが興味深そうに尋ねた。それそれ,と中川くんも乗ってくる。二人とも,自分たちには難しすぎる本を紹介されたぼくが,どのように感じたのかを気になっているみたいだ。
「とても興味深い本だったよ。やっぱり,本当によい本って言うのは本質が似てくるのかな。以前読んだ本と似た部分もあったし,新しい発見もあったりして大変ためになった。読み終わった頃には大変偉い人になっている気がする」
すげー,と三浦くんと中川くんが声をそろえた。まだすごくないよ。これからどのように生きるかだよね,とわざと軽口で気取ったことを言ってみたが,二人はそのことすら尊敬に値する言葉と捉えたらしい。
教室の入り口でそんな話をしていると「邪魔なんだけど」と氷のように冷たい声がした。振り向くと,口を一文字に結んでぶすっとした佐藤さんが仁王立ちしていた。ランドセルを背負っていないと風神雷神と間違えそうなほど顔には深いしわが刻まれている。
「おう,今日も爽やかだな」
中川くんは少しだけうわづったこえで佐藤さんに声をかけた。どうやら課題を達成しようとしているらしい。いや,気になる女子の気を引きたい気持ちも少しあるのかも知れない。いつもと違うアプローチの仕方という所も微笑ましいが,ぼくとしては笑っていられる状況ではなかった。
「何言ってるの? ほんと気持ち悪い。どうかしちゃったの?」
中川くんはひどいブローを浴びせられて,そこに立っているのがやっとという表情になった。男子もうかつに冗談を言えない中川くんにそんなことを言えるのは佐藤さんぐらいだ。
そんな佐藤さんは,あら,と今ぼくの存在に気付いたかのようにこっちを見た。そして,メリケンサックをつけたグーパンチのような言葉を浴びせかけてきた。
「あら,続けて不快な視線を女性に投げかける紳士ぶった人にもお目にかかれるとは,とても良い朝ですこと」
わざとらしく貴婦人な話し方をした後,ふんと言って自分の席へと戻っていった。そして乱暴にランドセルから荷物を出すと,風を着るようにして教室広報の自分のロッカーへと向かい,放り投げるようにして自分の棚にランドセルをしまった。
いつも大人びている佐藤さんがあんなに感情を表に出しているのを初めて見た。これは当分許してもらえないだろうなとどれだけ鈍いぼくでも察することが出来た。
その日は一日,佐藤さんを観察していた。相手が求めているものは何かということを見極めるためだ。
いったい佐藤さんは何に怒っているのだろう。もしかしてぼくが魔法にまんまと引っかかったから? でもそれは佐藤さんには一切関わりの無いことなのに。
頭の中で考えが浮かんでは消える。
「佐藤,いい女だよな~。あれはべっぴんになるぞ。頭も良いし,気は強いけど優しいところもあるからな。お前の気持ちも分かるぞ」
いつの間にか横に中川くんがいた。彼も佐藤さんを見つめながら,ぼくに話しかけている。
「コウシ,お前ずっと佐藤のこと見てたな。惚れたのか?」
周りの目を伺いながら,そしてその答えを決して聞き逃す前とぼくの口元に耳を寄せるような格好で中川くんは尋ねた。中川くんは,佐藤さんが好きなのだ。
「確かに,ぼくは佐藤さんを見ていた。それは認めるよ。でも,中川くんとは全く違う感情が原因であることは明らかにしておく必要があるな」
「何だよ,違う原因って」
「それを話すのには骨が折れそうなんだ。というより,ぼく自身その答えを持っていないからね」
「また難しいこと言っちゃって」
二人で話し込んでいると,「こそこそとみっともないわね,男のくせに」と声がした。
そこには般若のような顔をした佐藤さんがいた。そして,ちょっといいかしら,と言ってくるりと背中を向け,廊下へと歩いて行った。
「最近すごく仲良くしているのね」
少し間を置いてぼくは答えた。
「中川くんのことかい? 最近とても気が合ってね。変わったと思わない?」
「変わったわね。何をしたの?」
「何をって言われても困るけど。彼の中には向上心というものが人一倍強かったんだ。それが今までは悪い形で出ていただけなのかもね。実際一緒にいると分かるけど,悪い人じゃないよ。向上心のないものはばかだ,と言った人がいたけど,中川くんはその点本当に賢いと思う」
「コウシくんは賢い人が好きって言っていたものね」
そんなことを言ったことあったかな,とこれまでを振り返ってみたけど,思い浮かばなかった。でも、知識を持っていたり達観した考え方をしている人と一緒に過ごして吸収したいと思っているから間違ってはいないのだけど。
「賢い人も好きなのかも知れないけど,大人の女性も好きよね」
佐藤さんはそっぽを向いて,ぶっきらぼうに言った。ぼくには佐藤さんがそういうことを言う心当たりがあった。どのように答えようか迷った後、ぼくは少しだけずるい答え方をした。大人は全てのことをストレートに言うわけではない。できるだけ崖から遠いところを渡るのがスマートな生き方なのだ。もちろん,佐藤さんには通用しなかったのだけれど。
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