化け物バックパッカー、温泉に浸かる。
オロボ46
秘湯はすぐ近くにある。疲れを運び去っていくような湯は、すぐ近くに。
地平線から太陽が旅だったばかりのころ、
海岸沿いの道路に、黒いローブの姿の人影があった。
影のように黒いローブに身を包んだその人影の顔は、フードを深く被っているため、よく見えない。体の細さから女性の体形だろう。
しかし、鋭くとがったツメが生えた黒い人差し指の腹で、ガードレールをなぞるその姿は、幼い少女のようにも見える。
背中には、黒いバックパックが背負われていた。
少女は、地平線と太陽を見つめながら歩いている。
いや、地平線と太陽だけではない。
海にポツリと浮かぶ島も忘れてはならない。
その島の大半は森であった。
森がない場所は海岸、そして、中心のわずかなスペースだけだった。
中心になにがあるのか、
少女の場所からは、それを知ることは不可能だった。
「“
バックパックからスマホを取り出し、時計を確かめながら少女はつぶやいた。
……どこか人間ではない声で。
その場所は、寂れたフェリー乗り場だった。
波止場にはフェリーは1席も存在せず、近くにある小さなフェリーターミナルもところどころに汚れている。
「……コノ建物ノ中、チョット入ッテミヨウカナ」
少女が中に入っても、印象は同じだった。
明かりは外の光だけ。
掛け時計の針が動いていないのはもちろん、
壁に貼ってある時刻表はボロボロだった。
その隣に貼られているポスターは、一昔前のアイドルの顔が写っていた。
その中で少女は、何者かの目線に硬直していた。
少女に目線を向けたのは、茶色いジャケットを着た女性。寝不足なのか、目元にはクマがある。
壁際に設置されたベンチに猫背で座っており、まるで生気を吸い取られたような表情で少女を見つめていた。
やがて、女性は目線を下に向けた。
少女は首をひねりつつも、黙ったまま室内の様子を歩きながら観察し始めた。
しばらくして、フェリーターミナルにまた人が入ってきた。老人だ。
ベンチに座っていた女性は、その老人に暗い目線を向けた……
が、慌てて目をそらした。
「タビアゲハ」
老人は一昔前のアイドルのポスターを見ていた少女に声をかけた。
少女は振り返ると、わずかに見える口元で親しそうな笑みを浮かべ、老人の元に向かった。
「……ひとまず、外にでるか」
老人の声に答えるように少女が黙ったままうなずくと、ふたりは外に出た。
「坂春サン、今日ハクルノガ早イネ」
フェリーターミナルの外で、“タビアゲハ”と呼ばれた少女は地平線に目を向けたまま老人に話しかけた。
「昨日はちょっと眠れなくてな、朝早くに起きてしまったんだ」
明るいところで見てみると、この“坂春”という老人、顔が怖い。先ほどの女性が慌てて目線をそらしたのも無理はない。
派手なサイケデリック柄のシャツに黄色のデニムジャケット、青色のデニムズボン、頭にはショッキングピンクのヘアバンドといった個性ある服装も、顔のせいで威圧感を与えている。
その背中には、タビアゲハのものと似た黒いバックパックを背負っている。俗に言うバックパッカーである。
「ふぁああ……」
“坂春”と呼ばれた老人は、あくびをしたのちに左肩を右手の拳でたたいた。
「……ドウシテ肩ヲタタイテイルノ?」
その様子に疑問を持ったタビアゲハは首をかしげた。
「なんだか知らないが、肩がこっているんだよな……タビアゲハは肩こりを感じたことはあるか?」
「……ソモソモ、カタコリッテナニ?」
「改めて言葉で説明するとなると、なかなか言葉が出てこないな……」
坂春は左肩を右手でもみながら説明する言葉を探して空を見上げた。もちろん、空に言葉が浮かんでいるわけではないが。
「……肩に何かが乗っかっている感じ……か?」
「重タイ感ジガスルナラ、痛イッテコトダヨネ。ソレナノニ、ソコヲタタイタリモンダリスルノ?」
「まあ、むやみにやってもあまり効果はないみたいだがな……そんなことよりも、眠くてたまらん……近くに自販機があるか探してくる」
「ソレジャア、海ヲミナガラ待ッテルネ」
タビアゲハがフェリー乗り場の波止場に向かったのを確認して、坂春は左肩をもみながら、大きなあくびをしてその場から離れた。
坂春が帰ってくるまでの間、タビアゲハは波止場であるものをみていた。
先ほど見かけた、海に浮かぶ島だ。
タビアゲハはその島を眺めつつ、時々振り向いて後ろのフェリーターミナルを見た。
まるで、島とフェリーターミナルの関係を理解しているように。
そして、タビアゲハは少し首をかしげた。
フェリーが運行していない今、あの島はどうなっているのだろうと。
その島の方向から、なにかがこちらに向かってくる。
水しぶきを大きくあげて。
「……なんだ? あれは」
缶コーヒーを片手に、坂春は口を丸く開けた。
タビアゲハも何も言わずに口を開けている。
やがて、その正体がわかった。水上バイクだ。
水上バイクはそのまままっすぐこちらに向かい、徐々にスピードを落としていく。
そして、波止場の前で止まった。
「いかんいかん、うっかり寝坊したなあ……」
水上バイクを運転していたのは、無愛想そうな毛むくじゃらの中年男性だった。目には水上スキー用のゴーグルをかけている。
毛むくじゃらの男は一息つくと、波止場の上で口を開けている坂春とタビアゲハに気づいた。
「あんたら、この辺で見かけないけど……旅行かえ?」
坂春は戸惑いながらも、うなずいた。
「……あ、ああ……一応、各地を旅しているものだが……」
「それなら、この先の定食屋によってみるといい。あそこのカツ丼定食は、この町の自慢だからなあ」
男は簡潔に話し終えると、水上バイクから下りた。それでも、坂春とタビアゲハはその場から動かなかった。
「……もしかして、あの島に用なんか?」
「いや……ただ、おまえがあの島から水上バイクでこちらに来るもんだから……もしかして、住んでいるのか?」
坂春が島を指差しながら説明すると、男は「まあ、そんなところだね」と無表情で答えた。
「なんなら、連れて行ってもいいんけんど……」
「……!!」
男の言葉に、タビアゲハは胸の前で手のひらを合わせた。それを見て男はふたりに近づき、人差し指を立てた。
「ただし、条件がある……あんたたち、疲れているところはあるかえ?」
坂春とタビアゲハは互いに顔を見合わせた。
「……俺は最近、肩こりが気になったぐらいだな。昨日も眠れなかった」
左方を上げる坂春に向けて、男は指を指した。
「じいさんは合格……さて、そっちの娘さんは……?」
「……」
指を向けられたタビアゲハは何も言わなかった。代わりに、坂春が答える。
「この子はどうやら、悪いところはなさそうだ」
「そうか……それなら、ちょっと手を触らせてもらうとするかあ」
タビアゲハが手を引っ込めるよりも早く、男はタビアゲハの手をつかんだ。
「……娘さん、あんた“変異体”ということを隠そうとして手を引っ込めようとしたなあ」
その男の鋭い目つきに、タビアゲハの体は震え、坂春は握り拳を作った。
男の目つきは、すぐに元に戻った。
「……だいじょうぶだいじょうぶ! 通報はしないから、安心してええよ」
先ほどは見せなかった満面の笑みを、男は浮かべていた。まるで会ってみたかった者と出会えたかのように。
「それは本当か?」
「ああ、同じ変異体を匿っている者同士、仲良くしようや」
男はふたりに向けて、両手を差し出した。
タビアゲハは一瞬だけためらったものの、信頼したようにうなずいて男の右手をつかんで握手した。
坂春は不安そうに眉を下げつつも、男の左手をつかむ。
「……じいさんの手、やっぱり肩がこっているようだなあ。おいら、手を握ってその人の体調を知ることができるんだよ。人の形をした変異体と握ったのはさっきが初めてだけどなあ」
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