第5話
人という生き物は
精霊の力を借りて生まれ
その命が尽きるとき
この世界の土となる
ハンクスに初めてこの文言を聞かされた時、ダルニスは怖いと思った。幼いダルニスが素直にそうハンクスに伝えると、ハンクスはくすくすと笑った。
「怖がることなんてないさ。生まれた命はいずれ尽きるものなのだから」
ダルニスはそう言ったハンクスの笑顔を思い出しながら、持ち上げた服を抱え込んだ。まるでそこにまだハンクスがいるかのように。
それからのことはまるで夢のようで記憶が鮮明ではない。ダルニスが服を抱きしめながら泣いているのを見つけたのはトーヤで、それからすぐにタンガスとキディアも戻ってきた。覚えているのはトーヤが何が何だか分からないというような顔をしていたことと、キディアが泣きじゃくる自分を抱きしめてくれたこと、そして悲しげなタンガスの
「そうか…」
という言葉だけだ。
ダルニスは他のメルイトの者たちにハンクスが死の間際に言ったことを伝えていない。なぜならハンクスが他の者にも伝えたいことだったら、自ら伝えていただろうと思うからだ。ハンクスがもうこの世にいない今となっては確認するすべはないが、ダルニスは自分の考えが正しいという確信があった。
ダルニスは目を覚ました。ハンクスがいなくなったあの日の夢を見るのは何度目だろう。ハンクスが着ていた服を抱きしめる感触が、ダルニスの肌に鮮明に残っている。
寝床の外はまだ暗い。一緒に寝ているタンガス、キディア、トーヤを起こさないようにそっと体を起こす。寝床の外に出ると、野営の時に使った焚火の残り火がくすぶっている。ダルニスは冷えた空気を肺いっぱいに吸い込んだ。急に冷たい空気が入ってきて体の中がピリピリと痛む。けれどそれが心地よくもあった。
「早いな」
後ろで声がして振り向くと、そこにはタンガスが立っていた。
「ごめん、起こしてしまったか」
「いや、緊張して眠れなかったんだ」
タンガスはそう言いながらダルニスの隣に立った。
「なんでタンガスが緊張するんだ?」
ダルニスにとっては純粋な疑問だった。しかしタンガスは何を言っているんだと言わんばかりに目を見開いた。
「同じメルイトの一人が子を授かろうとしているのに緊張しないわけがないだろう」
タンガスの様子と、その言葉を聞いてダルニスははっとした。当然なのだ。自分がハンクスにメルイトの存続を託された時に「当然だ」と思ったのと同じように。その様子を見て取って、タンガスは大きくため息をつく。
「一人で抱え込んじゃいけねぇ。俺たちメルイトは、ただ一緒に寝食を共にしているだけじゃない。そうハンクスから教わらなかったか?」
そう問われてようやく思い出す。ハンクスが夜ごと語ってくれた昔話にあった文言を。
同じ種の集まりは一つの命であり
その命を守るため
同じ種の者たちは力を合わせ
それがやがて種を繁栄させていく
「小さい頃、ハンクスがいつも寝る前に聞かせてくれた」
「そう、俺たちは一つの命だ。ハンクスが死んじまっても、それは変わらねぇ。このメルイトを絶やさないようにお前は子を授かる。だけどそれはお前一人の問題じゃない」
タンガスは一つ呼吸を置いて続ける。
「とはいえ、お前が不安に思うのも無理はない。子を授かるには相当の体力を使うってハンクスから聞いてるからな。それだけじゃない。身ごもっている時は体が重くて思うように動けない。ハンクスがトーヤを身ごもっていた時のことをお前も覚えているだろ?」
ダルニスはそう問われて頷く。
「ハンクス、大変そうだった。それなのに一人でなんでもしようとして…」
「ハンクスは負けん気が強かったからな」
タンガスはそう言って笑った。日の光が地面から盛り上がるように浮き上がる。その光がタンガスの姿を照らす。朝日は二人を照らした。ダルニスは眩しくて目を細めながらタンガスを見る。そこには堂々と朝日を浴びるメルイトの長にふさわしい人がいた。その人はまっすぐに前を見ている。
「だけどそのハンクスをお前はいつも助けていただろう?」
「当たり前じゃないか」
タンガスの言葉にダルニスは即座に答えた。それを聞いてタンガスはにやりと笑う。
「そう、当たり前だ。俺やキディアやトーヤにとっても。お前が子を授かったらお前を助けるのが当たり前なんだ」
そこまで言うとタンガスはダルニスに向き直った。
「だから安心しろ……とは言えないけどな。子を授かるっていうのは命がけだ。お前の身に万が一のことがあるかもしれない。だけど俺たちはそんなことにはならねぇようにお前を守らなきゃならない。だから俺だって緊張する。口には出さないだろうが、キディアやトーヤも同じ気持ちなはずだ」
それを聞いてダルニスには気付いたことがあった。
「もしかして、キディアが昨日なにか言っていたか?」
「俺にはなにもできねぇってしょぼくれてたぜ」
「やっぱりか……」
ダルニスは呆れてため息をついた。それを見たタンガスは子供のように笑う。
「お前が不安になる気持ちはわかる。キディアに気をつかえとは言わねぇ。だけどよ、俺たちだってそれなりに覚悟してるんだってことだけは分かってくれ」
ひとしきり笑い終えたタンガスが、すっと真面目な顔をしてそんなことを言う。タンガスがころころと表情を変えるのはいつものことだ。そしてダルニスがそれに面食らってしまうのも。
「そんなの分かってるよ」
ダルニスは口を尖らせ、小さな声でつぶやいた。タンガスはその声が聞こえたのか聞こえなかったのか、両腕を真上に伸ばして大きなあくびをした。
「さてと、朝食の準備でもするか」
タンガスは踵を返して残り火がくすぶっている焚火に向かった。
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