13 : Nico

(うひゃぁ〜!)


 あたしは今、異次元の戦いを見せられている。


 まず、開始の合図がなかった。

 模擬戦なのだから、きちんと向き合って、合図と同時に始まるものだと思っていたのに、リンちゃんとハイジさんは無造作に訓練場の中央まで歩いていくと、いきなり

 

 ––––全く見えない!


 たまにぼんやりとシルエットが見えるだけで、あたしは全くリンちゃんを目で追えていない。

 ハイジさんにはリンちゃんが見えているのだろうか。いや、見えているのだろう。ハイジさんの手もぶれてほとんど見えないが、たまに剣が視認できたと思うと必ず剣戟が聞こえる。


(どこ?)


 ハイジさんの動きは速いけれど、全く忙しく見えない。まだまだ余裕があるように見える。

 対して、リンちゃんのほうはまるで幽霊のようだ。たまにフッと現れると、なぜか空中に立っていたり、ハイジさんの頭上で逆立ちしていたりする。そしてまたフッと消えていなくなるのだ。

 

 その都度鳴り響く剣戟。

 どの攻撃も、一切の躊躇なし。間違いなく命を刈り取る一撃だ。

 

 あたしは必死に二人を見つめ続ける。

 せめて何をやっているのかを理解したい。


(……スピードだけじゃないんだ!)

 

 ずっと見つめ続けるうちに、少しだけ目が慣れてきた。

 速さも確かに尋常ではない。でも、リンちゃんを見失う理由はそれだけじゃなかった。

 静止できるはずがないタイミングで静止し、加速できるはずがないタイミングで加速している––––だから目で負えなくなる。見失う。

 それは、あたしの知っている「リンちゃん」とは違う何かだった。

 

 ––––これが、『黒山羊』のリン––––!

 

「ヘルマンニ、お前だったらどう攻略する?」


 隣で、ギルド長だというおじさんが、ヘルマンニさんに話しかけた。


「あー、そうだなぁ、先読みで足を狙う、かな」

「できるか?」

「できるかできないかで言えば、できる。が、勝てはしないな」

「なぜだ?」

「足を落としたくらいじゃ、リンは止まらねぇだろ。手数じゃ勝てねぇし、剣に乗った魔力も大したもんだ」

「なるほど。ペトラ、お前ならどうだ?」

「……無理だね。昔ならいざしらず……いや、それでも無理か。ありゃ若い頃のあたしより強い。勝てないね」

「……さすがは二代目『戦乙女』ってところか」


 ギルド長がクツクツと笑う。

 

(戦乙女? なにそれ、リンちゃんのこと?)


 うわ、カッコいい。

 

「そういうアンタならどう対応する?」

「能力を失う前なら普通に勝てただろうな」

「……そうだったね。『亡霊』の剣は誰にも防げなかった。ハイジ以外には」

「お前ら、何言ってんだ? リンの剣はそのハイジにも届くぞ」


 ヘルマンニさんの言葉に、ペトラとギルド長がぎょっとする。


「……嘘だろう?」

「いや、ハイジから聞いたから確かだぜ? 師匠が死んでから初めて傷をつけられた、ってよ……嬉しそうに語ってやがった」

「嘘だろう……? そんな事がありうるのか?」


 二人は驚いているが、それは実力差の話だけではなく、なんだかまるで理屈に合わない事のように聞こえた。


(そっか、リンちゃんの剣はハイジさんにだって届くのか)


 その事実は、なんとなくあたしを嬉しくさせた。

 そして、ようやく––––あたしは安心できたのだ。

 

 あたしの心配なんて、きっと無駄だったんだろう。

 戦場で、リンちゃんとハイジさんに届く剣なんてきっと存在しない。


「リンちゃん、がんばれっ!」


 あたしは思わずリンちゃんを応援した。

 その途端、「ギィィィィィィーン」という妙な金属音が響いた。ハイジさんの手が見えない。どうやら剣戟同士がつながって一つの音に聞こえるほどにまで加速しているらしい。

 それはきっと、同時に百の攻撃を繰り出すかのようで。

 しかしハイジさんはそれを全て抑えきっている。


 ガキン、と大きな音がして、リンちゃんの姿が現れた。

 それに対峙するハイジさんは、剣を下ろして首をコキコキと動かしている。


(リンちゃん、笑ってる?)

(間違いない、笑ってる、それも思いっきり)


 リンちゃんの顔は獰猛に笑っていた。

 それは––––あたしには酷く綺麗に見えた。


(リンちゃん、幸せそう)


 そしてかき消える『黒山羊』。––––今度はあたしにもギリギリ見えた。

 リンちゃんが繰り出す百の攻撃を、ハイジさんは全て受け止める。

 たまに、パチ、パチンと鞭が鳴るような音がまじり始める。


「おい、この音」

「……リンだな」

「マジかよ……」

「……師匠が居たら何て言っただろうな」


 ヘルマンニさんとギルド長の言葉が気になって、あたしは尋ねた。

 

「あのパチン、パチンって音、何の音なんですか?」

細剣レイピアの切っ先の速度が音速……つったらわかるか? 音の速さを上回るとああいう音がすんだよ」

「音の速さ?」


 音に速さなんてあるのだろうか。

 バカなあたしにはよくわからないが、きっとそれは普通のことではないのだろう。


「あー、懐かしいな。アレができんのは師匠だけだった。ハイジもやろうと思えばできるんだろうが、獲物が大剣グレートソードだからなぁ」


 ヘルマンニさんが呆れたように笑う。

 ペトラも感心した様子だ。


「でも、間違いなさそうだ。見なよ、間違いなくリンだ。まったくどこまで行くつもりなのやら」

 

 ……その『師匠』という人のことを、ペトラも知っているのかな。

 

 ギィーン、ギィィィーンと、断続的に金属音が響く。たまにパチン、パチンと剣が音速を超える音。

 目の前の光景は、きっととんでもなく恐ろしいものなのだろう。

 人の命を刈り取るための技術のぶつかり合い。

 死を身近に引き寄せる、悪魔の技術の鬩ぎ合い。


 でも、あたしにはそれがとても綺麗に見えて––––。

 

「リンちゃん、綺麗––––」


 あたしにはそれが、王子様と踊る恋するお姫様みたいに見えたんだ。

 

 

 * * *

 

 

 リンちゃんの剣が弾き飛ばされて、ハイジさんの剣がリンちゃんの首にそっと添えられる。勝負ありらしい。

 

 リンちゃんとハイジさんの模擬戦は、時間にすればそう長い時間ではなかった。

 あたしはずっと見ていたい気持ちだった。

 気付いたら、涙が流れていた。ちょうど、生まれたての赤ちゃんを見たときに、愛しすぎて涙が出てしまうような、そんな涙だった。


「ニコ、いい顔してるね」


 ペトラが言った。


「そうかな?」

「ああ、アンタこの半年、あんまり笑わなかったからね。笑ってても、笑えてなかったよ」

「あらら、ペトラは騙せないか」

「あたしを誰だと思ってるんだい。ニコとリンの母親だよ」


 自称だけどね、といってペトラは肩をすくめるが、あたしは笑ってペトラに抱きついた。

 くしゃり、とペトラの大きな手があたしを撫でた。


「あー、負けた負けた、また負けた、こんちくしょう」


 そんな事を言いながら、いい笑顔でやってくるリンちゃんだったが、ペトラに抱きついてるあたしを見て、表情をフッと曇らせた。


「ニコ、もしかして威圧に当てられちゃった?」

「へ?」


 どうやらリンちゃんは今の模擬戦であたしに何かがあったのかと思ったようだ。


「ううん、何ともないよ!」


 あたしが笑うとリンちゃんはホッとしたようで、


「よかったぁ、ミッラの時みたいにニコまで傷つけちゃったかと」

「ミッラさんの時……? 何それ……?」

「何でもないよ。それより、どうだった? ニコ」

「凄かった! リンちゃんって強いんだねぇ」

「そう? ありがと」


 あたしが笑うと、リンちゃんも屈託なく笑ってくれた。

 よかった、『黒山羊』モードじゃないリンちゃんは、いつもどおりのリンちゃんだ。

 何も変わってない。


「リン、今度はあたしとちょっと手合わせしておくれ」

「は、はい? ペトラ、何を?」

「ちょっと血が騒いでね」


 ペトラがニヤリと笑った。

 

「うぇ〜……やりづらいなぁ」


 リンちゃんはそう言いながらも、文句はないらしく、木剣を手にした。

 

(全くもう……)


 あたしの周りの人たちは、みんな血の気が多い!

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