08 ヲタク



「……で、ここの床材を変更したいんですよ」


 野原は見積書をまじまじと見つめる。


「桜じゃないとダメなのか」


「桜の無垢材は音の響きを良くするんだ」


 星野は「ほら」とホール全体的が見渡せる位置に野原を連れてくる。そして、周囲を指差した。


「あの壁面の青いタイルは陶器だ。九谷焼でできている。わざわざ取り寄せている」


「九谷焼」


「そうだ。あれも音の響きをよくするために設置されている」


「陶器に桜の無垢材」


「そして、この設計。全てが噛み合って、星音堂の残響時間は3秒。満席時でも2.5秒だ」


「残響、時間?」


 野原の問いに、星野は大きく両手を広げたかと思うと、手を打ち鳴らした。パーンと空気を切り裂くような音が耳を突く。そしてその後、ホールには響が充満した。


「これは……」


「これこれ。どうだい? 随分と響きが残るだろう? これが残響時間。この時間が長いほど、響きは残って、音が豊かになる。まあ、強いて言えば、風呂場みてーなモンだな」


「風呂場……」


「そそ。風呂場で歌うと気分がいいだろう? あれは響きが残って、なんだかうまく聞こえる訳。カラオケもそうだ。エコーの調節機能を少し長めにすると、なんだか上達したように聞こえんだろう」


 野原は困惑した顔をする。


「歌は、歌わない」


「あのさ。それはどうでもいいけどさ。想像もできない訳? じゃあ、そこの兄ちゃん、ここで一曲歌えや」


 星野は田口を見ると、彼は「え!」と驚いてオロオロとした。


「う、歌ですか?」


「お前、歌えるの」


「歌えるわけがないじゃないですか! スポーツ一筋です。急に歌えと言われても、なにも思いつきもしません」


「残念」


「つまんねーし」


 野原と星野の冷たい視線には耐えられないのか。田口は顔を青くしてオロオロとする。


 ——困っているのか。


 そう理解した。だから話を元に戻す。


「それってすごいこと?」


「すげーし。残響時間コンテストがあったら、全国でも五本の指には入るぜ?」


「そんなにすごいんだ……」


 ——知らなかった。そんな素晴らしいホールが市内にあっただなんて。


 しかも今まさに、自分たちが管理の手伝いをしているのだ。なんだか誇らしいと田口は思っているのか、目をキラキラとさせている。


「じゃあ、やっぱり桜の無垢材限定」


「そうだよ。だからそれで見積もり出してんだろ。このホールも老朽化してんだ。建築当初よりも木材も陶器も劣化している。このままだと、このホールの売りの残響時間が短くなる。だからなんとかして欲しいんだよ」


 星野の要望は最も。素晴らしいものを素晴らしいままで維持するのも役目。野原は頷いた。


「じゃあ次は」


「おう。次はあのパイプオルガンだ。あれはデンマークからの輸入品でよ、ちと部品が高くつく。だが、あれも劣化してきている。全部取り替えるわけじゃないけど、猶予があるなら劣化が酷いヤツから取り替えたい」


「なるほど。パイプって……」


「あれは3155本あるんだ」


「そんなに?」


 田口が声を上げる。彼は星音堂せいおんどう担当のはずだが、そう詳しいことは理解していなかったようだ。野原の視線に彼は黙り込んだ。


「それ、全部取り替える?」


「そんなことは不可能だろう。優先順位は業者と相談しいている」


「ふうん」


「っつかさ。あの。えっと課長さん? あんた、細かいこと気にするんだな? 今までの課長さんはそんなことまで聞かなかったし」


 星野はめんどくさそうに顔をしかめる。


 ——だって。


「興味ある」


「興味?」


「そう。面白いんだなって。星音堂せいおんどうって。面白い」


「あのさ。面白いとか言う人、珍しいんだけど」


「そう?」


 野原の反応に満足しているのか、星野はめんどくさそうな顔を止めた。


「おもしれえ。いいぜ。なんでも聞きなよ。おれ、結構星音堂ヲタクだからよ。あらかた答えられるぜ」


「仕事熱心な職員」


「じゃねーし。趣味だよ、趣味」


 なんだか妙に意気投合する野原と星野の後ろをくっついて、田口は弱った顔をしてばかりだった。





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