15
奇妙な晩だった。
店に到着すると、いきなり四人の二つ名持ちに礼を言われた。
何でも、あたしのおかげで、四人の共通の師匠の遺言を果たすことができたのだそうだ。
(なんのこっちゃ)
そんなことを言われても、正直なんの実感もないので、あたしとしては困惑するしかない。
聞けば、この四人が集まったのは、なんと二十年近くぶりなのだそうだ。
詳しい話ははぐらかされてしまったが、なんでもこの四人は同じお師匠さんの弟子なのだという。
そこにサーヤを始め、何人かの『はぐれ』が混じって、いつも一緒に行動する家族のようなものだったらしい。
しかし、二十年ほど前に
そこで、ヘルマンニが奔走して、それをなんとか細い関係をつなぎとめていた。
ヘルマンニ、偉い。
そのお師匠さんの遺言はたった一言、「仲良くしろ」だけだったそうだ。
たったそれだけの遺言を守れていないことを、ずっと四人は気に病んでいたらしい。
それがあたしの出現で、あれよあれよといううちに関係が修復されたのだそうだ。
「特に、サーヤを呼び寄せたことで、ペトラとサーヤの関係が修復されたことが大きいな」
「……その節は大変ご迷惑をば」
なんと、あれからペトラとサーヤは、たまに手紙のやり取りをしているらしい。
それは素晴らしいことだと思う。でも、お礼を言われても、正直あたしには何の自覚もない。
というか、強面たちに頭を下げられるのは非常に気まずいものがある。
そのうちに大人たちが何やら渋い雰囲気の中で酒を飲み始めたので、あたしはニコと一緒に屋根裏部屋に避難した。
* * *
どうせ大人たちは夜通し飲むのだろう、ということで、今日は屋根裏部屋に泊めてもらうことにした。
ニコと屋根裏部屋へ向かうと、一年前と変わらない状態が維持されていた。
きっと、放置されていたわけではあるまい。
いつあたしが戻ってきてもいいように、ホコリが溜まらないように掃除し、シーツなども定期的に変えてくれていたに違いない。
チクリと胸が痛む。
もうここに帰ってくることはない。
ニコもそれを理解してくれているはずだ。
でも、なんとなくこのベッドはこの先もずっとこのままあり続けるような気がした。
あたしは急にニコが愛しくなって、ニコをぎゅっと抱きしめた。
ニコは落ち着いて抱き返してくる。一年前のように両手をパタパタさせて慌てたりはしないようだ。
「訓練場でもちょっと思ったんだけど、ニコ、少し背が伸びたね」
「うん、一握りくらい伸びた」
一握りというのはこの世界に於ける長さの単位で、だいたい十センチメートルほどだ。そんなのに伸びていたのか。
「思ったより伸びてた」
「リンちゃんはあんまり変わらないね」
「うぐ、もうとっくに二十歳過ぎましたし、ここから伸びることはないかと思われます」
「あたしまだ十七だから、もう少し伸びるかも」
そのうちリンちゃんを追い抜かすかもね、とニコは笑った。
何せ、この世界の女性のほとんどはあたしより背が高いのだ。そうなってもおかしくはない。
「まぁ、あたし子供の頃にいつもお腹空かしてたから、実際はそんなに伸びないと思うけど」
「ん、どういうこと?」
「教会の孤児たちもそうなんだけど、子供の頃にパンがもらえなかった子供は、あまり背が伸びないんだよ」
「……子供の頃の栄養失調が影響するってことか」
「リンちゃんの世界ではそういうのってないのかな」
「どうだろ……餓死する人なんて、身近には一人にも居なかったからなぁ」
「幸せな世界だったんだね」
「そうかもしれないね」
ニコはあたしの胸から顔を上げて、あたしをまっすぐに見る。
こうしてみると、ニコは本当に成長した。
初めて会った頃の子供っぽさは鳴りを潜め、おっとりと落ち着いた雰囲気になっている。話し方も、いつも賑やかだったのに、落ち着いて静かにゆっくりと話すようになっている。
もしかしなくても、あたしより大人っぽいのではないだろうか。
(うぅ、あたしの可愛いニコが……)
(いや、成長を喜ぼう、うん。……くそぅ、どこの男が攫っていくんだ……簡単には渡さんぞぅ。もしニコを攫っていくならこのあたしに剣で勝てるくらいの……)
「なんか変なこと考えてない?」
「いいえ、何も」
ニコがあたしから離れ、そして真面目な顔であたしを見つめる。
「リンちゃん、帰りたい?」
「帰りたいって、森へ?」
「ううん、そうじゃなく、生まれた場所っていうか」
「ああ、元の世界か。うーん、どうだろ」
この世界に飛ばされてきてしばらくは、頻繁にホームシックにかかったものだ。
でも、今は––––
「帰りたくない」
「あれっ? そうなんだ」
「うん、というより……元の世界のことは今でも恋しいんだよね。両親のことも心配だし。でも、この世界から離れたくないって気持ちのほうが、ずっと強い」
こちらにはニコもいるしね、と言うと、ニコは
「もう、この場所には帰ってこないんだよね」
いつもの笑顔でそんなことを言われたものだから、あたしは言葉を詰まらせた。
これからも、街に来れば泊めてもらう事はあるだろう。でも、ニコが言っているのはそういうことではない。
もう、ペトラの店の看板娘としてここに住むことはないのだ。
「リンちゃんがどうやって生きていきたいのかは、もう理解したよ。戦ったことで納得もできた。応援だってしたい。ただ、やっぱり………寂しいんだよ」
これからは、たとえ手伝いであっても、ペトラの店で働くのはなかなか難しいだろう。ニコにはそれが理解できているようだった。
傭兵として仕事を始めたあたしは、すでに人の死の匂いを纏っている。
理由がどうあれ、あたしが人殺しであるという事実は覆らない。
それを言い出したら、ペトラなど『伝説の傭兵』なんて呼ばれているわけだけれど、逆に言えば、傭兵から足を洗って久しくもある。それにあの性格がそうした後ろ暗さを感じさせないというのもあるだろう。
それでも、他の店と比べると客層はやはり荒っぽい。親子連れなどはほとんど来ないし、来るのは酒飲みの荒くれ者や、評判を聞いてやってきた行商人たちが主だ。
「だから気にせずに働きに来ればいい」なんてペトラは言うが、現役の傭兵が働くとなると、どうしても店の雰囲気は悪くなる。それだけは避けたい。
––––たとえまたあのゲンコツを食らうにしても、こればかりは曲げられない。
「あたしね、いつかこの店を継ぐんだ」
「へーっ、そんな話が出てるの?」
「うん、といっても、ペトラが動けなくなってからだから、後何十年かかるかわかんないけどね。ペトラが自分の跡を継いでくれ、って」
「良かったじゃない! ペトラがそんな事を言うなんてよっぽどだよ」
「うん……でも、あたしさ、それを聞いて、ちょっと寂しくなっちゃった」
「えっ、なんで……、ああ……」
それはちょっとわかる気がする。
もしハイジが「俺が死んだら、おれの後を継げ」なんて言ったら寂しくなるに違いない––––いや、むしろぶん殴るか。
「でね、お店を継ぐまでに、ペトラがあたしに色々教えてくれることになった」
「色々? 料理とか?」
「料理は長期戦かな。でも、もう少しはできるようになったよ。そうじゃなくて––––あたし、もうすぐ冒険者としての階級が五級に上がるんだ」
「五級!? え、何、そんなことになってんの?!」
「ペトラと何度も遠征に行ってるうちに点数が上がって、多分あと一年ほどで上がるだろうって、トゥーリッキさんから言われてるんだ」
「うわ、ニコに追いつかれた!」
「まだ四級だけどね」
ニコがクスクス笑う。
本当に大人っぽくなったなぁ……ちょっと色っぽくさえある。
それと比べてあたしの色気のなさよ。
勝手に自分の子供っぽさに凹んでいると、ニコから衝撃発言が飛び出した。
「で、五級に上がったら、ヤーコブと結婚すんの」
「ぶっ!?」
な、な、なんだってーーーーーーーーーっ!!
「ま、ま、まさか、え、ヤーコブ?! うそっ!!」
「嘘じゃないよ」
ふわりと綺麗に笑うニコ。その頬はほんの少し紅色に染まっている。
「まさか、ヤーコブめ、あたしのニコに手を出したの?! ニコ、ちょっとあたし、斬りたい人を思い出したから、ちょっと行ってくる」
「ちょちょ、待って待って、手を出したとかじゃなくて!]
「……うそよ……流石に半分は本気じゃないわ。でも、えー、ヤーコブかぁ……」
「半分は本気なんだ……リンちゃん、ヤーコブのことも一年くらい見てないでしょ」
「……あたしの出したトレーニングメニューから逃げ回ってたってのはペトラから聞いたわ」
「それ、誤解だよぅ……」
眉をハの字にして、困ったように笑うニコだが、その表情すらが可愛く見える。
くそー、やっぱり斬っちゃだめなのか。
「最初はちゃんとやってたんだよ。でも、孤児院が戦争で上手く回らなくなって、ヤーコブが冒険者として稼いでなんとか回してたんだ。それでトレーニングをする時間が無くなってただけなんだよ」
「ああ……あいつ、そういうところあるからなぁ……子分には偉そうな分、何かあったら全力で守る親分タイプというか」
「でも、依頼を受けてもあたしのことは連れて行ってくれなくて。だからリンちゃんがヤーコブに残していったメニューを代わりにこなそうって思ったんだ」
「……あれ、端から無茶なメニューを出したつもりだったのに」
「そうだと思ったよ……何度も動けなくなったもん。慣れたらそうでもなかったけど」
つくづくこの世界の人ってスペックが高いなぁ……。
「そしたら、ヤーコブも依頼とトレーニングを両立させるようになったんだよ。リンちゃんが見たらびっくりすると思うよ。だってヤーコブ、リンちゃんより背が高くなってるもん」
「はぁ?! うそっ! だってヤーコブなんてこんなチビだったじゃん!」
いくら何でも一年で二十センチメートルも伸びるわけがない!
「……冒険者やってたらそんなに珍しくないみたいだよ」
「冒険者って……あー、なるほど……あー」
そうか、魔物を狩れば経験値が手に入り、体が大きくなるって聞いたことがある。
「それに、性格も随分変わったよ」
「へー……」
「町の人達の評判もいいみたいだし」
「ふーん」
「何より優しくなった」
「ほー」
「もぅ、リンちゃんちゃんと聞いてよ!」
「……ごめん、ちょっとショックが大きくて」
「もー……」
なるほどなぁ……あたしが戦争にかまけてる間にそんなことが。
「男子三日会わざれば刮目して見よ、ってことか」
「なにそれ」
「あたしの生まれた世界の言葉で、男子はちょっと見ない間に成長してムカつく、みたいな意味」
「……変わった文化だね」
「今まさにそれを実感してるけどね。そうか、ヤーコブがねぇ」
「あのトレーニングのおかげで、あたしが五級になったら依頼にも連れて行ってくれることになってるんだ」
「へー……」
まさかあたしの嫌がらせが、二人のキュービッドになるとは……世の中わからないものだ。
「って、ヤーコブ何級?」
「五級。シモとヨセフは三級」
「あたしと一緒かー」
思わず目を覆う。
「ヨキアムさんとパーティ組んでるんだよ。休みの日はペトラの稽古付き」
「そりゃ、強くもなるわ」
「あと、たまーにだけど、ヘルマンニさんも参加するんだ。あの人、すごいよね」
「あー、そうね。あんなヘラヘラしてるけど、
あたしがいない間も、世界はくるくる回っている。
よく知ったつもりの人たちも、いつの間にか変化している。
それはどこか寂しくて、でも世界が鮮やかなのはそうした変化のおかげなんだろう。
『寂しの森』で変化のない生活を送っているあたしは時間に取り残されていくしかないのかもしれない。
でも、それこそ望むところだ。
あたしは変化のない毎日を望んでいる。
ハイジのいるあの魔物だらけの森で、静かに暮らしていきたい。
それでも、そんな置いてけぼりを食らったあたしに対しても、時代の変化の波は容赦なく襲いかかってくる。
「それで、リンちゃん、次はいつ戦いに行くの?」
もう止める気はないのだろう。
ニコが「わかってるよ」という顔であたしを見た。
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